ぴるくるの読書感想文

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第4章 ソクラテス、プラトン、アリストテレス

 

ソクラテス(BC469-399、没年70歳)、プラトン(BC427-347、没年80歳)、アリストテレス(BC384-322、没年62歳)の3人は、古代ギリシア哲学を代表する哲学者である。

 

1.ソクラテス

西洋哲学を学ぶ時にソクラテス以前と以後で分類する考え方があるが、哲学の祖タレス以来の初期の哲学者(イオニア地方の哲学者=イオニア派)が外部世界を一生懸命探求したのに対して、アテナイ生まれのソクラテスは「あなたはあなた自身の何を知っているのか?」と不知を自覚させ(無知の知)、内部世界への思索を深めていった。著者によると、38歳から65歳までペロポネソス戦争に従事したことが、外部世界よりも人間が生きることの意味について思索を深めようとしたきっかけになったのかもしれない、とのこと。

 

ところで、米国ロースクールの教授方法であるソクラテスメソッドであるが、当時は「産婆術」と呼ばれていたとのこと。産婆が赤ちゃんを母親の胎内から誕生させるプロセスのようだからとのことであるが、ソクラテスの母親が助産師であったことと掛けていたのかもしれない。

 

それと、ソクラテスは街中で誰彼となくつかまえて産婆術を施していたわけであり、何ら著作を残していない。彼の弟子であるプラトンの大量の著作の中でソクラテスの哲学が浮かび上がってくるのであるが、今となってはそれがソクラテス自身のものなのか、プラトンの考えなのかが、プラトンが傑出した哲学者なだけにわかりにくいとのこと。

ソクラテスは、彼を逆恨みした者から告訴され、死刑が確定し、毒ニンジンの杯をあおり死んでおり、そのことはソクラテス自身の評価にどちらかというとネガティブに働くように感じた。

が、少なくとも弟子からプラトンを輩出したという点で偉大であることに疑いはない。

 

2.プラトン

プラトンは、ソクラテスの42歳下である。プラトンが28歳の時にソクラテス師匠が刑死したことになる。

 

ところで、プラトンは、彼のレスリングの先生から肩幅が"広い"(プラトン)と言われ、プラトンになったようである(本名はアリストクレス)。プラトンは、40歳の時にアカデメイア(大学、というよりは教団?)を創設しそれが900年も続いたため、その著作は殆どが残っている。

 

プラトンはイデア論で有名だが、ideaとは、英語に訳すならばidea(概念)ではなく、form(形)である。

例えば、あなたが洞窟の壁面に向かって椅子に腰掛けており生まれて此の方後ろを振り向くことができなかったとして、壁に映ったイノシシの影を見たあなたは、イノシシの真の姿に想いを馳せるなどするはずもなく、その影こそが真実の姿と考えるであろう。あなたは影を真実と誤認していることに気づくこともない。そんな話である。

 

ちなみに、プラトンもアテナイ生まれである。

 

3.アリストテレス

アリストテレスはマケドニア生まれであり、17歳の頃にアカデメイアに入学した。20年在籍した後、プラトンの元を去り、その後アレクサンドロス大王の家庭教師にもなった。

 

アリストテレスは万学の祖と言われており、論理学、倫理学、形而上学、政治学などの哲学関連分野のみならず、物理学、天文学、気象学、生物学などの自然科学もカバーしていたとのこと。著者によれば、アテナイ(ソクラテス、プラトン)からイオニア学派の道に戻っていったとも捉えられる、とのこと。

 

そして、アリストテレスの学問があまりにも体系的に整理されていたがために、その後、1000年以上もヨーロッパの学問はアリストテレスの呪縛から離れられなかった、とのことである。

 

ちなみに、アリストテレスは、プラトンの43歳下である。

 

以上