Tokyo Lounge
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キャンセル

契約に盛り込まれていたピアノを用意できない事で、問題が生じた。相手の状況を考えるならば、仕事を引き受けてくれるジャズクラブを探してもらう前に、先にピアノの条件があることを提示する事が普通。引き受けてくれるジャズクラブを探してもらった後に、ピアノの条件を後から伝える事は、順番として適切ではない。

その点について、相手側が認識しておらず、誤解が生じていた。こちら側の言い分が伝わっていなかった。アメリカの音楽事務所は、ピアノを用意できないジャズクラブの代わりに引き受けてくれるところを探している途中に、「ピアノが用意できないのであれば、契約はなし。」と一方的に伝えてきた。「ツアーをキャンセルするのは結構だが、こちらにも言い分がある。黙ってはいれない。最後にいわせてもらう。」と社長のいう事を理解して、ピアノの条件に関して伝えるタイミングが適切ではなかった事を客観的にメールで説明した。その結果、非がある事を認め、契約を結ぶに至った。
この事から、相手の状況や立場を理解した上で、コミュニケーションをとる重要性を学んだ。アメリカ人とのビジネスコミュニケーションでは、英語だけではなくて、論理的に説明、説得できる事が不可欠。曖昧な表現では、誤解が生じる事が分かった。

送ったメールは以下の通り。

Hi, my name is Daisuke.
I am the secretary working for Yoshi.

He has a message for you ,and I am sending you this mail
on behalf of him because he is making a trip to the local city.

There are two things he wants you to know as he received
your message about the cancellation.

(1) It was not fair because it was your fault making this confusion.
Holly did not inform Yoshi that piano was the most important necessary requirement before he received the contract.Holly should tell him about the piano first.

What Holly confirmed Yoshi was only city, venue, name, capacity, price and address and did not asked about the piano, so Yoshi fixed 4 venues.

However, Yoshi and the owner of 4 clubs were informed
either Yamaha or Steinway piano is possible after Yoshi received the contract.?
If Holly told Yoshi about the piano requirement at the very beginning ,?
then there was no misunderstanding.

(2) Even though the time of informing the piano requirement was inappropriate,we did our best to resolve the problem.

As Yoshi mentioned last time by fax,?three places completed the preparation of Steinway and Yamaha piano above C7 and another place was making the effort to change the piano. They were almost completed preparing the piano,but you unilaterally cancel all of the tour.


Please remind that he made his best fixing the issue caused by miscommunication between Holly and Yoshi,and understand his situation.If you want to contact Yoshi directly, you can reach his cell-phone.


George Cables Trio and Anat Cohen

名古屋から大阪に向かう新幹線では、巨匠George Cablesと、クラリネット奏者のAnat Cohenに挟まれて真ん中の席に座った。

Anat Cohenは今回のツアーはプロモーションの為に来日して、
ベースはDwayne Burno、ドラムはWinard Harperという豪華メンバーを引き連れたGeorge Cables Trioにゲストとして出演させてもらっていた。

ただ、巨匠George Cablesは、自分が名前の売れていないAnatのサイドマンとしてピアノを弾く事に、プライドを傷つけられていて、1セットで2曲だけ演奏するという約束でないとやらないと頑に拒んでいた。

21日に成田に迎えにいって、青森の青龍寺ジャズフェスティバル、静岡のLife Time、名古屋のStar Eyes、大阪のMr.Kelly's 、東京のJとTUCでのライブへツアーガイドとして案内して、1週間で11セットの演奏を聴けた。

楽器を弾いていないときは、普通の人達で友達みたいに話してくれるけど、舞台に出ると雰囲気がガラリと変わる。どこでも同じパフォーマンスを発揮できるのは、さすがプロだなと思う。

一日の半分を移動に費やし、夜に演奏するという毎日だったけど、63歳のGeorgeも、腎臓結石を患っているDwayneも、ラマダン中のWinardも不満はいわず、おとなしく言う事をきいてくれた。優しい人達だった。

George Cablesのピアノは透明感があって、モダンなサウンドで、好きだった。特に、Helen's SongのメロディーとRound midnightのピアノソロが印象的だった。Winard HarperのAfro-cubanのリズム感や叩き方で表情を多彩に表現してたドラムと、合っていた。そこにAnatの加わると、新しい響きだった。




全く何をやればよいか分からず、任されたロードマネジャーの仕事だったけど、入院中の社長が電話で関係者に根回ししてくれていて、どうにかなった。体力的にきついし、細かい事を気にかけて神経をすり減らすので、月に2本ツアーを続けてした社長が身体を壊すのは無理はない。

Georgeは帰国したけど、Anatは残り1週間滞在しているので、いろいろ話ができたらいいなと思う。

McCoy Tyner Trio

「トイレに行きたい。一番近いトイレはどこか?」
Gerald Cannonが成田空港へ向かうリムジンに乗ろうとした時、
自分に尋ねてきた。

グランド東京ノースタワーの入り口付近にいたので、勝手にそのビルの中に
お邪魔して、地下一階の立派な造りのトイレに誘導した。

すると、「McCoyとEricもさっき行きたいといっていたから、教えてあげて。」と頼まれ、McCoyを呼びに戻った。

McCoyは、足が不自由で歩くのが遅い。
恐縮ながら、昼休みが終えてオフィスに帰って来た社員の通路を塞ぎ、
進路を確保しながらゆっくりと歩いた。ひどく怪訝な顔をされた。

「目の前をジャズ界のスターが歩いてるんですけど、、。」と言おうかと
思ったが、知らない人にとっては、単なる黒人の爺さんだった。

少しよれよれの野球帽をかぶり、サングラスをしているMcCoyと
その後ろに、強面マフィアの風貌を持つEric Gravattが付き添ってくる。

「怪しい黒人3人組がビルの中に侵入。トイレに向かった模様。」
警備員にはひどく警戒され、常時監視されていた。
投資銀行に何の用事があったのかと、思われていたんだろう。。




東京ジャズフェスティバルは、NHKが主催していたから待遇が
よかっただろうが、その後の地方の興行は、バイト先の小さな音楽事務所が
担当していて、随分と手作り感があったんじゃないかと思う。

付き添い2人と荷物の運搬係2人の全員がバイトで、
同行は、2回目というド素人集団が仕事を引き受けた。
ツアー開始の前日ですら、何も決まっていなかった状態で、
焦って主催者の人達に電話をかけまくって、確認作業を繰り返した。

McCoy Tynerクラスのアーティストの案件を扱うのは稀な事で、
いつもの現場で物事を決めるやり方が、通用しない。
ピアノはSteinwayかYamahaのフルコン、調律は3回行う事、
ホテルは5つ星のスイート、移動する時は黒塗りのリムジン、
控え室にはオレンジジュースを用意、生魚は苦手等々、
細かい要項が契約書に盛り込まれていて、履行するのが厄介だった。
しかも、Zero NylinというChick Coreaのツアーマネージャーもしている人が
ついてきていて、細かい注文をつけ、現場を仕切る。

大阪Koo'on、下関Billie、静岡life time。
招聘したジャズクラブは、通常の5倍のギャラを支払っていて、
チケット料金を2倍にしていたけれど、明らかに採算はとれていなかった。
ただ、これで、見納めかもしれないという事で、頑張ったそうだ。
ひとつだけ岡山の津山でホールに500人詰めかけたところは、
興行的に成功していたし、企画した主催の人がMcCoyの大ファンで、
夢を叶えられてよかったと、喜んでいた。



実際に会ってMcCoyという人を知って、演奏を聴いてみると
印象が随分と変わった。

CDで聴いた時には、ピアノを叩き付けるように左手でガンガン弾いてて、
うるさいなと思っていたが、それが独自のスタイルだと分かった。

左手で刻むリズムがかっこいいし、アジア的なエスニックな音が響く。

「俺は単に、John Coltraneと一緒に演奏していただけだったんだ。
 なぜこんなに有名になったのか、自分でもよく分からない。」
とポツリと漏らしていたが、ジャズの歴史を作ってきた重要人物の一人
に会えて、感無量な4日間だった。