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何時も、ブログを書くのは、気が向いた時しかしないため、間のあるブログになってしまっています。
ところで、来週の日曜日は、嫁さんのなくなって2年目の三回忌の法要を行う予定です。
本当に嫁さんが亡くなってから、再来週の金曜日でまる2年目になります。今日、ホテルの営業からメールがありました。
今は、法要をどうするかが、考え時だとも思っています。
ところで、来週の日曜日は、嫁さんのなくなって2年目の三回忌の法要を行う予定です。
本当に嫁さんが亡くなってから、再来週の金曜日でまる2年目になります。今日、ホテルの営業からメールがありました。
今は、法要をどうするかが、考え時だとも思っています。
嫁さんを今でも想い出します。
最近になって、特に嫁さんを考える時が増えています。
今も、嫁さんに会いたいです。これから、どう生活するのか、目標がありません。
どう今後生活するのか?迷っています。生き甲斐、生きる目標等が分からなくなりました。
今後の生活を考えないといけないと思います。何か、趣味でもいいからなにかないかな。
そんなことを考えていますが、答えはありません。
そんな最近、嫁さんが亡くなる日に六花亭のお菓子を買っていました。それで、毎週、六花亭のお菓子をお供えしています。
その六花亭のスタンプラリーがあり、厚別の方にあるお店に行ってきた時撮った写真です。
最近になって、特に嫁さんを考える時が増えています。
今も、嫁さんに会いたいです。これから、どう生活するのか、目標がありません。
どう今後生活するのか?迷っています。生き甲斐、生きる目標等が分からなくなりました。
今後の生活を考えないといけないと思います。何か、趣味でもいいからなにかないかな。
そんなことを考えていますが、答えはありません。
そんな最近、嫁さんが亡くなる日に六花亭のお菓子を買っていました。それで、毎週、六花亭のお菓子をお供えしています。
その六花亭のスタンプラリーがあり、厚別の方にあるお店に行ってきた時撮った写真です。
嫁さんの亡くなった日の続きです。
警察が来ている時に、親戚の叔父さんに電話して葬儀屋さんの手配をお願いしました。これで、葬儀屋さんの手配をお願いをするのも、両親の亡くなった時に続いて、これで3回目になります。
葬儀屋さんは直ぐに来てくれました。警察も死体を見終わって、亡くなった状況を確認をするため、自宅に行くこととなり、私が一緒に行き、後から、嫁さんの遺体を子供と姪っ子が葬儀屋さんの車で連れて来ることになりました。
私が警察の方と、自宅に行き、亡くなった状態を確認し、警察が帰って行くのと前後して、職場の上司が来てくれました。そして、自宅に嫁さんの遺体をどう置こうかと考えましたが、どうしても、狭くて置ける場所が作れません。そうこうしていると、子供と、姪っ子と葬儀屋さんが、遺体を連れて来て、葬儀屋さんと相談して、斎場に連れて行くことになりました。
荷物も特に持たなかったと思いますが、平岸の斎場に行き、嫁さんを安置しました。その後、職場の上司がお坊さんの資格を持っていることから、枕経をしてくれました。
その後、葬儀屋さんと打ち合わせをして、明後日に通夜を行うことにしたと思います。(明日ではなく明後日にしたのは、はっきりとは思い出せませんが、親戚等が遠くから来るので考えたのだと思います。)
後は、子供と、姪っ子と3人だったと思います。
そこで、初めてゆっくりと嫁さんの顔を見ることが出来ました。 本当に、綺麗で、穏やかに寝ているような感じがしました。 その時も、亡くなったという実感がしないような気がします。
姪っ子が起きていてくれて、嫁さんの横で、私と子供と少し寝たのを覚えています。
次の日(27日)は、嫁さんの姉さんが来てくれました。葬儀の関係で写真屋が来て、遺影の写真をと言われ、嫁さんの姉さんと私で写真を自宅に取りに行きました。その時、慌てて来たので、部屋を見てみると、パソコンのところに、風呂屋の回数券が置いてありました。亡くなった26日は、風呂の日で、安く回数券が買えるので。嫁さんに買ってもらうのを頼んでおいたのが、買っておいてくれていたのです。
何となく、嫁さんの優しい気持ちが感じられて・・・・。いまだにこの回数券は使わずにおいてあります。
その自宅で、嫁さんの姉さんは、棺に入れるものを探してくれました。
又、嫁さんは、私と違って友人が多く、交際も広かったことから、少しでも友達には連絡してあげたく思って、友人の住所録も探しました。そして、電話をかけました。みんな、ビックリしていたのを想い出します。
その日は、夕方からは、嫁さんの友達や職場の同僚などが来てお参りをしてくれました。
28日(金)は、通夜です。細かく何をしていたかあまり想い出せませんが、通夜には、嫁さんの父親、弟、親戚、友人、同僚、子供の職場の上司など、多くの人がお参りに来てくれました。
通夜の最後の挨拶は、私はしなく、司会者から話をしてもらいましたが、泣けてきたのを想い出します。本当にみっともないのですが、泣いていました。
明けて29日(土)、告別式の後、火葬場に行ったのですが、手稲の火葬場は初めてで、通り道は、途中、新川通の家の近くを通っていきます。そこを通ると、亡くなった日に、私の運転で通った、反対側を、また、あの日、嫁さんが通って帰って行ったのだと、考え深く思ってしまいました。
火葬になって葬儀場に帰るときも、あっと言うまに、身体が無くなり、亡くなってしまうと、こんなに早く形と見ることが出来なくなるのかと、思ったものです。
人って亡くなると、あっという間に、灰になってしまい、思い出だけしか・・・。
繰上法要の挨拶の時に、私が話したのもそのようなことを言ったと思っています。
その後、10日間ほど、仕事を休んだのですが、車に乗って、大型店の駐車場でず~と、空を見ていた時もありました。
未だに、その気持ちから立ち直れないでおります。
亡くなる前に、職場で旭山動物園に行った時に撮った写真です。 「空を飛んでいるように嫁さんも・・・」
警察が来ている時に、親戚の叔父さんに電話して葬儀屋さんの手配をお願いしました。これで、葬儀屋さんの手配をお願いをするのも、両親の亡くなった時に続いて、これで3回目になります。
葬儀屋さんは直ぐに来てくれました。警察も死体を見終わって、亡くなった状況を確認をするため、自宅に行くこととなり、私が一緒に行き、後から、嫁さんの遺体を子供と姪っ子が葬儀屋さんの車で連れて来ることになりました。
私が警察の方と、自宅に行き、亡くなった状態を確認し、警察が帰って行くのと前後して、職場の上司が来てくれました。そして、自宅に嫁さんの遺体をどう置こうかと考えましたが、どうしても、狭くて置ける場所が作れません。そうこうしていると、子供と、姪っ子と葬儀屋さんが、遺体を連れて来て、葬儀屋さんと相談して、斎場に連れて行くことになりました。
荷物も特に持たなかったと思いますが、平岸の斎場に行き、嫁さんを安置しました。その後、職場の上司がお坊さんの資格を持っていることから、枕経をしてくれました。
その後、葬儀屋さんと打ち合わせをして、明後日に通夜を行うことにしたと思います。(明日ではなく明後日にしたのは、はっきりとは思い出せませんが、親戚等が遠くから来るので考えたのだと思います。)
後は、子供と、姪っ子と3人だったと思います。
そこで、初めてゆっくりと嫁さんの顔を見ることが出来ました。 本当に、綺麗で、穏やかに寝ているような感じがしました。 その時も、亡くなったという実感がしないような気がします。
姪っ子が起きていてくれて、嫁さんの横で、私と子供と少し寝たのを覚えています。
次の日(27日)は、嫁さんの姉さんが来てくれました。葬儀の関係で写真屋が来て、遺影の写真をと言われ、嫁さんの姉さんと私で写真を自宅に取りに行きました。その時、慌てて来たので、部屋を見てみると、パソコンのところに、風呂屋の回数券が置いてありました。亡くなった26日は、風呂の日で、安く回数券が買えるので。嫁さんに買ってもらうのを頼んでおいたのが、買っておいてくれていたのです。
何となく、嫁さんの優しい気持ちが感じられて・・・・。いまだにこの回数券は使わずにおいてあります。
その自宅で、嫁さんの姉さんは、棺に入れるものを探してくれました。
又、嫁さんは、私と違って友人が多く、交際も広かったことから、少しでも友達には連絡してあげたく思って、友人の住所録も探しました。そして、電話をかけました。みんな、ビックリしていたのを想い出します。
その日は、夕方からは、嫁さんの友達や職場の同僚などが来てお参りをしてくれました。
28日(金)は、通夜です。細かく何をしていたかあまり想い出せませんが、通夜には、嫁さんの父親、弟、親戚、友人、同僚、子供の職場の上司など、多くの人がお参りに来てくれました。
通夜の最後の挨拶は、私はしなく、司会者から話をしてもらいましたが、泣けてきたのを想い出します。本当にみっともないのですが、泣いていました。
明けて29日(土)、告別式の後、火葬場に行ったのですが、手稲の火葬場は初めてで、通り道は、途中、新川通の家の近くを通っていきます。そこを通ると、亡くなった日に、私の運転で通った、反対側を、また、あの日、嫁さんが通って帰って行ったのだと、考え深く思ってしまいました。
火葬になって葬儀場に帰るときも、あっと言うまに、身体が無くなり、亡くなってしまうと、こんなに早く形と見ることが出来なくなるのかと、思ったものです。
人って亡くなると、あっという間に、灰になってしまい、思い出だけしか・・・。
繰上法要の挨拶の時に、私が話したのもそのようなことを言ったと思っています。
その後、10日間ほど、仕事を休んだのですが、車に乗って、大型店の駐車場でず~と、空を見ていた時もありました。
未だに、その気持ちから立ち直れないでおります。
亡くなる前に、職場で旭山動物園に行った時に撮った写真です。 「空を飛んでいるように嫁さんも・・・」
今日は、嫁さんの1年10ヶ月目の月命日です。
お寺さんに来てもらい、月命日と彼岸のお参りをしてもらいました。
朝起きてから、オリクゼンを作り、仏壇にのせました。午前10時頃お坊さんが来てくれました。今回は、子供が出張で神戸に行っているため、一人です。前回は、お盆の時にお坊さんに拝んでもらいました。
後少し経つと、三回忌です。早いものです。
あの亡くなった日から、突然、嫁さんと話が出来なくなってしまいました。普通であれば、病気がわかり、治療があって亡くなるので、その間に、話をすることもでき、気持ちも整理できると思いますが、私の場合、今まで側にいる人が、突然、居なくなり、.話することもできないという状態が、ず~と続いています。
最近は、これからの人生をどう過ごしていくのか。どう生きていけばよいのかを考えています。
でも、答えはまだありません。
嫁さんが亡くなる前に取った写真です。美瑛です。最近、地区センターの図書館で借りた「わたしたちの千の風になって」の本では、嫁さんはお墓に居なく、風になって私を見ているということですが。・・・
お寺さんに来てもらい、月命日と彼岸のお参りをしてもらいました。
朝起きてから、オリクゼンを作り、仏壇にのせました。午前10時頃お坊さんが来てくれました。今回は、子供が出張で神戸に行っているため、一人です。前回は、お盆の時にお坊さんに拝んでもらいました。
後少し経つと、三回忌です。早いものです。
あの亡くなった日から、突然、嫁さんと話が出来なくなってしまいました。普通であれば、病気がわかり、治療があって亡くなるので、その間に、話をすることもでき、気持ちも整理できると思いますが、私の場合、今まで側にいる人が、突然、居なくなり、.話することもできないという状態が、ず~と続いています。
最近は、これからの人生をどう過ごしていくのか。どう生きていけばよいのかを考えています。
でも、答えはまだありません。
嫁さんが亡くなる前に取った写真です。美瑛です。最近、地区センターの図書館で借りた「わたしたちの千の風になって」の本では、嫁さんはお墓に居なく、風になって私を見ているということですが。・・・
2008年11月26日(水) 嫁さんは、何時ものように水曜日はパートが休みなので、朝、子供と私を、道庁赤レンガ近くの職場に、まず、私の運転で子供を降ろし、その後、私の職場に着いて、運転を交代して、嫁さんは自宅に戻っていきました。
私は、特に何も考えなく、嫁さんの車を見送って、それが、嫁さんの生きている最後の姿でした。
いつもの帰宅時間は、職場を出るのが、午後5時30分過ぎで、自宅には午後6時20分頃着きます。
ただ、この日は、夕方から会議が あり、午後7時半頃会議のあった京王プラザホテル札幌を出て、JRに乗り、琴似駅に着いたのが午後8時頃でした。
朝、嫁さんから、帰りは、JR琴似駅に迎えに来てくれると言ってくれていましたので、札幌駅から琴似駅にかけて、嫁さんの携帯に何回も電話しましたが、電話に出ませんでした。
嫁さんに電話して、たまに、何回かつながらないこともあったのですが、約束していて、こんなにつながらないのも珍しく、なんか不安な感じがしたのを覚えています。
ただ、それでも、特にそれ以上は考えなく、バスの時間があったので、マクドナルドでコーヒーとハンバーガーを買って、JRバスに乗り、いつものバス停で降りました。
そして、アパートのところに朝送ってくれた車を見て、何となく嫁さんがおかしいのではないかと思い、急いで、玄関の鍵を開けて見ると、玄関の上がり場に、嫁さんがうつ伏せに倒れていました。
ビックリして、嫁さんを抱えても、ぐったりしてどうにもなりません。
電話で119番すると、救急車が向かっているのと、心臓マーサージを教えてもらい、両手で胸のあたりを一生懸命押すのでが、何の反応もありません。
そうこうしているうちに、救急車が来て、嫁さんを乗せて、市立病院へ救急センターだと思うのですが。
まず、子供に電話し、次に嫁さんの家族、職場などの連絡、最初に子供が駆けつけ、次に嫁さんの姪っ子も来てくれました。
先生に呼ばれ、嫁さんが亡くなったこと、原因はくも膜下出血らしい。亡くなった時間は、推定で午後6時頃とのことでした。嫁さんのところへ行き、初めてじっくりと、顔を見ました。安らかなきれいな顔をしていました。
自宅で亡くなったことから、警察が病院に来て、死体を見て、最後に会った人が誰なのかなど、嫁さんの携帯電話の履歴を調べて、嫁さんの友達が午後5時まで自宅のアパートで話をしていたことがわかり、その後、クリーニングを取りにいって、帰ってきた時に倒れたことがわかりました。(倒れた嫁さんのそばにクリーニングに出した背広があり、又、まな板の上には、キャベツを刻んでいる途中の状態で残っていました。)
そう考えると、嫁さんの行動からも、午後6時頃に亡くなったみたいで、いつもの時間に帰っていたら、助かったのではないかと思ってしまいます。
この日の出来事は、今でも鮮明に覚えていますが、嫁さんが亡くなった実感はこの日はありませんでした。
私は、特に何も考えなく、嫁さんの車を見送って、それが、嫁さんの生きている最後の姿でした。
いつもの帰宅時間は、職場を出るのが、午後5時30分過ぎで、自宅には午後6時20分頃着きます。
ただ、この日は、夕方から会議が あり、午後7時半頃会議のあった京王プラザホテル札幌を出て、JRに乗り、琴似駅に着いたのが午後8時頃でした。
朝、嫁さんから、帰りは、JR琴似駅に迎えに来てくれると言ってくれていましたので、札幌駅から琴似駅にかけて、嫁さんの携帯に何回も電話しましたが、電話に出ませんでした。
嫁さんに電話して、たまに、何回かつながらないこともあったのですが、約束していて、こんなにつながらないのも珍しく、なんか不安な感じがしたのを覚えています。
ただ、それでも、特にそれ以上は考えなく、バスの時間があったので、マクドナルドでコーヒーとハンバーガーを買って、JRバスに乗り、いつものバス停で降りました。
そして、アパートのところに朝送ってくれた車を見て、何となく嫁さんがおかしいのではないかと思い、急いで、玄関の鍵を開けて見ると、玄関の上がり場に、嫁さんがうつ伏せに倒れていました。
ビックリして、嫁さんを抱えても、ぐったりしてどうにもなりません。
電話で119番すると、救急車が向かっているのと、心臓マーサージを教えてもらい、両手で胸のあたりを一生懸命押すのでが、何の反応もありません。
そうこうしているうちに、救急車が来て、嫁さんを乗せて、市立病院へ救急センターだと思うのですが。
まず、子供に電話し、次に嫁さんの家族、職場などの連絡、最初に子供が駆けつけ、次に嫁さんの姪っ子も来てくれました。
先生に呼ばれ、嫁さんが亡くなったこと、原因はくも膜下出血らしい。亡くなった時間は、推定で午後6時頃とのことでした。嫁さんのところへ行き、初めてじっくりと、顔を見ました。安らかなきれいな顔をしていました。
自宅で亡くなったことから、警察が病院に来て、死体を見て、最後に会った人が誰なのかなど、嫁さんの携帯電話の履歴を調べて、嫁さんの友達が午後5時まで自宅のアパートで話をしていたことがわかり、その後、クリーニングを取りにいって、帰ってきた時に倒れたことがわかりました。(倒れた嫁さんのそばにクリーニングに出した背広があり、又、まな板の上には、キャベツを刻んでいる途中の状態で残っていました。)
そう考えると、嫁さんの行動からも、午後6時頃に亡くなったみたいで、いつもの時間に帰っていたら、助かったのではないかと思ってしまいます。
この日の出来事は、今でも鮮明に覚えていますが、嫁さんが亡くなった実感はこの日はありませんでした。
3連休の日曜日で、札幌は雪祭りですが、いつものことで、特に見に行かず、夜、ジャスコ発寒店に行ってきました。携帯電話やパソコン、文房具などを見て、漠然とですが、ITや100円ショップなどの小物を活用した書類とか情報の整理の仕方を考えてみようと思っています。





