私は今、長崎市内のホテルでパートをしているが、従業員のパートに対する人使いがひどい!
こういったサービス業が業績を上げるためには、パートやパートの家族、親戚などが紹介したりして
お客さんになるということを、分かっていない。
このままだと私は辞めるが、このホテルには泊まるなと親戚には言う。
あまりにも人使いがひどい!
暴言もたいがいにしないと刑事事件になるぞ。
そしたらホテルの評判も落ちるだろうしな。
そうなったら良い気味だわ。
私は今、長崎市内のホテルでパートをしているが、従業員のパートに対する人使いがひどい!
こういったサービス業が業績を上げるためには、パートやパートの家族、親戚などが紹介したりして
お客さんになるということを、分かっていない。
このままだと私は辞めるが、このホテルには泊まるなと親戚には言う。
あまりにも人使いがひどい!
暴言もたいがいにしないと刑事事件になるぞ。
そしたらホテルの評判も落ちるだろうしな。
そうなったら良い気味だわ。
先週号の週刊プレイボーイでは、車の特集をやっていた。
それを読んでみてうらやましいなと思ったのと、今の自分の状態を比較して空しさを感じた。
私は2012年の6月頃に当時所有していたスズキMRワゴンウィットを売ってしまった。
仕事をクビになり維持が出来なくなったからだ。
新車で買ったからローンも残っていたため売るしかなかった。
正直私はモータースポーツは好きだが、運転がコンプレックスで車はあまり好きではなかった。
ところが、最近親父と島原市まで遊びに行った時に、久しぶりに遠出してみて「自由」を感じ、気分が良くなったこともあり、車って良いなと思ったのである。
車があれば遠出ができる、自由な気分になれる、気分が良くなる。
ただ私は、私が車を所有するのはもう二度とないんじゃないかと思っている。
仕事も不安定でローンを組めないし、貯金もない。
運転も下手←運転しないから当たり前だが。
長崎のような田舎では車を持ってないとデートも楽しめない。
つまり彼女なんてできないのである。
そういうこともあって車は欲しい。
でもとても買えない。維持できない。
私の人生ここまで詰むとは思わなかった。
本当に残念な人生だな。
みんなの交換日記というのをはじめた。
そこに二ートが集まる日記があるのだが、そこで不愉快な目にあった。
情報ビジネスの話をしてる人の日記にコメントを書いたのだが、私はなんとなく違和感を感じたので
具体例はないのか?と質問をした。
そしたらその人からはちゃんとした回答がきたのだが、余計な人間からも回答がきていた、その人の回答はこういうものだった。
「具体例なんて探せばいくらでもあるでしょw」
だった。
私が頭にきたのはwの部分である。
何がおかしいのだろうか?こっちは真剣に質問したのにである。
ちなみにその人のプロフィールを見たのだが、専門学校生らしいのである。
どこが二ートなのだろうか?
まだ社会人にもなっていないではないか?
そこで「あなたは社会人経験あるんですか?」と質問したところ
「5回も転職してるような人に社会人経験なんて言われたくないですね。」
と返事がきた。
舐めるなといいたい。
確かに私は不運にも5回の転職経験がある、それは交換日記にも書いたから事実である。
しかしそれでも、販売や営業、ホテルのフロント等を経験しており、いろんな想いを抱えながら仕事をしてきた。
それをバカにするのである。
人生を否定された気になった。ましてや、社会人経験のない専門学校生にである。
正直、全ての二ートがこうだと思いたくないが、こんな薄っぺらな人間ばかりが二ート、あるいは二ート予備軍なんだろうか?
腹が立つと共に、妙な悲しみも感じた。
日本の将来は暗いなと思ったのである。
まだ社会も経験してないのに、二ートになりたいというのである。
私は今は資格の勉強をしながら、週2回程の日給のパートをしている。
仕事がない日は(ほとんどそういう日なのだが)二ート状態だし、資格の勉強を始めようと思う前は、まさに
無職二ートであった。
ただ、なりたくてなったわけではないのである。
ハロワに行っても空求人ばかり、明らかにブラックみたいな企業もある。
だから冷静に自分を見つめる時間がほしくなった。
転職活動にも疲労を感じていた。
ただ二ートにだけはなりたくなかったので、パートも始めた。
なぜ勧んで二ートになろうとするのだろう。
社畜になりたくないらしいが、私だって理想を言えば社畜にはなりたくない。
でも自分を必要としてくれるなら、社畜上等!
という考え方に最近なってきた。あくまで「必要としてくれるなら」という条件はつくが。
今まで私が勤めていた会社はどこも欠陥を抱えていて、必要とはしてくれなかった。
いつかそんな会社に出会いたい。
それが無理なら、資格を活かして独立も考えている。
やれることをやってみる。
ただそれだけである。
悲しき二ートとの出会いで自分の価値観が見えたのは、感謝すべきなのかもしれない。