◯2012年からの日記◯ADHD妻とアスペルガー夫【精神障害者手帳持ちの妊娠出産育児】

◯2012年からの日記◯ADHD妻とアスペルガー夫【精神障害者手帳持ちの妊娠出産育児】

2012年から始まったブログ。二重手術、豊胸手術、羊水検査、出生前診断のこと。
夫婦で発達障害、気分障害、長女発達障害。
愚痴ばかりのブログ。
41才にして変形性膝関節症

ADHD、気分障害2児の母
ごめんね 私達なんかが遺伝子残して

私と母ADHD

夫と姑ASD  なんですが

姑と実母の仲が最悪です。


ADHDとASD併発してる人少なく無いっていいますが


ADHDとASDって割と水と油ですよね?


ADHDは人懐っこい人多いように思えますが

ASDは人に興味ないように見えます。


私も最近は健常者じゃないことがバレますから

時と場所を考えて押し黙ってる時も増えました。でも、男女問わず気に入ってしまうと割とうまく喋っていたりしますが

健常者じゃないことをバレていい人かダメな人か観察することはやめれないです。

最近、人の好き嫌いがハッキリしてきてそんな自分がイヤです。


ASDもADHDも割と人との距離がバグってる所があると思います。

ASDはこの人!って人、見つけるとくっつき虫のようになる感じがあるように見えるのは私だけでしょうか?


母は元ヤン。

私がつけまつ毛をするのも母の影響か?

母の若い頃の写真はインパクト十分であった。

上瞼下瞼につけまつげをつけ

顔は真っ白、真っ赤な口紅に美しい茶色い髪。70年代、派手に遊んでいた母。

持ち前の人懐っこさと強引さを武器に真面目な父を支配下に置いた。

人懐っこさは見事に遺伝した。

資生堂のBAをしていた母は生まれもった

饒舌さがありうまくコスメを売っていたのだろう。大門(名古屋のソープ街)の嬢が臭かったとよく思い出話しを口にしていた。

タバコは妊娠中も少し?吸ってたらしい。だから姉はアホなんか。(人のこと言えんね)

毎年夏2週間ほど母の実家に預けられるのだが

意地悪い伯母と小指がない伯父。

伯母は母の実の姉で

母、伯母、祖父、私で頬骨が目立つのだ。

あー恐ろしや。

意地悪く母性が垣間見れないが

いとこに(長男)だけは母親らしき態度をとっていた。

伯父はやっさんエピソードが迫力満載である。(伯母と結婚前にカタギになったとは聞いてる)

花火大会の帰りの駅での騒ぎは忘れられない。

「子供ら、殺す気かー!?」

将棋倒しが起きそうなぐらい駅が混み合ってしまい切符切り?の上に立ちすごい剣幕でそう怒鳴るのだ。伯父は確かに4人の子供を連れていた。いとこ二人私ら姉妹二人。

まわりの人もそのようなおじさんが突如登場し余計にストレスに感じたと思う。

いや、あそこ(和歌山のような三重のような所)はそのような人間は珍しくないかもしれない。

まあ、酷い場所であり4,5年で母実家に送られる事態は終焉を遂げた。

男の従兄弟に執拗に意地悪をされた。

私の「なかよし」にでかい鼻くそをつけたり

父方遺伝の大きめの前歯は毎日のように揶揄したり。

クソな長男を伯母は可愛がっていた。

そいつの2つ年下に姉と同じ歳の妹。

毒母、毒父。

そんなもんだから長女とは絶縁状態。長男とは繋がりはあるらしい。

想像を絶するど田舎にそんな仄暗い家庭があり

世界遺産がそこらじゅうにある

とてもいい所だけど先祖代々住み着いている人々は個性あふれている感じがある。

紀伊半島は素晴らしい。絶対住みたくないけど

今でもすごく行きたい。


三重県が舞台の

「光が死んだ夏」にハマり母の実家を思いだすことが増えました。

なにか黄泉の国に近いところはあります。

7歳の頃、母の実家のすぐ近くで妖怪のような神様のような者を見た記憶があります。寺に続く細道に耳たぶがやけに大きい妖怪?を見たんです。

人の形をしていましたが現代にはそぐわぬ格好、

着崩した白い着物を着て耳たぶはとても大きい。


今思いだすと少しゾッとしてきました。







ADHDも闇が深い。子供の頃から自分はまともに働けないだろうとわかっていた。体力も無いし物覚えも良くない。なりたい職業はあれど自分の才能では食べていけないような業種だった。(物書き)

高校三年ぐらいの頃、自分の中でそれが現実味を帯びてきて大学は8年間在籍しようと決めていた。

高校時代、家のポストに探偵事務所のチラシがたまに入るようになり探偵という職業に興味を持った。

親に将来どんな仕事をするんだ?と聞かれ探偵になると言うと笑われた。探偵というのもリスキーな仕事だなあと思い結局、19才の誕生日の3ヶ月前、夜職についた。

当時はネットもあまり普及しておらず夜職というのは一般的な女性からすると敷居が高かった。

だから店が女の子で溢れるといった現象は起きてあらず

ガキの自分でもあまりに稼げるので大学もおざなりになり3回生の4月に退学。

19才で親に食事を奢ったり、お金を貸すという名目で20万円ほどは渡していた。自室にいると母親が頼みにきたのを記憶してる。

大学は普通入試で入った。合格直後、担任に受かると思っていなかったと言われたのを覚えている。

大学受験費用8万円そんなん払えるような家庭ではなく借金まみれで親には高校卒業後の進路については知らんぷりされていた。8万円を稼ぐために夜職を始めた。

私は定時制高校でしたので高校在籍中、高校四年で夜職デビュー。若い頃はエネルギーがあったな。5ヶ月の猛勉強の甲斐あって大学に入れたんだもの。その5ヶ月を除いては高校4年間少しも自宅で勉強などしていなかった。宿題すらなかった。

テスト勉強は直前に教科書を目に通せば文系の教科はクリアできていた。定時制高校では中学生レベルのことを習っていたと思う。


私は中3の9月から卒業の間の半年間だけ登校拒否していた定時制に行ったのはそんな事情がある。クラスに誰一人友達がいなくなり中学に通えなくなった自分。

あの時落ちこぼれなかったら今どんな人生を歩んでいたんだろ。高校時代の彼の影響もあり夜職は高い敷居ではなかった。

その彼とは同じ高校で、私は1年で彼は4年。高一の5月、美容外科で二重にした数日後にその男に告白された。

下校中、明日の授業後に一年のクラスで待っていてと言われた。初対面は「なんだ?このおじさん」と思った。

その声かけまで彼の存在を私は知らなかった。7つ年上だった。

誰もいない教室で告白され困ってしまった私は「友達からならいいですよ」と言ってしまった。その時はまさかその男に自分がハマってしまうとは思わなかった。

その男からある種のDVがあり今でも心に引っかかる物を残してくれた。

5年ほど交際して20才で出会った新しい彼はその男を恐怖し遠くに引っ越しまでしていた。その男は反社と繋がりがあったから。

私はその男が高利貸しを始めると言い出したら止めていたし交際2年目の頃、寿司屋に食中毒になったと治療費を請求していて頭の中は疑問でいっぱいになった。まさか、自分の彼氏が悪人だなんて思いもしなかった。

屈託のない笑顔、普段はお兄ちゃん肌で優しかった。

交際3年目その男は反社?の男とトラブルを起こし気が狂ってしまう。運転中、「映るんです」で気になる車のナンバープレートを撮影しまくって同時に不眠症にまでなり精神科通いを始めていた。

その様を見て18才ぐらいだった私は自分も被害者にならぬよう心から気をつけようと感じた。

彼の父親とは仲良くした。彼の父親が購読していた赤旗を彼の父親の前で私はこれ見よがしに読んだ。

彼の父親もまともに働いてはいなかった。彼もまともに働けない男だった。暴力する男ばかりと付き合う女性がいるが私の場合は働けない男と縁がある。

自分もまともに働けない人間なんだ。

類は友を呼ぶというやつだろうか?

1割2割働けない人間がいる。なぜ働けないのか?

身体障害、知的障害、精神障害、発達障害、人格的な問題、育ってきた環境

子供の頃から慢性的に無気力。

私の場合はADHD、子供の頃から慢性的に無気力だ。子供の頃から情緒不安定だ。

家庭環境?

私は宗教二世被害者だ。貧困もあった。

幼い頃、長い時間「すごい部屋」に軟禁状態。それが幾度かあった。その間、母は宗教活動を。


まあそのすごい部屋というのは通称子供部屋と呼ばれ

悪臭が漂う子供達の泣き声、騒ぎ声でうるさい部屋で世話係のおばさんもたまに性悪なのがいた。

子供は汚物扱いされ中1になるまでは最上階の御神前に上がるのは禁止とされていた。

長い時間よその家に預けられるというのもあり保育園に入るまでは

覚えてないだけで結構な悪い環境下で時間を持て余していたのかもしれない。

母は働いていないのに保育園に預けることに成功していた。

しかしながら母が夜遅い時間まで毎日のように宗教活動で姿を消すようになったのは小3頃からだったと思う。


なぜ宗教に没頭したのか?

育児より宗教のほうが楽しかったからだろう。

宗教のおかげで医療ネグレクトに遭う。

幼いときの喘息発作が苦しかった記憶は消えない。ただただ2段ベッドの上で治るのを待ち耐えていた。


小学生時代4年間ほど

夏休みは毎年2週間ほど母の実家に預けられた。

和歌山と三重の県境らへん。

和歌山という陸の孤島についてまたブログをアップしたい。