バスで見た母子。
ベビーカーに乗せられた生後数ヶ月のベビーとママ。
わたしが抱いている母子イメージが、以前街でよく見かけた母子と最近、変化している。
前は可愛い赤ちゃんと、若々しいフレッシュな母親。
今は、、、見かけには拘らない生活実質主義の、地に足が着いた、やや年がいった母親。
キャピキャピ感、ゼロ。
チャラチャラしていない、どっしりした質実剛健型の服に、眼鏡。ノーメイク。
見方によれば、経済的余裕がないようにも見える皮秒去斑

これは実はわたしの次女もこのタイプ。
華やかさは皆無だが、やたら人生の重量感がある。
1番の特徴は、若くないこと。
ちょっと前ならとっくに子育てから解放されている年齢。
実際、わたしが次女の年齢の時は、子供たちはもうじき中学生だった。
晩婚化を肌で感じる。

キャリアを積み、経済的にもやっていける実績と自信をつけた後に、子供をもうける。
偉いと思う。
どうにかなるさ、ではない。
その点、わたしは、宿の女将任命は、数年に一度だろうし、あとは、週に数回開かれる簡易食堂のおばあさん。
(じわじわ回数は増えつつあるものの)
まあそれはそれで、楽しませてもらっている美容 facial

ただし、わたしと晩婚女子のそれまでに至るプロセスやキャリア、道のりは違うが。
人生コース、分岐点で分かれても、最後あたりは合流。
わたしの場合は、最初からフルコース設定を自分で設定したため、変更が効かず、苦難の日々もあった。
じつのところ、わたしが臨機応変、柔軟性の塊りの人間性であるため、ガチガチに固められたコースもなんのその。
道草くいまくり、お花摘みまくり、鼻歌うたいまくり、買い食いしまくり、、、、、
とりあえず、約束の時間、場所に行けばいいんでしょ?!とばかりに、時間を逆算してサボりっぱなし。
そのサボっている時間を目いっぱいフルに働いていたら、ゴールはまた違っていただろう。
(ゴールの設定が肝)
それこそ輝かしいキャリアを積んでいたかも知れないが、もう定年だし。
いくら輝かしい舞台を自分で築きあげても、降りる時間。
それからの新しい舞台を用意しなければならないthermage 效果

そう思うと、道草くいまくり、サボりっぱなしキャリアを積んできたわたしは、サボり方、楽しみ方を自分流に構築している。
今更、新しく考えなくてもよい。
というか、サボってきた分、エネルギーが枯渇せずに、まだまだ潤沢にある。
かと言って、ハードに精一杯、人の役に立つような良い行いをするかというと、出し惜しみする。
わたしの歩みは、まさに出し惜しみ人生!!のようだ。
あるのに、出さない。