山に来ています

朝起きたら外が濡れていて昨晩雨が降ったことを知ります

 

買い物に出ようと車まで来たら

土の混じった雨しずくの跡でへこみました

山の水はほっとくと

ミネラル豊富過ぎてシミになるので

買い物からもどり

 

車を洗うことにしました

洗剤は見つけられなかったけど

拭き上げタオルは見つけました

 

「大量の水で流せば拭いても大丈夫」

と息子から聞いてたので

ホース使用して水で泥や落ちてきた松の葉や花弁を流し

タオルで二度拭き

拭いた跡さえ残らないように

そして水滴も

それが流れてシミになるのはごめんです

 

この作業をしていて気が付いたことがあるのです

 

いけないことをしている感覚がある

私、やっちゃいけないことをしてる

 

その原因は親の教えでした、たぶん

 

親が車を掃除してはいけないと教えた?

とすぐむずびつかず

自分でも混乱してしまったのですが

 

おそらく偏見からくる発言に

私が素直に理解したとおもいきや

間違った認識を持ってしまっていたということでした

 

子どもの頃、きっと何かの事件か

もしくは近所の誰かがどうだったとか一時的なことだったと思うのですが

車への愛が大きすぎて社会生活のバランスを失った人の例から

『車を異常に大切にする人は間違っている』

とインプットされてしまっていたのです

 

ふたこと目には車はただの移動手段

それ以上でもそれ以下でもない

そのせいで我が家の車は錆びるほど傷は放っておかれ

一度も洗ったことなどなく

 

近所が車上荒らしに全滅だったとき

我が家だけ免れたという武勇伝(?)も残っています

 

いやいや

車はステイタスです

車種や高級度ということではなくて

清潔にしているか

修理をしているか

 

そのオーナーさんの感覚が透けて見えると今は思っています

お洋服が破れてるとか汚れてると一緒だよ

 

当時の幼い私は言い返すことも

そんなマインドももっていなかったです

言われるがまま

 

子どもにとって

親の言葉って意外と大きい力をもっているんだと

60過ぎて改めて思ったということでした

 

 

今日もうちの車はピッカピッカキラキラ