おこめとチョコレート

おこめとチョコレート

舞台俳優、ダンサーなどやっております。ひっそりブログです。

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続編。

そのいちから読んでね。

里帰り出産だったが、
コロナのこともあり、
早めに実家行って二週間隔離してから
秋田の病院来てください、とのことだったので、
産休も早めに入り、11月末で仕事納め。
母が東京に来て、
あれよあれよと言う間に帰省日。
旦那と離れることより
たむと離れることの方が辛かった。
なんにもわかってなくて
いつも通りニコニコしてるたむたんを見て、
私撃沈。

秋田行ってからは、
冬のため毎日天気が悪く、
家から出ない生活。
秋田での病院で初めて高血圧気味と言われる。
そして急に太る。

そりゃー今まで多少なりとも動いてたのが、
秋田行った途端なんにもしなくてよくなるもんね。
太るよね。
味濃いしね。
そこからは父母と共に減塩生活。
付き合わせてすまん。

妊娠後期で辛かったのは頻尿。
2時間に一回は少なくとも起きてた。
よくもまあこんなに出るもんだ、と思った。

臨月に入り、
病院が一週間に一回に。
東京の助成券は使えないので全額支払い。
(あとで戻ってきたけどね)
出産に控え、あれもこれもと用意していると
みるみるお金がまたもなくなる。
いろんなひとからおさがりいただいたけど、
買わなきゃいけないものも絶対出てくるわけで。
ベビーカーも抱っこ紐もお洋服も
たくさんもらったから
まだマシだったかもしれないけど、
通帳と睨めっこの日々が続く。
だって産じょくパンツなんて初めて聞くよね。
母乳パッドも搾乳機も知らなかった。

そして下がらない血圧。
毎回管理入院ギリギリの値で
病院の回数が通常より増える。

こりゃーいかんと慌てて
マタニティヨガとビクスを始める。
父より体重の増えた私が
ドスドスやってるのは
さぞ面白い見た目だったでしょう。
隣に住む甥っ子が見に来て、
スクワットしてるお尻にカンチョウされて
マジギレしたりしてた。

予定日の二週間ほど前におしるし。
2/8がもともと予定日で、
私の子どもだからせっかちで
早く生まれてくるんだろうなーと思っていたら
案の定早かった。
娘一月生まれです。
そこから一週間ほどかかったが、
毎晩「今日はどうする?生まれる?」なんて
呑気に相談してた。

そして出産当日。
夜中のトイレに起きようとしたところ、
ん?おしっこか?と思いつつ
あまり気にせず睡魔に負ける。
AM6:00に破水。
さすがにわかった。
途端にバタバタする佐々木家。
そんな朝に限ってなぜか
車の鍵を失くす父。
慌てふためきキレる母。
陣痛はまだなので、余裕で、
あーこのあと仲直りすぐしてくれたらいいなー
なんて思ってた。

無事車の鍵も見つかり、いざ病院へ。
まず抗原検査。
問題なく、父母とはここでお別れ。
なんとなくお腹が痛くなり始める。
まだ余裕。

赤ちゃんの心拍やエコーを2時間くらい?
確認してから昼頃一旦病室へ。
このあたりから痛みが出てくる。
でも感覚はすごくあいてたから
寝て、痛くて起きて、寝るの繰り返し。
面倒で病室の冷蔵庫のカードを
買いに行かなかったことを
このあと半日後悔することになる。

15:00頃に再度検査。
ここらでまだ15分感覚くらい?

でも例の血圧があれれ?となり、
分娩台の上から動いちゃダメ令。
お医者さんが来て、
緊急帝王切開の可能性を説明される。
そして今から検査しますと。
寝ながらにして、
心臓の検査やったり、
ぶっとい注射で血ぬかれまくったり、
血圧さげるための点滴両腕に打たれたり。
説明のため今からご両親を呼びます、
とかなっちゃって、
陣痛来てないときは冷静なので、
なんかオオゴトになってきちゃったーてへ、
って思ってた。
血圧高いだけで
私は普通だったからね。

17:00頃から痛い痛いが続く。
まさか分娩台の上から動いちゃダメと
言われることになるとは思わなかったので、
ぬるい水がペットボトルに半分以下。
大丈夫か、乗り切れるのか!
ペットボトルにストローつけるやつで
飲んでたけど、
残量わずかになってくると、
すごい勢いで吸わないと飲めない。
そんな力はない。
冷たい水をくれー!と言いたかったが、
病室に戻ったって
そもそも冷蔵庫スイッチ入ってないから
冷たい水はない。
なぜあのとき!冷やしておかなかったんだ!
とめっちゃ後悔。
まさかこのまま産むと思わなかったしねー。
冷たいのは自販機で買えばいいや、とか
思ってたもんねー。
甘かった。
そしてなぜかすごく暑い。
単純に処置室が暑すぎる!
赤ちゃん生まれたとき
寒くないようにかな?なんて思って
言い出せなかった。
言えばよかった。

夕飯が出たけど気持ち悪くて全く食べられず。
デザートのリンゴひとかじりしたら
嘔吐しましたので諦めました。
トイレも許されずカテーテルで。
あれめっちゃ痛いのね。
2度とやりたくない。

隣の処置室では珍しいことに、
私と進み具合が全く一緒の妊婦さんがいるとのことで、時折私の周りから全員いなくなる。

え、いいの?
1人にしちゃっていいの?
もう生まれるんじゃないの?
と動揺がすごい。
あとでその妊婦さんと話したら
向こうも同じこと考えてたみたい。

田舎の病院でいっぺんに2人とか
珍しいことみたいです。

寝てるより縦になってた方がいい、と
本で読んでたので、
あぐらで精神統一してた。
テニスボールも試したけど、
陣痛来てる時以外は単純に痛くて
すぐやめた。

このあたりから携帯も見れなくなり、
今が何時なのか、
あとどれくらい頑張るのか、
パラレルワールドに入っていく感覚。

入院前お気に入りの音楽かけたければ
かけられますよーって言われてて、
携帯から林檎ちゃんかけよーとか思ってたけど
痛みでイライラしてて
通常流れてるノーチョイスのミスチルにすら
嫌悪感を抱き始める。
危うく林檎ちゃんを嫌いになるとこだった。

さーそろそろ産みます。
長くなってますねー。
産みますよ。

とりあえず通常分娩で頑張ってみて、
無理そうなら即帝王切開に切り替えるとのこと。
終わるならなんでもえーから
はよやってくれー状態。
酸素マスクとかつけられるが邪魔すぎた。
いきんでいきんで、
頭が出た感覚があり、
もう一番大きいとこでた、と思ってたら、
助産師さんに「もう頭見えてるからねー」
と励まされて泣きたくなる。
この世の全てにイライラして、
はよでてこいやーといきみまくった。
初産と言えど、いい歳なので
恥ずかしいことは叫ばないよう
心に決めていたのはすごく良かった。
おかげでただの叫び声だけで終えられた。
修行僧のようだ、と自分では思っていた。

PM8:27娘爆誕。
後陣痛なんてかわいいもんだったが、
会陰切開したとこ縫われるのは
地味に痛かった。
でも頭はもう冷静なので、
気恥ずかしい気持ちになりながら
お医者さんとお話しつつ縫われる。
時折あへっと声が出る。
痛い。恥ずかしい。
ここでようやく、
「冷たい水をください」と言えた。
水難民卒業。辛かった。自分のせいだけど。

娘との初対面は泣くかなーと思ってたけど、
呆然としてたので
こんなに大きい生き物が
私の中にいたんだーと冷めた初対面でした。
産声はカエルのゲコゲコみたいな
割とドスきいてる声でちょっとわらけた。

コロナ禍のため立ち会いはダメでしたが、
立ち会いなくてよかった。
旦那にキレ散らかすところだった。
みんな他人だったので自我を保てました。

おなかにいたときから、
周りを笑顔にする赤ちゃん。
生まれたらもっと周りを笑顔にする赤ちゃん。
赤ちゃんってすばらしい。

以上、出産レポートでした。
退院のとき黄疸で入院になり、
私1人先に退院して泣いたり、
おっぱいを上手にあげられなくて泣いたり、
里帰りから戻って父母と離れるとき号泣したり、
ドラマはまだまだありますが、
出産に勝るドラマはないね。

確かに人生で一番痛い経験だったけど、
終わらないつわりよりは大丈夫。
一日頑張れば終わる、ってわかってたから
全然大丈夫だった、
と今となっては言える。

徐々に娘のいる生活にも慣れてきました。
娘は現在4ヶ月。
生まれたときの倍以上の体重になり、
ニターと笑ったり、時折声をだして笑ったり、
黄昏泣いてみたり、
抱っこしろ、と騒いでみたり。
寝返りもマスターして、日々コロコロ。
かわいいです。
これからいろんな人と出会って
笑ったり泣いたりするんでしょう。
私のように真っ当な仕事にはつかず、
親に心配をかけ続けるかもしれません。
なるべく笑って見守っていられる親に
なれたらいいな。
私もそんなふうに思われてたのかな。

娘の人生が実りある、
最高に幸せな人生になることを祈り、
手助けできることに感謝します。
私を母にしてくれてありがとう。

しんどすぎるので第二子の予定は
今のところありません。

これから恐怖の離乳食開始、
ハイハイからの歩いてからの
保育園、小学校など
想像もつかないことばかりで
ビビりまくってます。
周りの方にもたくさん助けてもらって
なんとか生きていこうと思います。

長くなりました。
完全自分のために書きましたが、
読んでくださった皆様、
ありがとうございました。

世の中の旦那様方、
産前産後の奥様の心は
ジェットコースターです。
受け止めてください。
あわよくば家事の全てを担ってください。

妊娠中の皆様、
つわりは終わります!
出産の痛みは、その後何ヶ月も続く寝不足と、
我が子のかわいさで記憶からなくなります!
がんばれ!!

世の中の子育て中の皆様、
頑張りましょう!!!

今後とも私と娘を
よろしくお願いします。ちゃんちゃん。