人の力を借りなければ出来ないというのは、よほどのことである。
麻薬中毒やアルコール中毒など、重度の依存症で自分の意思ではどうしようもないケースだ。
あるいは、病気や身体が動かないために、人に動いてもらって片付けたり捨てたりする移民顧問
しかし、指図するのは、自分だ。
結局、究極は自分なわけである。
断捨離も自分と向かうための手段に過ぎない。

自分の人生なのに、自分の歳の半分の人からアドバイスを受けても、、、
そのモノにトキメクか、トキメカナイか。
それは本人の考え、感性に委ねるしかない。
が、認知症で考えや感性に問題がある場合は?
自己責任の範疇を超えている場合は、自分ではない他者に従うしかないのか。
しかし、認知症かどうか、分野的にまだらな場合は?
認知症だからと無理やり、こだわりの品を処分してよいのか?
その時期になれば、周りは本人にわからないように処分していけばよい。
本人にとって、知らないことは、なかったことと同じ日本移居
へんに、神経に障るようなことはしないほうがよい。

ということで、断捨離は自分でします。
ほっといて、ちょーだい。
自分が向き合うべき、問題が詰まったまま、解決を先延ばしにしている人生ではないので。
自分と向き合っても、自己肯定しかない。
じゃあ、公共の場にモノを積んで皆さんに迷惑かけているわけでもないのだから、断捨離しません。


1つ目の番組感想だけで、こんなに書いてしまった美國大學
しかも、眠くなってきている。
わたしの人生対峙は、眠気との闘いかな?
なんて、お気楽なんでしょう。
眠気が襲うというのは、脳がもう受け付けないということだ。
いたって容量の小さな脳に、わたしは救われていると多分思う。