「人生の節目を自ら創造してゆきましょう」

京都の磋硪・嵐山の竹林小径をゆき、さやさやという葉擦れの音や小鳥の囀りを聴きながら考えた。

竹は節があることで、しなやかで折れにくくなっていることは、周知である。竹は日本の太古の昔から生活の様々な面で利用されてきた。

しなやかで剛いからこその竹籠、扇や傘、また、尺八などの楽器や茶道具にも欠かせない。

人生訓としても竹は、人間の精神的な学びをもたらしてくれる。竹の節は人の一生に当てはめて考えたら、一体何に当たるのであろうか。

節があるからこそ、しなやかで折れにくい。節は人で言えば、精神の軸、思想信条にあたるのであろう。

また、人生の節目とも言う。確かに、人生には節目がある。子供の頃は学校があり、卒業入学が一般的な節目であろう。その節目節目で気分も新たになり、新しい目標が出来、新しい環境で生きることが出来る。

社会人になってからは、異動であったり、昇格であったりが節目になる。または現代で言えば転職なども節目にあたろう。新しい環境で、新しい人間関係で、また新たな自分を創造する良い機会になる。

その新たな環境で新たな自分を発見し創造し、経営してゆく事で、大きく成長してゆくことが出来るのである。

また、自分自身で人生の節目を創造してゆくことも大切である。精神的な目標を設定し、それを中・長期的に確認し、今自らはどの辺りまで達成しているのかということを認識し、更なる高みへと向かう努力をしてゆくことでも、人生の節目を創造してゆくことができる。

いや寧ろ、後者の精神的な節目の方が本来の節目であるのだと思う。この精神的な節目の目標を達成できたからこそ、自然に環境が変わってゆくのである。次なるライフステージが自ずと準備され、与えられているのだ。

自らの成長によって、器の拡げ度合いによって、それに相応しい環境が周りから押し上げられるように、与えられてゆくのであると思う。

人格の発展段階とも言うべき、この節目節目を大切に、着実に成長してゆきたいと願う。