jellyのブログ
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[1]自己紹介

はじめまして


ジェリー 25歳 ♀ 独身


私は韓国で生まれました

両親とも韓国人=私も[純]KOREAN


父は私が生まれる前から日本で仕事をしていた

結婚してすぐのこと

私を妊娠したとき、母はひとりででもこの子を産みたい、

と思ったらしい。

当然、父の立会ナシで私を産んだ


かなりの難産だったらしく私は未熟児だった

当時の私はおじいちゃんが父でした

幼稚園も小学校も父役をしてくれた


父はたまに帰ってきていたけれど

3日もしないうちに日本に帰っていきました


もともと性格が明るい母は、近所の友達とよく遊んでいたけれど

たまに見せる孤独な顔を今でも忘れない、

でも強がりで元気な姿は、周りからの人望もあつく

区域の役員など率先してやっていた


私が3歳になったとき、

久しぶりに帰ってきた父が母に種をまいて帰って行った

弟ができたのだった


母ひとりで出産し2人の子供を育てるのは

やはり大変で、元気な母はいつも寝ているようになった

誰にも気づかれず、栄養失調で入院

それを機に私に

「パパと一緒に暮らしたいでしょ?」をよく言うようになった母。


当時、母は土地を持っていて

私と弟の生活も、一度もお金や食に困ったことはなかった

(景気もよかったけどね。。)

寧ろ、3歳からピアノ、テコンドー、バレェ、体操など習い事尽くしのお嬢様


ある日。旅行に行くと出かけて行った先は空港

旅行なのに手荷物だけ

幼い私も、母は父のとこに行くんだと察した


私は当時10歳 弟7歳

日本語の欠片も知らない私たちは

いきなりこの地に落とされたのだった


空港に迎えに来た父

たまに会いにきてくてたときは

おもちゃや人形、好きなものは何でもくれた、

ただ優しいだけの父だった


空港から車で3時間

父の家に着いたとき

私はその家、部屋、食事、全てに驚いた


韓国での暮らしは一等マンションの「お嬢様」暮らしだったのに

ここは家の中に蝙蝠(こうもり)、ねずみ、野良猫、その糞、

天井には穴が開き、照明はところどころ切れてる


一体、父は、どんな暮らしをしていたのか

私は夢であってほしいと思った 心底思った

でも母の方が思ったに違いない 彼女も知らなかったのだから


ださすぎる真赤なランドセルと

意味のわからん文字が書かれた教科書と

どれも同じ味のする食事と

お風呂で泣く母と、かび臭い布団と

何もかもが地獄に思えた


父なんかいなくていい、帰りたい

と思った


今でこそ父に心から感謝するけど

当時の暮らしはすべて離れた韓国にいる私たちへの

仕送りと、将来一緒に暮らす貯金の為の貧乏生活だった


そんなこと当時は知るわけない

とにかく父が憎かった


日本に着いたときは真夏

少し涼しくなったころ、

私たちは普通の市立小学校へ入学

2学期が始まるときだった


ひらがなもカタカナも漢字も言葉も

本当に何も知らない世界

珍しい人間扱いされ、休み時間はほかのクラスからの見物人


私を見て笑い、指をさし、何か話しかけては

また笑って、顔を覗きこみ何か笑いかけてきて

幸いなことに言葉がわからないので、

いじめられているのかすら感じなかった


そんなめちゃくちゃな生活が、次第に私を変えていったんだと思う


ワカラナイことが次第にストレスになって私は猛勉強した


そして私は4ヶ月で日本語を覚えたのだった

今でもあの速さは奇跡的だと言われる^_^;

(語弊があったらすみません、普通の生活で支障ない程度の日本語を覚えたということです)

朝鮮学校じゃなかったから周りに韓国人や在日もいない

だから、韓国特有のあのナマリもない


完璧な日本語を手に入れた


そして勉強、児童会、、と私は加速した

初めて自分の可能性に気付いた瞬間だった


あっという間に1年、2年・・

そして5年生になったある日


私は処女を捨てることになる


(今考えると恐ろしい出来事でした( 一一))


------------------END


ご挨拶

25歳 ♀


何故これを書こうと思ったのか


書こうと思っていたのは、もう5年も前からだ

私よりももっとすごい境遇の人や

沢山の経験や、壮絶な人生を送った人は

沢山いると思う、

これは私の独断と偏見とたぶん

見られているという自覚ナシのだらしない文になると思うけれど


書きたい、という気持ちだけなんで。


御付き合い頂ければ幸いです。