ベランダにて。

鈴虫の声が聞こえる。
蝉ももう夜には鳴かない。
夏の終わり。

わたしは夏が好きだ。
ベランダで、ビールが飲めるから。

そして、日差しがまぶしいから。
お日さまの光が、強くて、かっこいいから。
夏だよ、夏だよ、って、
楽しそうに見えるから。




いろんなことを、抜けた。
そんな夏だった。



ひどいこともした。

とても卑怯な気持ちも知った。

そして、あの時の彼の気持ちも少し想像できるようになって、
悲しくもなった。

もう別の場所で、しあわせな様子を思って、
勝手に少し寂しくなったりもした。


ひとりぶんの空白は、
それが空白じゃなかった時を思えば思うほど、
大きいものだ、と思う。

ほかの何かで埋まるような、
簡単な場所にはなくて、
簡単なかたちでもない。


それを、また、ほんとうに知ることができて、
わたしは抜けたんだと思った。




認めることで、見えるものがある。

認めなかったから、見えなかった。
それは、とても単純なことだった。


朝の光がきれいだと思ったり、
夜の風が気持ちいいと思ったり、
おいしいものを大事な人と食べるとうれしいと思ったり、

そういうことと同じくらい、単純なことだった。





わたしは今日で、このブログをやめます。



ロンドンにいたこと。

彼が近くにいたこと。

離れてとても苦しかったこと。

仕事が楽しくてしかたなかったこと。

体をこわして帰る決断をしたこと。

すべて失った気がしたこと。

東京に戻ってきたこと。

たくさんの出会いがあったこと。

また笑えたこと。

たくさんの友達に大事にされたこと。


地震のこと。

その、あとのこと。


その全部を、ここは知っている。



だけど、
わたしはもう、
ここにこうやって書くことをやめる。

言葉は、大切な誰かのために使いたい。
意味なんて、ない。
ただ、そうしたいと思った。

だから、やめよう、と思いました。



いままで読んでくれていた人、
ありがとう。


夏の終わりは、
わたしの、こことのお別れに、
きっとちょうどいい季節だと思うんだ。


ちょっと切なくて、
すぐに過ぎてしまって、
まぶしくて、思い出してしまう。


大好きな季節だから、
決められた気がするな。


どうか、みんなの夏の終わりが、
幸せで満ちますように。


祈り。
どこでだって、できること。
届かなくても、伝わらなくても、
わたしは祈る。


わたしもきっと、どこかで元気に過ごしているよ。

ひとはほんとうに色々で
自分の中にも色々なわたしがいて、

ふだんはひとりのわたしのような顔をしていても
何かのきっかけで残りのわたしが顔を出す。


そして時々、何か特別なきっかけで
その残りとふだんのわたしはごっちゃになって、
ひとりに戻るまでに、ひどく時間がかかったりする。


器用な顔して不器用で、
でも不器用な顔してとても器用で、

そんなわたしたちを知っているからこそ
ごっちゃになるととても困惑するんだろう。



この1年くらい、
ずっとあやういところに立っていたことを
ほんとうはずっと知っていて、

でも守りたいものが多すぎて、
どれも手放したくなくて、
欲張っていたらわからなくなった。



だけどまたわかりはじめてきたような気がするんだ。
前よりも、また少しわかってきた。


だめな自分がもっと見えてきて、
認めたくなくても、認めるしかないくらい見えてしまった。



わたしは本当はとてもぶれやすくて、
まわりの目をとても気にしていて、
人に気に入られたくて、


でもそのくせ制限されることも、
押し付けられることも、
決めつけられることも大嫌いな、


自分勝手な人間なんだなぁと、
この半年くらいかけて、あらためて気付いた。



年を重ねるにつれて
そんな自分の色は濃くなって、

きっと同じように濃くなっているまわりの色と
むりやりに変えようとして交わっても、
濃い色がぶつかるばかりで、
ちっともきれいじゃない。



だけど静かに寄り添っていれば、
きっとまわりの方からだんだん滲んで、
きれいなグラデーションになるんだろうな、

そんなことを思った。



たぶんいまのわたしに必要なのは
ひとりで静かに過ごす時間だ。




情報をさえぎって、

好きなものを集めて、

好きな場所を歩いて、

好きな音楽を聴いて、

疲れたら眠って、

おなかがすいたらごはんをつくって。



そんな当たり前に大切にしたい時間を、
守りたいものばかりで手一杯になって、
すっかり作らずにいたなあと、
わたしにごめんねを言いたくなった。



守りたいものは
むりやり守ろうとしたって
束縛ばかりの恋人にうざったくなるみたいに
するりとどこかへ行ってしまう、

そんなもんなんだろうなと思った。




だから当分は静かに暮らしたい。


読みたい本も、

観たい映画も、

聴きたい音楽も、

育てたい植物も、

たくさんあるんだよ。



自分が正しいと思うことを信じることも、
まわりを正しいと受け入れることも、
どちらか一方が重くなってしまったらだめなんだ。

世界はあぶなっかしいバランスでできている。


だからいま、
そんな静かな時間に少しわくわくしています。

ほしいものは、おだやかな暮らし。





タイトルの色色衣より。



このアルバムは聴いたことなかったのだけど、
「SUGINAMI」に惹かれて聴いたら、
とても素敵な曲でした。
とても、素敵なことば。
3月11日のあの日から、

それまでずっと手帳に書いていた日記が、

ぱったり書けなくなった。


書く気がどうしても起こらない。


頭の中が忙しくて、
整理をするのもしんどかったからだろう、と思う。


それは今でも同じで、
東京にいるくせに、どんなへたれっぷりだよとか思うけど、
無理して書くのもなんだか違うし、
ずっとそのままにしてしまってる。



今日、ひさしぶりにそれまでの日記を読み返していた。



笑ってしまうほど、
あの人のことばかり書いていた。


一緒にサッカー観たかったな、とか、
ライブを一緒に楽しめてうれしかった、とか、
メールが雑でしょんぼりした、とか。


ばかみたいに、
しょっちゅうそんなことばかり書いていた。


いっぱいだった。


ひどくかっこ悪くて、
我ながらめんどくさくて、
でもあまりにもまっすぐで、

泣いた。




するりと解けたはずのものは、
どこかをぐるりと回ってまた絡まって、
わたしは、まだここにいる。


波みたいなものだ。

きっとまたそのうち引いてくれる。


そう思っても、こっち側に押し寄せる波はつらいし、恐ろしく孤独だ。




わたしが自分で手放した。


覚悟を決めて、強い言葉を使った。



全部、自分を守るためだった。



だから、全部、わたしが背負わなきゃいけないものなんだ。




あの人がいま、

何に喜んで、何に感動したり、いいな、と思うのか、

そういう全部が、

気にならなくなる日が、

いつかくればいいなと思う。




それまでは、

こうやって、時々泣いたりするんだろうな。




早くそうなってほしいとは思わない。


そんなの、

これまでが、全部大したことなかったみたいじゃないか。



少なくともわたしは、

わたしの全部で大切だった。



だからゆっくり、

ほどけたり、絡まったりしながら。



それでいい、

というより、

そうするしか、ないんだろうな、と思った。






目をそらさずに ここにいよう



つきものが落ちたように
長い間鎖のようにつながれていた気持ちから
自由になった


そして
新しい気持ちの動き


先のことなんてわからないけど
ほんの少し不安な気持ちもあるけれど
わたしの全部でいまの気持ちの動きに向き合う

彼の全部でくれるあったかいものに
わたしの全部で返したい


逃れられないかもしれないと思っていた気持ちを
するっとほどいてくれた人
こんなにあっけなく、ほどけるときはほどけるものなんだなぁ


これから東京も梅雨
この雨で全部きれいに洗ってしまおう

そして、曇りのない気持ちでそばにいよう

武蔵野の緑は、雨の中でもとてもきれいだよ



笑顔の素敵な人でした。

ハッピーバースデイ。

どうか幸せでいてくれたら、と思う。

おやすみなさい。