私はすぐに忘れてしまう性質だし、
人間関係には旬があるから遅かれ早かれ離れると思っているし、
ひとり行動が好きだし。
だから、40代後半になるまで、あまりひとと旅行をしたり遊びに行ったりすることに価値を置いていなかったのです。
でも、この数年、気心の知れた友人たちや家族と旅行して、その時の思い出の残り具合があまりにも鮮やかで美しくて、すごく生きていて良かったなぁ、と、「なんか眠い」くらいのシンプルさで思います。
朝食後に、朝とは思えない陽射しと湿気の中、市場を目指してみんなで細い道を一列になって歩いたこと(ニワトリがいた)、
夕方のぬるいような空気のなかテラスでみんなで大きなグラスで冷たいビールを飲んだこと、
高級住宅街の整ってない土埃の上がる道をレストランを目指してぷらぷらみんなで歩いたこと、その時に見たブーゲンビリアの瑞々しいピンクの色、
缶ビールを片手にそぞろ歩いた夜市と熱気と店先で食べた蒸し餃子、
真っ青な空の下、ひんやりした空気のなか蒸留所を目指して歩いた時の落ち葉が敷き詰められた石畳の道、
霧雨のなか見つめた小さな水路、
昼遅くのパブでジョッキを片手に眺めた土曜の午後の風景、
旅先で。ジャージで夜中に缶ビールを抱えてコンビニからゆったり帰った足取り、
夕方の光がたくさん入る中で絞ったライムと缶ビールのぬるさ、
湿気に満ちた夜に食べた魚介鍋、
ぜんぶぜんぶ、ふつうのなんてことのない風景、なんてことのない生活道路、なんてことのない一日なのに、なぜこれほど、その時の空気や気温や、鮮やかな色彩を携えているんだろう。
絶対にすぐに忘れて了うと思っていたのに、時間が経つにつれてとても鮮明に、とても愛おしい思い出となって、大事に抱えて生きている。
更に良いのが、家族やよく会う友人たちだから、しょっちゅうみんなで思い返しては、よかったよねえ、また行きたいなあ、あれ美味しかったねえ、が際限なく出てくるの。
ますます記憶がブラッシュアップされて、それはそれは日々瑞々しく、つい最近のような鮮度で語られる。
誰か…大事なひとと、
この道を歩いた、
電車から外を眺めた、
ごはんを食べた、
コンビニへ行った、
そんなことがとても大切な思い出として私の中に蓄積されていく。
なんて贅沢なんだろうと思うのです。
生きていて、本当に嬉しいと思う。