ローション滝沢:雑記
Amebaでブログを始めよう!

 

 

 

「My Favorite Things」についてのお話。

サウンド・オブ・ミュージックの劇中歌として生まれ、のちにジャズ・スタンダードになったこの曲はジャズ愛好家でなくとも耳にしたことはあるはずだ。原曲は三拍子であるがコルトレーンもそうであったように拍数を変化させることやアプローチではまったく毛色の異なる曲となる。美しい旋律のテーマさえ温存しておけば広義にとらわれることはなく、アドリブ練習曲としても重宝されている。もっともこれは舞台演出家にとってもインプロビゼーションを取り入れることのヒントとなったわけだが、一方では古典に対する冒涜であるという見方も存在した。

 

これから話すことは『DOWNBEAT』に掲載されたならば、少なからずの喧喧諤諤の議論が為されるはずだろう。

まずこの発見に気づいたのは、英国チター奏者のAndrew Cronshawのアルバム『THE LANGUAGE OF SNAKES』を聴いていたときである。このアルバムの中に「Tupakkarulla」という曲がある。調べるとそれはフィンランドで伝わる子守唄(原題「Tuu, tuu, Tupakkarulla」)であった。フィンランドのミュージシャンと録音したアルバムもあることからとりわけ違和感を感じることはないが、心がざわついたのはその旋律だった。

 

これはまさしく「My Favorite Things」ではないだろうか。

 

その発見から「My Favorite Things」をつくった黄金パートナーであるロジャース&ハマースタインについて麻薬探知犬のように嗅ぎ回ってみた。ハマースタインの子孫が東欧出身の移民であることを糸口にフィンランドとの接合点を見つけ出そうとしたのだ。しかしフィンランドの古楽ライブラリーには到底記載されることのない古来の子守唄情報を集めることは苦行を極めた。軍事的な意味においても自由に国を行き交うことなどできない時代である。ナショナリズムの昂揚が渦巻く時代背景とはいえ国境の溝はあまりにも深く、排外的な世情が浮かび上がっただけであった。

 

とある子守唄が国を渡り異国の地で世界の‘‘お気に入り’’になったという夢物語は、決定的なファクターを欠いたまま砕け散った。

 

この先AIテクノロジーは音楽界にも脅威になる。可能な限りの音源がAIにデータ転化されれば、インスパイアされた音源がただの「綴り遊び」、音階のパズルのような紛い物であることは証明されるだろう。

そのときになればこの子守唄とMy Favorite Thingsの謎は解明されるかもしれない。

神代にひそんだ妖魔を暴き出す照魔鏡のように。

 

(ローション滝沢)

 

永らく更新していないことのお詫びではないのですが

小曲を選りすぐったプレイリストをアップしました。

 

放熱ジャズ







ジャズは個人の音楽であると共に、集団の音楽でもある。
この双方が併存している芸術は他にはない。

社会学者ならば哲学的、学理的な見地から、こうしたジャズの特異性に愚筆を弄するだろう。
― 個人と集団の自由な即興性にプライオリティを置きつつ、異質の要素を絶えず併呑し混成する。
例えばこんな風に学論は冒頭から難解な幕開けとなるはずだ。
しかしながらジャズをドイツ観念論亜流のように概念化することは到底できない。
ジャズにはたくさんの異なる詩形(ヴァース)があり、自ら、そして集団(コレクティブ)で表現するダイナミクスこそが、ジャズの妙味なのである。

1960年代中期から70年代初頭。
ヨーロッパではコレクティブ意識が最も明瞭に現れた時期である。
シュリッペンバッハが集団即興をメソッドとしたGlobe Unity Orchestraを組織したことはその動向の重要な鍵であり、各国で同時多発的に勃興したフリー・コレクティブアンサンブルは、欧州ジャズが集団意識の助長に向かうことを裏付ける先行的な歩みであった。

当時、ヨーロッパには多くのアレンジャー=リーダーが存在した。
この種のリーダーは進歩的ジャズの旗印をかかげることよりも、自分が描いたアイディアを表象するためにバンドを率いる。
例えば渡欧したドン・チェリーは、71年のドナウェッシンゲン近代音楽祭(『Pendereki』The New Eternal Rhythm Orchestra録)において、諸種の民族楽器を用いてリズム及びチャームに自己の多義的な解決を試みた。また、Jazz Composers Orchestraを管したマイク・マントラーは、前衛派ソリストが集められた先遣部隊の指揮をとりつつ、自らの政治的ガイドラインにも言及している。
そして、The New Jazz Orchestraを指揮するニール・アーダレイもまた心理的、政治的世情を背景に、伝統的慣習と新しいコレクティブという噛み合わぬ概念の解決を生み出した一人である。

今回紹介する『Le déjeuner sur l'herbe』(草上の昼食)と題されたこのアルバムは、1968年アーダレイ監修のもとイギリスで録音された。
当時Verveレーベルにはイギリス、フランス等の現地プレイヤーを使って録音されたジャズのレコードがいくつかあるが、これもその一枚である。
アーダレイ参集のもとアンサンブルを成したこのセッションメンバーは、マイケル・ギブス、イアン・カー、ジャック・ブルース、ジョン・ハイズマンなどジャズ・ロック気鋭の若手が結集した。
メンバーのパーソナルな部分に言及するならば、コロシアム、ニュークリアス、そしてソフト・マシーンに代表されるカンタベリー派にまで及ぶ。
しかし70年代後半には凋落したこの短命のムーブメントを年代録で事細かく論じれば、行き着く先はキース・ティペットは、ピアノよりもハーモニウムのほうが無調(アトナリティ)に全的傾倒していた、などと前衛雑誌『マイクロフォン』のコラムのような舌戦を展開しなければならない。
(睡魔を殺してこれを書いている筆者にそれだけの余力はない)
ただ私的には、ジョン・ハイズマンのフレキシビリティと複雑性をもったドラムは、ジョー・チェンバース以来の衝撃であった。内的衝動の誘われるままにクレジットされたアルバム(コロシアムII時代を除く)を聴いていくうちに、ハイズマンの多声的リズムは只管に計算尽くされたものであることに気づかされた。
それはサニー・マレイなどにみられるスイングに必要不可欠なものをネグレクトすることとは異なる。
もっと直接的で密度の濃いスイング(アメリカ流のそれとは異質の)なのだ。
例えば、ピーター・レマーの五重奏団『Local Colour』などは、ハイズマンの多声的リズムを考察する上で重要な記録ともいえる。それはまさにロックなエモーショナリズム然としているが、ハイズマンがアフリカからの影響下においてリズムの複雑化、メロディックな可能性をジャズに討究していたことがわかる。
計らずもハイズマンの勤勉さは、英国ジャズの門戸を取り払い、大いに筆者を啓蒙した。

ハイズマンのドラミングは、タイトル曲「草上の昼食」においても照々たる耀きを放っている。
アーダレイのオリジナルである本曲は、ほぼスタンダードアレンジのみで構成されている初期オーケストラの吹き込みの中では貴重だ。
1stアルバムがそうであったように、本盤もマイルス、コルトレーンなどの楽曲で組成されている。
それはアーダレイ自身の知的探究心の現れともいえる一方、フリー・コレクティブに軸足が置かれた欧州ジャズを示唆し得るものではなかった。
1967年7月17日コルトレーンが物故し、人々は〈悲劇においては、人物の性格ではなく行動により倫理的性格が決定される〉ことを知った。歴史的記述を見るまでもなく、イギリスにおいてもまだその呪詛のようなミメーシスを完全に打ち払うことは不可能だったのである。

のちにジャズ・ロック枢軸となる新進気鋭のソリストたちは、そんな流俗を切り捨てるかのごとく、荘重にしてエネルギッシュなアンサンブルを残した。
初期構成に見られる傾向だが、ソロパートは順守され互いが対峙しているかのような緊張感はない。次々とリレーされる奔放な吹奏は一抹の物悲しさを交叉させ、次第に激しいうねりをもったクラスタへ変化する。人間的な哀歓を訴える情念はマグマのように溢れだし、烈火の上を縦横無尽に這い回るハインズマンのドラムはこのサウンドがジャズ・ロックの初期衝動であることを堂々と謳い上げた。
平均年齢20代前半のソリストたちはあどけなさの欠片もなく、凄まじい力倆をしてこういうだろう。
「ブリティッシュ・ジャズはおれたちがつくっていくんだ!」
本国風にいえば、“Safe , Smooth !” である。
音楽を文章で綴る無力さを日々痛感してはいるが、英国ジャズが有調と無調の過渡期を経て、どこに向かおうとしていたのか、ジャズ・ロックの火種はどこに存在していたのか。
関心を高めていけばいくほど、このアルバムは筆者にとって思慮深いものとなった。


最後に標題〈草上の昼食〉について。
あまり知られていないが、アーダレイは執筆者、エディターとして長きに渡り出版界に従事していた。
とりわけ生態学、サイエンス分野においては非常に学殖豊かであり、2004年に歿するまでに執筆した書籍はじつに100を超える。
アーダレイの見識において、エドゥアール・マネの絵画〈草上の昼食〉に着目したことは想像に難くない。
裸婦を描いたことで因襲的な様式へ弓を引いたこの作品は、前衛的であることよりも女神以外の裸体を描いたことで物議の対象となった。それが娼婦とされていればなおさらではある。
皮肉をこめていうならば、本作のジャケット写真は〈草上の昼食〉を高い精度で再現をしているが、果たしてこのアルバムは〈草上の昼食〉であったのだろうか。
悠久性の表現としては、伝承楽曲である小曲が並ぶのではなく、オリジナルをいくつかの楽章に分けて構成すべきであっただろう。最小のコンセンサスではなく、詩篇的構造を持った主張こそが創造性を向上させるのだ。さらにいえば、コルトレーンの「Naima」が収録されていることも疑問である。クリスチャン名を捨てムスリム名“ナイーマ”をもった元妻の生涯や献身的な人物像と〈草上の昼食〉を同一視することはどうしても期しがたい。

芸術の真味ともいうべき部分が抜き取られたとき、人はそれまでの怠惰に対して後悔の臍を噛まなければならなくなる。


(ローション滝沢)