今回ちょっと特別な事情のため 昔ブログにUPしようとしていた 因果応報について自分が訴えたいことをUPすることにした 急ぐため 当時書きかけのものを そのままUPしておく

全くもって書きかけで 内容が飛び飛びでまとまりを欠いている

そしてこれは 今自分が直面している複雑な事情のため残すことがその第一目的である

このページに関しては、政治的目的は一切ないのでご了承ください

まるで宗教団体の教祖みたいに振る舞う気なども毛頭ないのであしからず

 

『今流行りのワンネスについて』

 

現代の政治形態は 人の360度数ある対立因子のたった一つの対立するベクトル(資本主義的⇔共産主義的)を利用しているに過ぎない

例を上げればキリがないが・・・
唯物論者⇔唯心論

世代間の意識

都市部の意識と田舎の意識

男性意識⇔女性意識

自然派⇔技巧派

暗黙の対立因子は数えあげればキリがない

 

個性の欠如 国性(個性の国版の造語)がなくなった時点で世界は その存在意義のほとんどを失う

 

このブログは国語力(現代文解釈)に自信のない人は読まないでくださいと申しあげておく

 

 瞑想修行にとって またさらなる自分の内面の統率 つまり人生上の目標達成を成し遂げるステップにおいて 最も障害になる分野は、自分にとって現在 政治的関心事である
なぜにそれがいえるか? 答えは簡単で 現代において政治的関心事というのは 多かれ少なかれ 政党政治の世の中にあっては、レッテル張りに関連してくるからである。 この政党政治により展開される世界は何事もレッテルであり それは政界だけでなく あらゆるものがレッテルにより管理されることを意味していて こんな統治術を選んでおきながら あれやこれや問題問題とさわぐのは本来間違いだといえるだろう
なぜかといえば これは同一意識波長から展開されていると有り有りわかるからである。

 

 政党政治が機能している現代において 至極当然の結果としておこる現象で それはそのまま 物事のありえない区分けを生みだし 本来同じものを違うといい 違うものを同じとみたり 人の精神にあっては あたり前の結果として対立が発生し 混沌のどん底へ突き進むのみである これは間違いのない事実で まさに政党政治=地獄への登竜門といえるであろう。

 

 瞑想的世界に関心の深い人には、このような修羅界にも似た世界に関わるのはまっぴらごめん被りたいことである 何も上のようなことをいわなくても まともにこの政治世界なるものをみれば単純にいって 心乱れるからだ

 しかし 自国の意味あいが消えてしまうような事態が進行しているとなると ちょっと黙ってみているわけにはいかなくなるというものだ


 自分はワンネスという 元々は東洋人が獲得した世界観を 英語のカタカナ読みで表現するのは それが精神に関連するものであればあるほど嫌な気分だが 現在日本において 唯一不可分の悟りの境地を もっともわかりやすい言葉で表現する場合 現在においてこれが的確なのかもしれないため あえてこの言葉を使うものとする

 真剣に真面目な頭で、あなたはこのワンネスというものを考えたことがあるだろうか? 言うのは簡単だが自分がいっているのは 少なくとも体感までには至らなくても、形而上の完全に正確な意味でこれを認識できる人が どれくらいいるのだろう? ときたま思うことがある

 

 例えば A君は、友達と飲みにいった際、気にいらないことがあったとしよう その帰り際そのあたりに徘徊している浮浪者を蹴飛ばしたとする


その行動は その蹴られた浮浪者に気付かれることなく また他の一切の人にバレなかったとする


もちろん 本人も そんなことは 家に帰って間もなく忘れてしまったとしよう

 

 さて ここで 仏教の因果応報を思い出して分析してみよう この 浮浪者を蹴飛ばした行為は どのようにその人に跳ね返ってくるか?


ワンネスの認識が 多少なりともわかる人は これに 合理的に答えられるはずである
まず この場合 この事実を物理的に知る人は A君のみである A君しか知らないというのが前提である


答えは 実にシンプルで あなたの世界においてあなたが自分に裁定を下す結果になるのである

 

ユングのいう集合的無意識の解釈の認識が問題で それぞれの最下部の集合的無意識は 全く同一のもの この場合の同一という意味が重要で 同じものが2つ存在するという意味ではなく まったく同じだといっているのである つまりAさんとBさんの最下部の無意識は 全く同一で 2つとない たったひとつの意識だということである。


 ということはもうおわかりだとおもうが 上の例でいえば A君は自分を蹴り飛ばしたのである ここが重要で 意識相のフィルターにより 上部の意識はそれがわからないだけなのだ まして体は全くのあかの他人である そして表面の意識もそれぞれは別人だと思っているわけだ わかるだろうか?

 

 その反応は 浮浪者の意識の最下相=A君の意識の最下相で感じ その代償をA君の意識の最下相以上の意識がその痛みを緩和する方向にA君の世界が動き始めることになるのがワンネスの仕組みである。

 もちろん この場合の 意識とはほとんど全て無意識の世界であるため それが通常意識ではよみとれないだけのことである


 もっとわかりやすく言うならば 自分で思い切り 自分の足でもつねってみよう あなたは その痛さに あっイてぇ~と言い その箇所をなでるなりなんなりするだろう そして その痛さをしばらく我慢することだろう

 

 そのような反応が 心の深い領域でおこることを意味している

 浮浪者を蹴り飛ばしたA君の無意識の最も深い相が 蹴られた浮浪者の無意識の最も深い相と全く同一物(仏)である 最奥の意識相は、物理的に全くの 同一物 つまり完全な同一人物なわけだ

 

 もはや その領域では 蹴ったものと蹴られたものは同一の意識なわけで、その反応が自分の意識の最下相から上の様々な違う集合的無意識(他人の)を含めたドラマとなって その反応が現れるから現在の科学では分析不可能というだけのことである 意識というとらえどころのないものだからわからないだけである。

 

 つまり A君の人生上に その物理的痛さと心的痛さがどうであったか? 知らされることになるわけである それはあたかも 自分が足をつねった場合に 足の細胞が 脳に”痛い” という信号をおくり 手の指に つねる行為をやめさせる信号をだすのと同じで 生物同士の因果応報の場合 それがどういうことなのか 見かけ上違うように見て取れる違う事物の現象となり完全な形をもって知らせることになるのである この場合 時間というパラメーターは一切関係無しである。要点はA君がそれを完璧に理解実感認識するかどうか?という形となりA君の世界が展開されるわけである


 もちろん 展開される過程において どのような人、物、事柄がそのプロセスに介在するかも測定不能といえるのである 人の心が介在する以上その連鎖連携反応は、現代科学で測定不能というだけのことである これが原因と結果の法則である


そう!あなたが自分の足をつねり その足の細胞が「痛い!」という信号をあなたの脳におくる理屈と全く同じである

 

 そう まさしくA君は 自分を蹴り飛ばしたのである そのカラクリは集合的無意識の最下相は、全く同じ 唯一不可分の意識だからである


それがワンネスの仕組み 正確にいえば 宇宙にたった1つ存在する根源的意識だといっているのである


 もちろん 表面はそれはそれは生物の数だけ複雑にできていて 誰もがまさか根っこが全く同じものだとは認識できないだけのことである

もちろん 根っこにいくまでは 幾多の階相が存在していて そんな簡単に実は根っこが同じものだとはわからないだけだ もちろん これが簡単にわかることなら 世の中人が人を苦しめることはないのである なんといっても意識というとらえどころのない特異点的事柄だけに 科学的立証はまず無理だろう

 

  このようなインド哲学(ウパニシャッド、ヴェーダ)に代表される仕組みがデタラメだというなら では聞こう 人は罪なことをした場合 それはどことなく まず自分が心のどこかで気になるものである また悪夢にうなされることもある 悪人であっても

それが紛れもない証拠である 人はいくらでも騙せるが そんなことは全く意味がないのである なぜか?

最も怖いのは 人間である限り自分の意識という最高に恐ろしい生物網ネットワークの1片を担っているCCDカメラは騙せないということである

このような原因と結果の法則は、どんな複雑な形態でも寸分の狂いもなく神業的に正確に自分に跳ね返るものである 

 しかし この理屈を完全にまるで油が塗っていない歯車の噛みあわせのように解釈してしまっては それこそ世界は機械反応になってしまう
 
そんな単純なものではない ただ要点は その行為がどのようなものであったのか? ということがその人の後の人生に 言葉を超えた完全無欠の実感となりわからせる反応となり現れるというのがポイントである ほんとのほんとにそれが言葉をこえた認識と体感で完全に理解できるまで現れ続けることを意味している なぜか?


 最奥の心が物理的に全くの同一人物だからである

 

 間違ってはいけないのは、自分がしたことがただ単なる物理的反応となり返ってくるということではなく 上にもあげたが それがどのようなことを意味していたか?という完全無欠の”実感”として後の人生が展開されるということだ、それが完全に実感として身も心も完全認識されたとき その原因は消え失せるといえるだろう 足をつねった例を考えればわかることである
このような理屈は 人間誰しも程度の差こそはあれ 50近くにもなればなんとなくわかってしかるべきだとおもうものだ

 

尚こういった ワンネスによる引き起こされる様々な現象は、ネット上では それが起こる可能性がより早いといえるだろう それは2つの側面があり まるで自分の訴えを寸分の狂いもなく聞いているかのような現象がおきることがよくあるものである それにより勘違いして人を強烈に混同する者がいるものだ

それを冷静に観察することでも 人の意識が繋がっている悟りに早く到達するといえるだろう