寿永4年3月24日(1185年4月25日)平氏滅亡?

壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一門は次々と入水し、ここに平氏は滅亡したと良く歴史では学ぶ。
でも、これは大きな誤りだったりする。単刀直入に言えば、平氏は滅亡などしていない。

まず源頼朝を大将とする、源氏方についた北条と三浦は平氏である。

また壇ノ浦で見事な弓さばきにて、扇の的を射た那須与一もまた平氏である。

さらに那須家は源氏の新田家とも繋がりが深い。

武士を赤と白で区別しているけれど、血縁関係でピンクの部分もあるという事。

そんなわけで、壇ノ浦にて自害または捉えれられ処刑されたのは、

平清盛の一部の平氏って事でまずは教科書を書き換えていただけるとありがたい。

桓武平氏

さて源氏は、もともと清和天皇を祖とする一門であり、
清和天皇は、第56代の天皇となる。

それに対して、平氏は桓武天皇を祖とする一門であり、
第50代の天皇となり、若干早かったりする。

清和天皇は、桓武天皇の孫の孫だったりする。

何で元に帰れば、源氏も平氏ももともとは同族って事です。

まあ、それを赤だ白だって仲たがいさせたのは、
やっぱり藤原家を筆頭とする貴族の陰謀だったりする。

では、桓武平氏がどれだけ派生しているかというと。
ちょいと家柄だけあげると、
三浦氏、梶原氏、那須氏、平氏、千葉氏、長尾氏
とまあ、上杉謙信にまで繋がってしまうんですね。

だからでしょうか、甲斐源氏と言われる武田信玄より、
上杉謙信に親近感が湧きます。

あれ?沸くって事は?そうです。
僕の祖先は、那須氏に繋がります。
つまり僕の先祖は平氏であり、
更にたどれば天皇家って事になるんです。

まあ、それは対して特別な事でもなく普通の事なのでしょうが。
ちなみに今の天皇に対して同族意識はまったく持っていません。
垢の他人と思っています(笑)

と戯言はこれぐらいにしておきます。

言いたかった事は、「壇ノ浦で平氏滅亡って言うな」です。

平家物語より祇園精舎


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ