悪い人ではないのだが、人のモノを盗む人がいる。
その時点で悪い人か。
大勢が出入りする場での傘や靴。
わたしの経験では、傘はなくなるままだが、靴はボロズタ靴が残されている。

ちなみに。
わたしは、靴は学生の頃から度々被害に遭っている。
高級なブーツなど、即、なくなる。
傘は自治会館で、初めて使った買ったばかりの新品がなくなった。
身近なところでは、学生の頃、服、現金が、自宅の自室から消えた。
犯人は特定できているが、決定的証拠がない。
目につくところに置いて、刺激したのなら仕方ないが、わざわざクローゼットの中から持って帰る。
お金は最初はわたしのお小遣いで少額だったが、最後はわたしの親のお金に手を付けた。
お互い、まだ10代後半。
経済事情がほんの少しだけ違うといっても、親御さんは国家公務員をされ、彼女の下にも妹がいて、2人とも、まともに育っている。
やはり彼女は手癖が悪いと言える。
こんな人でもちゃんと教職に就いている。
美人でスタイルが良く、頭脳明晰だったのだが。
世の中、しれっと善人の顔をして真面目に暮らしていても、手癖の悪さはブレーキが効かない病気のようなものか。

わたしは自分で防御することを学んだ。
騙されたり、貸したお金を返してくれなかったりすることは世の中、ザラにあるので、お金は一切貸さないことにしている。
それで人間関係が壊れるなら、仕方ないことだ。
貸すのではなく、あげる、寄付する、という気持ち。
返ってくると思ってはいけない。
なかなか他人にあげる気にはならないが。

遠い親戚の中に、母にお金を借りたまま、返していない人がいる。
知らん顔して、年賀状も毎年、送ってくる。
その人の兄弟に実情を話したが、彼に返すよう進言してくれたものの、全く返す気配がない。
客観的にハイスペックで、評価されるだろう、ちゃんとした人生を歩んでいる人なのだけれど。
彼の家族が代わりに弁済する義務はないだろうし、彼の奥さんの親御さんにも借りているようだ。
明るい楽しい頼もしい人なんだが、わたしは「信用ゼロ」の烙印を押した。
彼は自分の罪をつぐなわないまま、自然に罪が消滅するかと言うと、、、気が収まらないわたしは、わたしの子供たちに、お金を返さない現実を伝えた。
彼本人は、自分がこの世を去ればそれで終わり、リセットだと思っているだろうけれど、負の伝説は言い伝えられる。
ではあるものの、あの世からはわからないから、彼自身は気楽だ。
いずれ、返って来ないお金のことなど皆んな忘れ去ることだろう。

後世、わたしの子孫が頭の隅っこにインプットされたことは、そのうち流れてしまう。
彼の子孫はそんな事実を全く知らないまま。潔白なまま。
不公平だ、アタマに来る、と思うなら、裁判で訴える手もあるが、しない。
こんなかんじで、人と人、国と国は、解決されないままのいざこざ、揉めごとは、やがて紛争の火種を抱えたまま、時が進んで行くのだろう。

わたしは自分の代ではマイナス要素はできる限り持ち越さないことをこころがける。
トラブルが怨みに発展しないように、気を付ける。
人に与える怨みは、なかなか消えない。
自分が抱える怨みは、ブログにでも書いて発散させる。
もちろん誰か特定できないように。