いろいろ、こころに傷を持ったまま、溜め込むことはある。
過去完了形なら良いが、まだこれからも続くとなると、傷が癒えることがない。
未来に続くと考えるだけで、絶望的な気になる。
そういう時は、わたしは解決出来ないまま、細切れに休憩する中學
休憩しないと身が持たない。
対峙しない。
一旦、ほっとく。


話はころっと変わる。
政治家で、実は女優。
教師で、実は登山家。
美容師で、実はアスリート。
医師で、実は陶芸家。
お風呂屋で、実は絵本作家。

そういう、もう一つの意外な顔があると相乗効果があって楽しい。
主婦で実は○○、というのはよくある。
片方(主婦業)はわりと自由度が高い、個人の価値観がそれぞれで、評価基準があいまい。
両方ともが、ガチガチハードなものだと、両立は難しい。
引退してから、もう一方の趣味に本腰を入れることが多い。
が、不自由な環境の中で頑張って時間を作るからこそ、絞り出せるものがあるservice apartment月租
人間って不思議だ。

わたしは、今は主婦もしていない、妻もしていない。
時々、主婦と妻をして、首の皮一枚でポジションに繋がっている。
なので、夫に「おかあさん」と呼ばれると、わたしはアンタの母親じゃない!と、なぜかムカついてしまう。
娘に「おかあさん」と呼ばれると、死ぬまでわたしは娘にとっては、「おかあさん」なので、べつに問題ない。
が、夫に、「おかあさん」と呼ばれる筋合いはない。
「おばあさん」とでも呼ぼうものなら、顔は鬼と化している。
なにぃ?だれが「おばあさん」なん?!
実際は、おばあさんなんだけど。
おばあさん以外の何ものでもないのだけれど。
言われる相手によって、こうも気分が変わるなんて、勝手きままなのだろう。
が、何かわからない黒いものが気分を悪くさせる。
言いがかりと、取られるだろうけれど、そういう気になるものは、抑えようがない。

孫までいるのに、なぜいつまでも、おかあさんなのか。
ムカついてムカついてしかたない。
娘たちは別のところに住んでいるのに、いったい誰のおかあさんなのか加拿大移民新政策
呼び名ひとつで、わたしはものすごく不機嫌のどん底に陥る。
この意識の違いは何なのか。
わたしが吐き気を催すほど不快になっているのに、夫はその状況を全く気づかず、気にも留めない。
さすがに、「おかあさん」て、何?それ?と、わたしは夫に言う時もあるが、いまだに「おかあさん」と夫は言う。
神経と感情の線をブチっと自分で断ち切って、もうどうでもよくなる。

ついでに、疑問に思うことがある。 
せっかく、娘一家、孫たちが来てくれているのに、夫は隣の部屋でTVを観る。
放送中のものならわからないでもないが、何十年も前から延々とやっているワンパターン時代劇の録画。
なにもわざわざ今、観なくても良いものを。
全く理解できない。
新婚当初から理解できないまま。
人の嗜好は、それぞれ。
押し付けたり、強制したりしなければ、それでよい。
期待しない。諦めている。

子育てが終わり、親を見送った後は、もう何もない。 
だが、そう言ってしまえばそれまでで、終わってしまう。
別に夫婦を終わらせたいわけではないので、積極的に喧嘩をしない。
日本人にはとても多いと思われる日本的夫婦である。
仲良くしようと努力も一応している。
今更、波風を立てても誰も幸せになれない。
個人と、個人が、同一空間にいる。
ただし、2人の過去は重なる。