計3回に渡る母との鹿児島

抗がん剤治療も止めて
鹿児島の施設の治療に専念していた
母でしたが

徐々に腹水が溜まり始め
「余命1年」と言われたタイムリミットの
1ヶ月前には元気だった母も自ら
「手術した病院へ行きたい」と言い出しました。

すでに出来ることは入院し
モルヒネでの鎮痛剤投与になっていました。
少しずつ狂い出す母に
家族交代でのつきっきりの体制
昼は仕事して、夕方家にお風呂と食事
病院まで車で1時間走り
妹や父親と代わり夜の介護

緩和ケアの病室のあの臭いが
今だに離れません。

その後
「余命1年」宣言の通り
母は他界しました。

僕の選択は間違っていたのかもしれない。
そうはいつも思います。
でも大事な思い出が出来た事も

いつか余裕が出来たら
母と二人だけで見た桜島を
又見てみたいと思いました。