日本の成り立ち

「くに」とは何か?

愛国心を問われる前に結論から私には愛国心など微塵もない

まず君らに問う

何故国という字を使うのか?

くにがまえの中にあるのは玉(ぎょく)すなわち天皇を意味する

我々はこの漢字を「くに」として教わり使うように習った

まず「くにがまえ」で守る主体が「くに」の中に入る

「国」が囲っているのは天皇という事になる

しかし日本の主権者は民衆である(ここで故意に国民とは書かない)

つまりこの国という字は日本にはそぐわない漢字なのだ

 

次に「くに」と表現できる漢字は他にもある

國や圀だ

まずこの國という字は領土を矛即ち武器で守るという意味がある

例えば英國はこれが相応しいだろう

しかし王室に天皇はいないので英国は相応しくない

英室はあるが英國は民主主義なので主権は王室にないからだ

また州が集まり國となるで合衆國でも良さげだ

 

一方圀という字は民の幸せを守るという意味がある

どうだろう?こちらの圀の方が相応しいではないか

更に民の幸せなのだから人種も領土も問わない

なんて素晴らしい文字なのだろうか

この文字を編み出したのは武則天である

この圀は則天文字と呼ばれた彼女の作った漢字の中の一つである

つまりこの国に適合する圀は世界に一つも存在しないのだ

 

大東帝國の天皇と天后

ところで武則天と言えば武周を15年間統治した皇帝でもある

そして武は即位前は大東帝國と皇后であった

武の夫である高宗は天皇(てんこう)と呼ばれ武もまた天后(てんごう)と呼ばれていた

武則天は15年の統治後孫である玄宗に帝位を移譲し大東帝國が再建された

この頃日本はまだ存在しない

つまり唐以外に天皇はこの時代に存在していないのだ

 

武則天の時代我々が住むこの列島は複数民族の國で形成されていた

それぞれ國は多民族である渡来人により統治されていた

小國ではあるが戦を繰り返し多くの國が滅びたり生まれたりした

小國は競って大陸に使者を送り朝貢を繰り返していた

大陸は統治委任したこれらの國々を総称して倭國と呼んだ

 

渡来人により栄えた倭國

倭國には大陸の使者が寝泊まりする施設が設けられた

更に大陸の使節団の集会用に國が設けられた

倭國全体の監視を含む地は伊都國と呼ばた

伊都國の役割は大陸との輸送物を扱いも含まれていた

物を扱う部署なのでやがてこの役人たちは物部氏と呼ばれるようになった

 

一方倭國内にも國々の調停のために盟主が選ばれるようになりはじめる

盟主は交代制であり話し合いで決められていた

盟主を中心とした連盟は徐々に勢力を増し朝鮮半島の半分を占めるほど成長した

 

さて武周が終わり玄宗により大東帝國が復活する

そして玄宗の時代に唐では景教が流行した

景教は仏教にも深く影響を与えこの仏教が倭國に伝来した

伝来させたのは曽我氏であり曽我氏は盟主として絶大な権力を誇示するようになった

曽我馬子の代になると馬子は物部氏を制圧し王朝を打ち立てた

そして隋に朝貢を行いこの記録が隋書に残された

 

蘇我王朝滅亡と簒奪

絶大な権力を保持していた蘇我氏ではあったが馬子が亡くなると徐々に弱体化が進んだ

この隙をついて簒奪が行われた

簒奪を企てたのは百済より降った王族とその家臣達だった

蘇我入鹿は殺され蘇我王朝が滅びた

この簒奪を大化の改新として教科書では習っているが簒奪なので蘇我氏と百済の王族であった

中大兄皇子の間に血縁関係など一切ない

 

しかし中大兄皇子は統治者として不向きだった

臣下の中臣鎌足は簒奪を手伝った将軍を唆し更に簒奪を企てた

この壬申の乱と呼ばれる2回目の簒奪で百済の王族は絶えることになる

 

壬申の乱により最早将軍と中臣氏に対抗できる者はいなくなった

将軍は天武帝となのり中臣氏の提案で連合をまとめ日本と改めた

しかし間違っては困る王を統治するためにおいたのは天皇ではなく帝だ

つまり天皇はこの壬申の乱においても日本には存在していない

 

中臣は氏を改め藤原と名乗り天武帝を影から操った

この政務により小國の王は豪族として藤原及び天武側の側近達を貴族として

分けた更に階級制度を設け規律を正すために法律を制定した

 

法律において帝は権力を委任し権力者は帝の代わりに統治を行うものとして大臣職が設けられた

この形式は今もなお日本に残っている封建制度の名残である

 

権力を我が物とし政治を顧みなければ國力は衰退し結果として新たな権力抗争が生じる

堕落した貴族と豪族を制したのが武士であり武士の世は徳川末期まで続いた

 

王政復古という文明後退

武士の世を終わらせたのは米英の商人達である

商人達は欧米文化をちらつかせ若者を煽り遂に徳川政権を崩壊へ導いた

しかし欧米の革命や独立戦争と違い武士政権を倒したのは武士だった

なので本質的に何も変わらない

そしてその武士達は武家と公家そして寺家を華族と称しその中心に天皇を置いた

まるで壬申の乱の再来と変わらないいや寧ろ後退した政権交代だったのだ

 

更に最初の天皇である明治天皇は徳川政権末期の孝明帝の御子つまり睦仁ではない

睦仁は密かに殺され別人にすり替わっていた

新政権から言えば傀儡となる天皇など誰でも良いのだ

 

傀儡だった天皇が謀反を起こす政府の要人を軍人将校を消したて殺害させた

しかしこの天皇は敗戦後まんまと日本国民の総意の象徴として生き残った

 

これが大まかな日本史である

つまり我々に日本を守る義務のもないし

ましてや皇室や天皇など擁護する義務もない

全て封建社会からの刷り込みに過ぎない

 

続く