一応西下しましたが、使えるかどうかは正直なところ五分五分ってところでした。状態しだいでは、すぐに美浦に帰れるように馬運車を用意していたほどでしたから……」

 平井雄二の熱意とは裏腹に、サクラスターオーの脚はなかなかいうことをきいてくれない。陣営の焦りは募る一方だった。結局、トライアルを使わずに、皐月賞以来7か月ぶりのぶっつけで菊花賞に使わざるをえなくなったほどである。現在のように調教施設が充実していなかった当時にあっては、“無謀”という声が噴出したのも当然であろう。

「レースの数日前も、やつの脚は腫れたままでした。私としてはなんとしても使いたかったんですが、それを判断する権限は競馬会が持っています。なんとか腫れが引いてくれ……祈るような気持ちでしたよ。そうしたら、直前になって本当に引いてくれたんです。それでようやく出走がかなったんですよ」

 平井はレース直前の模様をそう述懐した。まさに危ない綱渡りといわねばならない。

 こうしてなんとか出走にこぎつけたわけだが、病み上がり、しかも7か月ぶりの実戦とあって、皐月賞馬サクラスターオーの株は暴落していた。9番人気、単勝14.9倍。文字どおり穴馬の域を出ない評価である。ファンの立場で言えば、力は認めても、どうしても不安材料を打ち消すことができない、といったところであろう。1番人気はセントライト記念を勝って理想的な形で参戦してきたダービー馬メリーナイス、2番人気には皐月賞2着、ダービー4着の堅実ゴールドシチーが推されていた。

 そんななか、菊花賞のスタートが切られた。先行集団を形成するのは、条件上がりのリワードワンキング、京都新聞杯に勝ったレオテンザン、ダービー2着馬サニースワロー、そして大本命のダービー馬メリーナイスであった。久々のサクラスターオーはマイポジションの中団キープでレースを進めている。

「スタートは無難なところでした。しかし、見ている私のほうが気が気じゃなかったんですよ。わかるんです、やつの心臓がバフバフ音を立てているのが。なにせあれだけ休んでたわけですから、息づかいだって普通じゃありません。とくに3コーナーのところではムチャクチャ苦しそうにしてたんです。もしかすると、このまま終わっちゃうんじゃないか……そんな気にもさせられました」

 しかし、サクラスターオーには肉体の苦しみに打ち勝つ精神力が備わっていたらしい。4コーナーを回ったところで、単枠指定された大本命メリーナイスが失速してゆくなか、スターオーは一気の脚であがってゆく。先行していたサニースワロー、レオテンザンに直線で取りつくと、追い込んできたゴールドシチー、ユーワジェームスらをも完封。サクラスターオーは堂々たる競馬で菊のゴールを先頭で駆け抜けたのである。



そして 直線であの杉本アナの名文句「サクラだ、サクラだ、菊の季節に桜が満開~」が生まれた。



昭和62年「菊花賞」(GI、京都芝3000)皐月賞の直後、けいじん帯炎を起こし、ダービーを断念せざるを得なくなったサクラスターオーは、脚部不安、長期休養明け、ぶっつけ本番という三重苦を見事に克服し、淀の3000メートルを制してしまった。



 京都競馬場はある種の異様なざわめきに包まれていた。当然であろう。脚部不安、長期休養明け、ぶっつけ本番という三重苦を克服し、淀の3000メートルを制してしまった馬が目の前にいるのだから。

 
 奇蹟。

人は口々にそういった。G1は休み明けで勝てるほどあまいものじゃないのだから

「正直なところ信じられませんでした。能力的には間違いなくナンバーワンと確信していましたが、なにせ7か月の長期休養明けですからね。うれしかったのは当然ですが、それ以上にやつの根性にド肝を抜かれたっていうのが本音です。レース後、やつは口取りになっても心臓をバフバフさせていたくらいなんですよ。あんな状態で過酷な長丁場を乗り切っちゃったんですから……。それにしても、こんなムチャクチャな使い方をする調教師は私だけなんでしょうね」

 勝利の実感が沸き上がってくるなか、平井雄二はそんなことを考えていたという