春爛漫・・・
とは裏腹に、昨夜遅く次男から突然の出陣要請。
いやはや、昨日のゴルフ⛳️🏌🏾♀️100切りの興奮が、一気に冷めました・・・。←良かった、傲慢にならずに済みました。
john 16:33あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
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そういうわけで、早朝からバタバタ🙃
孫を自宅に送り届けた後、時間変更していたゴルフレッスンへ大急ぎで
車を走らせます。今日は、コーチが『3番ウッドよりドライバー🏌🏾♀️が飛ばない』理由を発見してくださいました。ドライバーを少し横振りにしてみると・・・あら不思議170ヤードも連続して飛びました
帰りに↑の孫たちの写真を印刷する為に,久しぶりに西宮ガーデンズへ寄り道。
写真を待っている間も、放心状態⤵️⤵️でベンチに座り、祈る🙏私・・・
rom 5: 3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、rom 5: 4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。rom 5: 5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
かつて,モービル石油の重役だった、横浜の亡き叔父が昔よく言ってました・・・
『禍福は糾(あざな)える縄の如し』
※ 参考「史記‐南越伝」の「因レ禍為レ福、成敗之転、譬若二糾纏一」から ) わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意。
これまで、叔父のこの言葉の意味は、幸福と苦難は交代に何度でも来る,という意味に捉えていましたが、そうでは無く・・・今回この言葉は、この世の幸不幸は、表裏一体である(聖書的な意味)という事を知りました。
すごい❣️サンキュージーザス、サンキューS亡き叔父様