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奥村顕のワールドプリズム Ken Okumura's WORLD PRISM

日々の生活やニュースの背景に潜む本質を取りこぼさす、言語化して提示することを目指します。

和の精神2.0――日本復活の精神改革

 

格差は固定化されれば、身分制度になります。身分制度は安心感と引き換えに、社会の活力を奪います。その安心感は、決して人生の充実に結びつくものではありません。上に立つ者には驕り、下に立たされた者には諦めを与え、ともに堕落へと誘うものです。

 

派遣労働の一般化などの要因により、日々の仕事をこなしてゆくためのノウハウ――現場の知恵の外部化が進んでいます。本当の仕事をする現場でしか生まれない知恵が、会社組織の内部からは遠く離れたところに置かれるようになっています。現場の知恵が外部化されたまま、指揮系統に還元されない状態に陥れば、仕事の改善は進みません。現場では何をすれば良いのかが見えているのに、何年経っても問題が解決しない状況が発生します。それらが社会のあちこちに堆積すれば、国の経済力全体に及ぼす影響は計り知れません。国家プロジェクトとされる旅客機の開発においては、設計変更が繰り返されました。金融機関のシステムダウンも頻発しています。こうしたニュースの背景にも、現場の知恵の外部化という問題が潜んでいるように見えます。

 

では、なぜ現場の知恵が外部化されたまま、指揮系統に還元されないのでしょうか。日本の社会で密かに復活しつつある身分制度が阻害要因になっているというのが、私の見立てです。現場の知恵を吸収するのに最も良い方法は、現場にいる人間自身を会議などの場に呼び、直接意見を聞くことです。しかし、職場によっては、これさえなかなかできません。同一労働同一賃金の原則というものがありますから、身分制度の上位に立った側は、下位の人間とは同一ではない労働をしているという建前を守らなければなりません。会議に参加するかどうかは、労働を差別化する根拠のひとつになります。現場の意見を聞けば、この差別化が崩れるばかりでなく、仕事への管理側の無理解が顕在化する危険もあります。

 

かくして管理側の権威と現場の知恵は、対立的な関係を築いてしまいます。経済的に恵まれた立場に立てるのは権威を持つ側です。現場の人間が本当の仕事をいよいよ軽んじ、卑屈な心情に支配されるようになっても不思議はありません。仕事への管理側の無理解に合わせて、わざわざ無能に振る舞おうとする人も現れてきます。命令の間違いを細心の注意をもって引き継ぎ、その間違いに合わせて仕事をするようなやり方が、経済的な価値を生むはずがありません。

 

上下関係はあるのに仕事の実質がなおざりにされた職場が増えるのは、当然の成り行きです。それは上に立つ者も現場の者も、本当の誇りを持てない状態です。私たちは大人になり過ぎました。あるいは、子供に戻りつつあるのかもしれません。

 

市場に出回るお金を増やせば、やがて労働者の賃金が増加し、景気が上向くとの見通しが、日本銀行の緩和政策を支えてきました。この政策が見落としていたのは、賃金を決める権限を持つ人たちが、現場の人間を社会階層の下位に抑え込んでおきたいという動機を持っていることです。現場から有意義な提案が出てきても、「身の程をわきまえよ」の一言で済ませた方が自分たちの立場を守る上では安全です。これでは、待遇改善を経済活力に結びつけるサイクルは起こりません。

 

古来、日本は稲作を国の基とし、生産の現場では労働力と知恵とを融通してきました。近代に入ってからも、個々人の献身的な努力が社会全体の価値の向上に結びつくという信念を、私たちは疑ってきませんでした。こうした信念があってこそ、「和の精神」という言葉も説得力を持ったのです。

 

ところが現状では、誰が見ても分かる問題を指摘しないことによって傷口を広げることに、「和の精神」のセンスが発揮されてしまっています。こうした態度は集団主義的に見えながら、それぞれの当事者が保身を図った結果に過ぎず、利己主義の集団的発露と呼ぶほかはないものです。「和の精神」の利己主義化という欺瞞に気づいていながら、そこに留まることに義務感を覚え、抜け出す方法を考えられなくなっているのが、今の日本の姿です。

 

日本人は本当に利己主義者の集まりに変質してしまったのでしょうか。私はそうは思いません。「みんなのために」という考えは、私たちの中に今も眠っています。精神は社会構造の影響を受けますが、人は自らの本質を易々と捨て去るものではありません。

 

日本の復活のために必要なのは、「和の精神」の改革――「和の精神2.0」のありかを見つけることです。ひとりひとりの潜在力を目覚めさせ、それを生かす触媒となる精神として、「和の精神」を問い直す時期に来ています。

 

日本から希望が失われ、経済的な衰退が止まらないのは、新興国の台頭のせいだとか少子化のせいだとか言われます。確かにそれらの要因があるのは否定できませんが、大切なのは日々の仕事という足元をしっかりと見つめることです。自分をも他者をも軽んじる風潮を蔓延させるのではなく、本当の自信に溢れた活力ある社会を作らなければなりません。その拠り所となるものこそ、調和を重んじる風土に根差しながら、個々人の潜在力の発揮を後押しする「和の精神2.0」であると私は確信しています。

 

今は人知れず咲く新しい精神は、見出される日を待ちわびています。私たちが本心からそれを望むなら、きっと見つけられるはずです。

 

(この記事にはEllen ChanによるPixabayからの画像を使用しています )