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翠雨 ~凱風快晴~
いつの事だったか・・・
窓を叩く雨を恨めしそうに見遣っていた穂希が言った。
「あーあ。今日も雨かぁ・・・はやく止めばいいのに・・・」
―――その頃、穂希は雨が嫌いだった。
「ハニーは雨が嫌いなのか?」
「うん。ジメジメしてて嫌だなー・・・」
雨の降っている日は、決まって憂鬱そうな顔をしている。
「そうか・・・。だが、雨の日もなかなかオツなものなのだぞ?」
「えー?」
眉間に皺を寄せたままコチラに視線を移した穂希の後ろに座ると、そのままソッと抱きしめた。
「耳を澄ましてみろ。・・・何が聞こえる?」
「・・・・・・雨の音しか聞こえないよー?」
「そうだ。聞こえるのは、雨の音と・・・互いの声だけ。まるで、外界から遮断された2人だけの世界の様だとは思わんか?」
「あ・・・そう、かも・・・」
ようやく笑顔になった穂希を見て、俺も嬉しくなった。
「それに、もう1つある。」
「ん?なになに?」
「雨の日は、俺も人目を気にせず外を出歩ける。」
一瞬考える様な顔をした後、「あ!」と嬉しそうな声をあげる。
その後、俺たちは久々に外でのデートをする事になった。
1つの傘に2人で入り、ゆっくりと往来を歩く。
雨のお蔭で、行き交う人は少ない。
普通の人間にとっては当たり前の様なこの行動。
それが、豪く新鮮な事に感じられる。
歩幅を合わせて歩く2人。
少しだけ触れ合った手に、自然と笑顔になる。
それから、絡める様に手を繋いだ。
「ふふっ。雨の日も、悪くないかもしれないね!」
周りから見れば、現金な発言かもしれない。
だが、俺にとってはそんなところすら可愛く思えてしまう。
「そうだ、ハニー。もう1つあったぞ。」
「え?まだあるの?」
足を止めた俺に合わせて、穂希も立ち止まる。
そして、傘を少し倒して視界を遮ると・・・軽く口唇を重ねた。
「っ・・・!ダーリン!ここ外だよ!?誰かに見られたら・・・」
「ははは!大丈夫だ。傘が顔を隠してくれたからな。」
照れながらも顔を上げた穂希と交わした2度目の口付けは、温かい雨の味がした。
雨は未だ降り続いている。
つい先刻、俺は穂希との別れを選んだ。
本心から言った言葉ではないにしろ、1度は心の中でそういう結果を導き出したのだから、後悔はしていない。
なのに・・・別れを決めてから、俺は穂希の事ばかり考えている。
考えずにおこうと思っているのだが、気付けば穂希を想っている。
匂いや温もりが、俺の心に焼き付いて消えずにいる。
共にいた時は、それが心地よかったはずだった。
だが、離れてしまった今となっては、掻きむしる様に俺を波立たせる。
ただ、いつまでも傍にいて欲しい。
―――そう、願ったはずなのに・・・どうしてここにいてくれぬのだ・・・
どうすれば、穂希ともう1度やり直せるのか。
そればかり考えてしまっている俺が、自分でも嫌気が差すほど女々しく感じる。
やり直したいと思うくらいならば、端から別れるなどと言わなければよかったのだ。
己の言葉に責任が持てぬ様では、国を変える事など出来る訳がない。
・・・いや。
それどころか、大事に想う人間すら己で護れぬ様な男が、国を変えられるはずもなかろう。
どうやら銀時の言った通り、俺はすっかり腑抜けてしまったらしい。
強まる雨音が、静まり返った部屋中に響き渡る。
そして、それが孤独さを紛らせてくれた。
明くる朝。
一向に泣く事を止めぬ雨空を見上げていた俺は、気分転換にでもなればと思い、少し散歩に出かける事にした。
やはり、雨の影響で人通りは疎らだ。
だが、さすがに素顔を堂々と晒して歩ける訳もない。
顔を隠すように傘を傾けながら歩いていたせいで、前から走ってきた人に気がつかず、派手にぶつかった。
その拍子に、傘が後方へと飛ばされる。
「どこ見て歩いてんだ!気をつけろ!」
理不尽な発言だが、今の俺には言葉を返す余裕もない。
何も言わぬ事をつまらんと思ったのか、男はそのまま先を急ぐように走り去っていった。
雨に打たれながら、いつぞやもこんな事があったと自嘲する。
あの頃より、軽くなっているはずの気持ちは・・・
あの頃より、確実に重みを増していた。
鼓動を刻むほど苦しくなる胸が、焼けるように熱い。
どれだけ冷たい雨に打たれようとも、少しも冷める気配はなかった。
「・・・・・・・・・会いたい・・・」
ポロリと口から零れ落ちた言葉が、俺の気持ちの全てを表していた。
それからしばらくの間、特に何事もなく日々が過ぎた。
相変わらず、俺はモヤモヤとした感情を抱いたまま。
それでも、攘夷活動やバイトだけはそつなくこなしてきたつもりだ。
今日も遅くまで、久々に顔を出した月を背に、皆からの報告書に目を通していた。
眠りに落ちる直前まで何かに没頭していないと、晴れぬ感情に飲み込まれそうになる。
それが怖くて、ここ最近はずっとこの調子だった。
情けない話だが・・・
するとその時、背後から足音と共に聞き慣れた声が耳に入った。
「邪魔すんぞー。」
振り向かずともわかるその人物に、俺はかなり動揺した。
しかし、それを覚られたくはない。
毅然とした態度を装って、言葉を返した。
「・・・何しに来た。」
「お前の様子見に来たに決まってんだろうが。」
「貴様に心配してもらう必要はない。」
「はいはい。そうですか。」
そんな俺に気付いているのかいないのか・・・
銀時の方は、いつもと変わらぬ調子で接してくる。
ただ、前の時のように腹の探りあいをする事はなかった。
銀時が単刀直入に話を切り出したからだ。
「なぁ、ヅラ。このままでいいのか?」
・・・いい訳がない。
それはわかっている。
だが、どうすればいいのか・・・
それが、今の俺にはわからぬのだ。
俺の精一杯の時間稼ぎを軽くあしらい、銀時はそのまま言葉を続ける。
それは・・・俺と穂希の仲立ちをする内容だった。
身構えて意固地になっていた俺だったが、銀時らしからぬお節介に、つい笑いを零した。
「人が折角いい事言ってんのに、何笑ってんだ。」
「いや・・・まさか、お前がそんな事を言うとは思わなくてな。」
「・・・はは。俺もそう思うぜ。」
霞がかった気持ちが、晴れ渡っていくのを感じる。
「・・・もう簡単に手放したりすんじゃねぇぞ。大事なモンは、テメェで護っていきやがれ。」
「あぁ、そうする。」
「じゃ、俺は帰るわ。」
「・・・世話になったな。」
銀時が去った後の部屋は、静かだが孤独を誘う事はなく・・・
穏やかな時間がゆっくりと流れていくのを感じた。
今更やり直せる保障などはない。
こんな俺を許してもらえるとも思ってはいない。
だが、俺は信じている。
2人の絆を。
穂希の気持ちを。
俺たちの心は・・・ずっと繋がっているはずなのだから―――。
― El futuro ―