奥村顕のワールドプリズム Ken Okumura's WORLD PRISM -4ページ目

奥村顕のワールドプリズム Ken Okumura's WORLD PRISM

日々の生活やニュースの背景に潜む本質を取りこぼさす、言語化して提示することを目指します。

  カワイイ日本に未来はあるか

日本を代表する女性アイドルグループでは、長年に渡りメンバーの恋愛禁止を公言していたが、それへの疑問の声を聞くことはほとんどなかった。芸能界の特殊な職場とは言え、恋愛をしたら仕事を失って当然という考え方を、私たちの社会は容認しているのだ。恋愛禁止という規範は、ジャニーズ事務所で発生していた性加害問題とも深いところでつながっている。自らの性のあり方を自分で決める権利を剥奪し、そこに可愛らしさを見出す感覚が問題なのだ。「カワイイ」という日本語は海外でも広く通用しているが、この表現の背後には時として支配関係が潜む。私たちの社会が培ってきた価値観には、人権感覚と矛盾する要素が根付いているのではないか。

劣位に置かれた弱き者であることに価値を見出していると、組織の内部で力量の低下を競い、あるいはそれを装うような非生産的状況に陥りかねない。それが日本から活力を奪い、世界との競争に太刀打ちできない状況を用意するならば、事は人権上の問題に留まらない。国を衰退から救うには、カワイイという感覚をどう位置づけるのか、真剣に考えておく必要がある。

ジャニーズ事務所の実態は、一部では公然の秘密となっていた。海外メディアの報道によって状況が大きく動いた事実は、外圧によってしか変わろうとしない社会の体質を照らし出している。私たちは本当に考えただろうか。欧米諸国にとってカワイイ日本であることを選んだだけなのではないか。

 

性的マイノリティーの排除が不当なものとして認識されたのは最近のことだが、これも外圧を意識しての政治的転向だとすれば、共生社会への内発的な希求に根差さない脆弱なものとならざるを得ない。欧米諸国と組んで中国に対抗するといったご都合主義によって倫理観が形成される場合、それが見てくれだけのものになるのは避けられない。自分の中に根を下ろさない倫理観は、ご都合が変わりさえすれば容易に変質し、あるいは消滅を余儀なくされる。信念のないところに、本当の倫理はない。

主体性を奪われた可愛い人たちを、主体性を持たない社会が愛玩する。自分がどこにあるのかを誰も分かっておらず、そうであればこそ強い力に押し流されることが一種の道徳的価値さえ帯びてしまう。日本はカワイイままで良いのか。ジャニーズ事務所への批判の高まりの過程にも、性加害を許した構造と同じものが潜んでいるような気がされて、釈然としない感覚から抜け出せない。

愛するには、勇気が要る。国と社会を愛し、人を愛することが、私たちのエネルギーを生産的な力に変えてゆく。勇気を禁止し、愛を禁止する国に、希望ある未来を導き出す力が具わることはないだろう。