先の「沈黙の対立因子」にあげたのは、とくに営業と製造の確執だが、もうわかると思うがこれこそが 真に我々一般人がテレビの画面でみる政治経済問題よりはるかに”多く”触れていて 場合により寿命すら縮めることになる 社会で最も辛い「難しい人間関係」の縮図である ハッキリいっておく勉強しても人間関係の苦しみは”現社会”ではなくなるはずもない
なぜかといえば あらかじめ想定され組み込まれた構図であるからだ

 多くの人は、こういった沈黙の諸問題が現社会で絶対解決不可能とわかり心身ともに疲れ果て 政治に無関心になるのである まともな神経の持ち主であればこういったことは労働組合や共産社会党などに傾倒しても 場面が変化するだけで苦痛がなくなるわけではないことを知ってあきらめるのである この意味わかるだろうか?
 例え労働組合で頑張り勝利しても さらに会社からは憎まれるだけだし また労働組合の人間関係もはじまるし たまったもんではないのだ それに現代では労働組合というのは、大方反日勢力に結びついているし そんなことやってる段階でまた別の問題が発生して終わりというわけだ
 しかしこんなことは本質的問題とはならないのである 我々は誰だってわかることは、暗黙のうちの了解で 政治とは違い、会社という違った世界の出来事であって会社という存在の本質から見直そうということにはならないのだ! しかしちょっとまて! でもこれは多くの人がより現実的に直面する問題で「ごくごく一般的現実」なのである

 ここで自分は何がいいたいか?それは、職性に区分けされることではじまる人間性の阻害だといいたいのである
多分大方の人は、「何を甘ったれたこと言っているのだ!」と思うだろう しかしそういうあなたは この系統の強烈な葛藤はなかったのですか?そうじゃないでしょ?
実は今抱えている胃潰瘍は、こういったことが問題なのでは?これこそが現実でしょ 自分は何も堕落した人間をかばおうとしているわけではないのである 「昔はもっとひどかった!」という人にいっておきたいのは 江戸時代はこんなもんほとんどありませんよ っということだ

 現実に こういった立場や人間性の違いで本来スムーズに進行するはずのものがそうはいかなくなったり またそもそも社会全体からみると余計なものをその会社の売上Upという目的のみで生産されてしまうことがいいたいわけである 現に知人からはここ1.2週間の間にもそういったことを聞いている 最も肝心な真に会社に創造的な意見は無視され強引な売上Upという目的に特化されていくのである それは別に知人から聞くまでもなく自分も過去似たような場面にほぼ毎回出くわしている
 
 こんなことは実に最初から明白にわかることで 営業は製造を経験して初めてその気持が認識できて 製造は営業をやることではじめてその認識をえるのだ
だからセールスエンジニアリングということになるのであるが・・・・
だからあからさまにわかることは 両者ともその役割を交互にできたにこしたことはないのである そうすれば先にあげた、職人根性に衣をかりた非常にナンセンスなバカなことは自然にできなくなるし またもし製造者のことを考慮できない営業がいたとしたなら その人もナンセンスな受注はしなくなるだろう そんなことをすれば次にその被害は自分がこうむることになるからだ! これは当然 営業と製造といった枠内にとどまらず 広い意味であらゆる部門でいえることなのである
だから昔の会社は、今も残っているが、幹部社員はあらゆる部門を経験して主任→課長→部長と出世していくのである

 つまりこういった問題は、つまるところ全体を知らずば 究極的には部分も知らないに匹敵するというごくごくあたりまえの摂理である
ではどうすればいいのか?極論をいってしまえば こいつは営業こいつは製造という具合に半永久的に人を区分するという思考は、究極的には間違いだといいたいわけである
ちょっと子供に戻って考えてみよう 「あなたは営業ですか?」 違いますよね? あなたは・・・太郎という人格ですよね
 そんなこといったら会社は成り立たないじゃないか?もちろんです 今の「会社」という形態は成りたたないでしょうね しかし今の「会社」という概念がないと世の中生産物がなくなるのですか? 会社というものが存在する前から事業は存在してるわけである でも昔から存在している「事業」というものも結果論的産物だということでは同じである
しかし現在は人ゲノムの解析が終わっていて かつ ネットが世界的に使える社会である
これらをうまくつかえばネット上のサービスだけでなく、現実の社会で”ムラのない真の創造性”に基づく社会メカニズムが確立できるのではないのか?と思うわけである
 
 自分は最終的には 「会社」という概念はもっと根源的に問い直す必要があると思う それは「会社」という概念がどう社会に出現したかを述べずに説明しても意味ないので会社については、今回このあたりでおわるが、はっきり言いたい点は、単純部品加工も素晴らしい仕事といえるが じゃ一生それだけでいいのか?ということである
もっと人間一人一人素晴らしい創造性をもっているはずなのだ 天職は一生部品加工で 後は ほんとに好きなことは趣味の領域に押し込められ 第2に好きなことはサイドビジネスで半端にやり やがて数年後に実は もっともっと自分に向いている何かを発見した時には人生の終盤に差し掛かる世の中でいいのか?というこだ

 でも今はこの 会社と資本主義のメカニズムに関する論はおいておいて 先のこの「区分け主義」でしか思考できない現在の社会で 会社から場面を移し今度は、もっとマクロ的範囲に目を移すことにする するとどうだろう 先に話した 営業と製造の確執は、政治行政の部分でも思い切り現れていないだろうか?
長くなったので方法論的具体論は後に回すが、自分は先のブログ 全ては細分化 でも書いたが現在の我々の最大の弊害は何であろうか?
全ては細分化 では、金 だといったと思うが ここでは新たな 視点を掲示したい そう! 「区分け主義」 である
この 「区分け主義」 こそが! 例えば年配者が、かつて新人の特に世間知らずの「若い女の子」に感じる あの言葉である
「私は、・・・をやれと言われているだけなので それは知りません」 といって5時ピッタリに帰ってしまうといった現象である どうかな? おわかりだろうか?
この「区分け主義」 こそが 近代文明を発展させた元ともいえるが人々の精神が乾ききってしまう 最大の弊害の1つであろう

 考えてみるとこれは 想像を絶するほど 今の人や社会を表している 問題は区分けしたことによって効率は増すが、相手の立場は理解できないというか
「切れた思考」を生み出してしまうのである この「切れた思考」の最終到着駅は、喧嘩であり社会的不調和であり 政治バランスの欠如なのだ わかるだろうか?