Woodchuck は Jay Lancard

Woodchuck は Jay Lancard

世界は家族でできている。
妻と長男と二男。
このダメ男に光を当ててくれてありがとう。
君たちとこれを読んでくれているあなたに幸あれ。

Amebaでブログを始めよう!

序章

 

 糖質制限による減量も初めの頃は調子よかったもののある程度の所で停滞気味。

 こっから先はいよいよワークアウトを取り入れなきゃならんのかとため息まじりに独りごちでいた夜、不意にケータイが鳴った。

 ガラケーのディスプレイには、漫画HUNTER×HUNTERが少年ジャンプに載るくらいの頻度でしか電話をしない友人、映画監督松本卓也の名前が。

 役者と監督の友人を持ったら舞台と上映会の招待連絡避けがたしで今回もどうせそんなこったろうと電話を取ると、どことなく神妙な声で「観て感想聞かせて欲しい作品があるから関係者試写に来れないかな」と言うではないか。

 幸い時間もぬえそうだし、よくよく考えればシネマ健康会の映画を最後に観たのはパイロット版の「Searchin’ for my future」以来だったのでこれを承諾した、のがいけなかった。

 タダより高いものはない、責任持って感想を書かねばならないではないか。ぐうう、こちとら日々寝不足だってのに。

 

 

第1章 ZOMBIEPOWDER

 

 いきなりだが青春という言葉を辞書で調べてみる。いきなり、だがちゃんと意味はあります。

 

 青春…若い時代。人生の春にたとえられる時期。

   希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。

(語源の方は割愛)

 

 どの辞書も大概こんな感じ。これ、なんとなく皆さんも分かりますかね。

 ここで大事なのは異性を求めはじめるって部分だと思います。

 小学生の頃を青春とはあまり言わないのもその所為で、まあ振り返るに恥ずかしくなる子どもと大人の中間地点というか。

 ところがですね、よくよく考えてみるとこれ、起点を定義できても終点を定義づけられないと言うか、要はいい大人になっても引きずってる奴がいる訳ですよ、青春を。

 勿論、松本卓也の話です。

 あいつと知り合ったのは20代の頃だけど、そっから約15年何も変わってない。

 まもなく42歳のいまだに現役青春野郎な訳です、奴は。

 それがこの映画にもいかんなく発揮されている。そっから決別して次のステップに進むのが世の常(難しそうでそちらの方が実質楽だしね)にも関わらず、踏みとどまって現状を研ぎ澄まし続けているのだ。極限まで磨り減った刃先はとことん鋭利だが、強い衝撃が加われば簡単に折れてしまう。強い剣士ではなく闇の中から一撃で相手を仕留める暗殺者の道を選んだ男、調子こいてタイピングしてたら訳分かんないこと言ってんな俺。

 

 

第2章 THE CAMELEON JAIL

 

 話を少年ジャンプに戻す、映画ではなく。

 人気漫画NARUTOで主人公ナルトの最大のライバル・サスケ、HUNTER×HUNTERで主人公ゴンの親友キルア、ONE PIECEで主人公ルフィのかつては敵で、後に友情が芽生えたハイエナのベラミー。

 サスケは生まれ育った木の葉隠れの里で自分の一族(兄)が受けた仕打ちに対し復讐を企てるし、キルアは家族全員暗殺者の一族で幼少の頃より仕事をこなしていた、ベラミーはルフィに負けて改心するまで暴虐の限りを尽くしていた。現実社会で考えれば3人とも間違いなく過去に大量に人を殺した大罪人である。しかも(後には分からないけど)その時は後悔のない殺人だったはずなのだ。

 にも関わらず主人公の友達と言うだけで彼らに嫌悪感を抱かぬどころか、子ども達や漫画好きの女性達からはカッコいいと言われる始末。

 つまりはこれはジャンプ的視点。友情にはそうした浄化作用があるらしく、遠回しで申し訳ないが映画を見た人なら誰の事を言っているか分かりますね。客観的にクズだと思っていたアイツが、仲間の愛でキラキラして見える。これは監督の実体験が大きく反映されていると推察する。学生時代から今に至るまで友達の少ない僕にとってはそれだけで眩しく見える訳です。

 ジャンプの漫画が、そして松本映画が評価されるのには、そんな友情を容易に得られない観客からの羨望と疑似体験による快感が関係している、のかもね。

 

 

第3章 てんで性悪キューピッド

 

 技術的な面にも触れておきます。奴の映画は相変わらずと言ったものの、映像の美しさは作品を経るごとに感心させられます。

 劇中の本編(うまく言えないが作中のメイキング風でないパート)のトーンは好きです。暗部に合わせて露出を決めてるので抜けが白飛び起こしてる部分とかあるけど、きっと「狙いだ」って言うだろうしね。

 それにロケ地の良さ。映像業界で言う制作進行は沢山いるが、制作担当・主任の不在なシネマ健康会に於いて(とは言え最近は梅さんとかプロの手も入ってきてるようだし一概には言えないだろうけど)ロケ地自体は監督自ら見つけてくるんだろうし(いや、劇中ではこのロケ地がダメだとよりにもよって進行にキレてたな。最近は人に任せるようになってきたのか)細々したロケ地含め、その手のコネクションに強いのは本当に監督の人間力の高さだと思う。

 

 

第4章 ボギーTHE GREAT

 

 で結論ですが、結局松本卓也の映画は少年ジャンプだってことです。松本君のフォロアーの皆さん、勿論悪口じゃないですよ。

 久しぶりに見た松本映画。それは確実に進化し、だが芯は変わらず、初めての景色を再度見た錯覚に襲われた訳です。

 にしても今でも心にあれを持ってるのは正直羨ましいと思う。真似、できないな。ノー真似ってもんだ。

 

 漫画Dr.STONEの主人公、千空ならこう言うね「力をギリシア語で言うと"Dynamite"だ」

 ↑

 なんのこっちゃ(言いたかっただけです)

 

 これが僕の感想です。

 

 もしあなたが監督松本卓也を知らなかったとして彼は勿論あんな横暴なヤツではないどころか日本一腰の低い監督です。

 女優が言いよるほどのいい男かは分からないけど、芸人時代は女性ファンから黄色い声を浴びていたのだろうし、劇中(監督というある種の権力者だとしても)あれほどモテるのもあながち嘘ではないのか。

 そして弟や連れ合いが現場にいるのは事実の部分だけど、映画の中のように華やかな女優に対して地味目な彼女(他意なし)という構図は現実では寧ろ逆で、実際の監督の妻中條夏実が現場で一番美人だったりする(遠山奈那子談)

 

2018.10.21.

 

 鮮度が落ちるといけないので急いで仕上げました。思い出したことがあれば加筆修正します。

 たかだか1日で記憶なんてあっという間に消失してしますので間違いがあればご指摘下さい。

 こんな内輪と好事家寄りの分かりにくい話を最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

 ブログの中で意味の分からないことがあって気になる方はご質問下さい。

 もし僕よりも監督に近い所にいる方たちは、監督に直接聞いて頂けれる方がありがたいですけど。

 それでは皆様現役制作部の、もとい映画「RITE HALF OF THE KEYHOLE(仮)」監督の綿貫仁でした。

 そんな映画は現存しません。妻や松本君への撮る撮る詐欺を打破すべく勢いで言ってみました。

 2019年末までに完成させます、とかなんとか。それでは寝不足のまま仕事に行きます。

 

 

追記 鉄のドンキホーテ

 

※ネタバレあります。良い子のみんなはここからは読まないでね。

 最後に、どうせシネ健のツイッターには作品に対する美辞麗句のRTばかり並ぶんだろうから苦言も呈しておく。

 特に今までシネ健が避けていた部分ね。

 

冒頭の映画

◯相変わらず描写が稚拙だ。パイプ椅子に縛り上げただけなら普通に立って動けてしまうだろ。

だいたい最初に吸ってたタバコは監禁してた人間に吸わせてもらったのか?

それにしては取り上げられるまで殆ど減ってなかったけど。

◯松本映画にようやく銃が出てきた挙句、ベレッタのステンレスモデルて(僕の作品で藤坊が持ってたのもベレッタですw)

 以上↑が世界的に評価された作品に見えない。

 

本編の本編?

◯あんなにゆっくり腰動かしてあんな音するかぃ、あそこは男が腰を激しく動かすか、音をさせないか。

でないとその後監督が「いい画が撮れた」と興奮しているのが恥ずかしくなってしまう。

◯暴力描写が武映画やSAWのソフト版

エロもグロも結果少年ジャンプ的フィルターがかかる。

そうかヤンジャンフィルターをかければいいのかと言われればそれはそれでネタなのだが。

◯オリジナルは噂の映画「カメラを止めるな」よりも随分早かったはずなんだが、上映のタイミングとしては今頃映画学校の学生の間で流行っていそうな「後追い」の一本に見られてしまう可能性が高いことは、後に誤解が解けるとしても足かせにはなるだろう。

◯それと実際の撮影現場にあんな監督、スタッフ、キャストがいるかいないかは、100の現場の内99の現場になくても1の現場にいればそれは「いる」なのでリアリティ云々は言うまい。

 

松本君、こんなもんでどうかな。

何かの折、抜粋して好きに使ってくれて構わないけど、使えるとこあるかな。

こんなに楽しい作品は初めてだ。

どころか、これから先もこれ以上はないかもしれない。

本気でそう思える作品でした。

連ドラ初制作担当、まもなく終了。

そしてまもなく次の仕事が始まる。

 映画『アイズ』
 正直、友人の福田陽平君が監督していなければ劇場には足を運ばなかったでしょうが、前振りもしてしまってたし監督本人には告げずにこっそり観に行きました。
 で、結論。ここから長文もとい駄文が続きますし、完全なるネタばれが続きます、だって考察ですもの、未見の方は絶対に読まないで頂きたいのは勿論、感想とまで卑下する気はありませんが、評論というほど高尚なものでもありませんので、長時間お付き合い頂いた後でガッカリさせる可能性もあります、怒りを僕に直接(文章は間接です)ぶつけてくる可能性がある方も読まないで下さい。

 まずは原作との相違に触れましょう。原作は2007年に発売されたリングでお馴染み鈴木光司著の短編集「アイズ」に収録された「しるし」

原作との相違は
①原作の主人公は小学5年生。
②死ぬ人間が違う。
③よって書く人間も違う。(←後述します)

 以上の点が、映画的にどうだったかと言えば「成功」しています。
 原作ファンの為に追記すると、これはあくまで実写映画化する上でという点であり、映画の方が原作より素晴らしいと言っている訳ではありませんので悪しからず。

 で①ですが映画の由佳里は高校生。これによってどんな利点があるか。
 それは「アイズ」がアイドル映画になった、これに尽きるでしょう。
 主人公由佳里を演じた伊藤万理華は時のアイドル乃木坂46のメンバー。
 そして福田陽平は職人です。今までも数々のホラー映画を手がけ、ジャンル映画を得意とし「×ゲーム」や「ビンゴ」といったAKB48のメンバー出演の企画を、まさにコナシテきました。
 アイドル映画においては当然のことながらアイドルの出演こそが顧客を満足させる上で重要なファクターであり、これはジャンル映画の定めで、過剰に血が出たり、グラマーな女性が裸になったり、モンスターが登場したりすることを求めて観客が集まる訳で、アイドル映画=質が低くなるという指摘は見当違い、な訳です。
 勿論、アイドルが「出演して」いれば成功という訳ではありませんが、それに関しては伊藤万理華ファンがtwitterやFacebook、ブログ等で彼女の演技をどう評価しているかを見ていただいた方が、特にファンという訳ではない私が評するよりフェアでしょ。

 続いて②。
 今更ながら原作を要約すると「ある日、由佳里が玄関の魚眼レンズを除くと謎の影が横切り、家の表札にFとイタズラ書きがされている。イタズラ書きは消しても次の文字が書かれ、F・A・T・Eとなった所で、父親が突然失踪する。18年後、父が別の女性と結ばれ、子どもを設けていたことが分かる。その子は若くして亡くなっているのだが、表札の落書きはその子が世に生を受けたくてFATHERと書いたものだった(途中のHは母が消していた)」
 一方映画版を要約すると「ある日、由佳里が玄関の魚眼レンズを除くと謎の影が横切り、家の表札にFとイタズラ書きがされる。イタズラ書きは消しても次の文字が書かれ、F・A・T・Eとなった所で、父親が突然失踪する」とここまでは概ね同じですが、ここから先は大きく異なる上、実は詳しく述べるとここまでも別の話になっています。


 ところで最後にFATHERという文字が分かる、このハングマンゲーム(空いている文字を推測するという展開)には元ネタがあります。
 2004年の映画「マシニスト」です。
 クリスチャン・ベールの過剰な減量こそが話題になった映画ですが、これまた要約すると「原因不明ながら1年間全く眠れない男が、皮と骨だけのような姿になった上、身の回りで不可解なことばかりが起こる」という話。実はその原因が主人公が起した交通事故にあったというオチ。
 車で少年を轢き殺してしまったが、目撃者がいなかったので自首せず「おこした事実すら忘却して」日常を生き続けようとした主人公が、無意識下の「逮捕される恐怖」(と「罪の意識」)で不眠となり、1年を過ぎた所で(精神と肉体の限界で)事実を思い出すように自らの無意識が幻覚等によってヒントを出し続けていた、というもので、その幻覚等の等の部分に当たるのが、冷蔵庫に貼られた紙に書かれた _ _ _ _ E R というハングマンゲームなのだ。
 先述したが原作が書かれたのが2007年、映画は2004年公開である。ジャンルも違うし偶然だよという方もいるかもしれないが小説のいたずら書きの答えがFATHERなのに対し、映画で主人公が最初に考えた文字はMOTHERだったりするのは原作鈴木さんの目配せだと思うんですがね。(実際はKILLER-お前は人殺しだと主人公に気付かせたかった)
 あ、それでも関係ないという方はそれで結構です。なぜなら、マシニストは映画版アイズの方にこそ直接的に影響を与えており、そしてそれこそが素晴らしいと考えるからです。後述します。

 突然ネタバレしますが、映画版アイズの最大のオチは「実の弟が既に死んでいた」です。
 映画を観て「えー」と思った人も当然いたでしょうし「やっぱりな」と思った人もいるかもしれません。両方の可能性があるのは物語にはそういう歴史があるからでしょう。
 
 実は死んでいたオチの先輩と言えば有名なのは勿論「シックス・センス(1999)」です。 
・ハーレイ君は幽霊が見える。
・ブルース・ウィリスはハーレイ君と行動を共にするが、実は彼こそ幽霊。
・よってハーレイ君以外の人間にはブルースは見えてなかった。というオチです。
 
 ただし観客はブルースが死んでいたことそのものよりも、物語中ブルースが見えていない人間たちの行動に不自然さがなかったことに驚いたはずです。

 ちなみに主人公由佳里一家の進行上の立ち位置は以下の通りです。
・由佳里は弟に話しかけているが実は幻覚。
・幻覚に話しかける由佳里に対して母はヒステリーになっている。
・ところが幻覚にも関わらず父は由佳里と共に弟の存在を肯定する。
 どうですか。似てるけど同じじゃありませんね。
 
 実は映画の前半から主人公が死んでいたオチも「シックス・センス」が最初ではありません。監督が公表していなくても確実に影響を受けた作品は証拠付きでたくさんあります。
 本人が認めなくても同じことです。完成以前に存在していたのですから「偶然なこと」は誇ることではありません。
 さきほど「それで結構です」と言ったのは皮肉も含んでいますが、例え過去の作品とかぶるようなことがあっても、そこからどうひねりが加えられたかが大切だということです。
 アイズの、主人公だけが幻覚を見ているというオチは、皆様も過去に色々な作品で目にしたことがあるはずです。それでもアイズは色褪せません、「シックス・センス」と同様に。
 一つには、父親が自分も弟が見えるという嘘を付くことで観客を誤誘導している。そしてそれを父の優しさと捉えてみたところで、どうやらそれも怪しいと思えてしまう、という風に物語を発展させているからです。
 正直、あらゆる物語の定型は既に出尽くしたと言ってもいいでしょう。
 小説やマンガの原作もの、過去のヒット作のリメイク、続編。
 今の商業映画で以上の条件に当てはまらない作品は1割ないと思います。
 かくいう筆者も、おぼこい映画青年だった頃は、オリジナルにこそ価値がある!俺はそれに挑戦すると吠えていました!簡単にいかない現実よりも先に、センスのない自身に落ち込みましたが。
 さらにネットが普及し、展開、オチ等で既視感があると誰かがすかさず指摘し、不特定多数で「元ネタ」を共有できるようになり、映画オタクの特権が奪われたような気にもなりました。
 でも、今ではそれらはいいことだと思っています。観客が生理的に気持ちいいと思えることを、過去の名作を組み合わせて生み出すこともオリジナル一つだと思えるからです。

 ⑴俺の生み出したものは過去に例のないオリジナルなどと言うのは傲慢です。
  元ネタを突きつけても無視するなら、寧ろ石でも投げつけてやりたくなります。
 ⑵余談ですが、観てもいない内から、この手の発言を拾ってパクリだなんだとほざく輩もいますが、そんなのは論外です。
 ⑶でもよく考えたらネット普及以前から、映画雑誌や友人の評論を受売りにしてる嫌な奴はいましたね。僕もそうでした、そういう人間は「幼い」んです。
 ※以上⑴~⑶は特に記すまでもない感情論でしたが消したくなかったので残します


 ②の続きに戻ります。 
 
 主人公が自ら蓋をしていた記憶を自らの手で思い出そうとする

「オープン・ユア・アイズ(1997)」という映画もあります。
 アイズがかぶりましたねw(現代は「Abre los ojos」ですが)
 金持ちのプレイボーイが運命の女性と巡り合って、人生落ち着こうかと思ったものの、振られた女が腹いせに自動車で無理心中を図る。一命は取り留めたが手術が施せないほど顔が崩れてしまい、運命と思っていた女性に振られる。(まあ顔だけの所為じゃないと思いますけど)以下オチ。劇中一度だけ画面が暗転するのだが、それ以降は(顔を手術できる時代までか、運命の女性が死ぬまでか、詳しくは語られていないが)冷凍睡眠をしていた主人公の夢の中だっという話。顔の手術が成功し、運命の女性ともヨリが戻ってハッピーだったのだが(こんなものは虚構だと思ったのか、条件付きの時間設定があったのかも分かりませんが)徐々に世界が歪んで行き、限られた人だけが残り、登場人物の一人は「俺は俺じゃないのか」と嘆きます。幻覚でもいいから、ずっと傍に居たいと泣きながら願う弟に対して、拒みたくないはずの由佳里が、それでも真実を知ろうとする姿にそれは重なりました。

 しかし「主人公が自ら犯した罪の記憶」や「プライドの塊だった主人公が打ちのめされた現実の記憶」を「大切な弟を失った悲しい記憶」という形にかえたことで物語は福田君たちのものになりました。
 しかもハングマンゲームは原作よりもオリジナルに対して真摯的です。
 こっそり拝借していない。先ほど素晴らしいと言ったのはここです。

 先ほど福田君はジャンル映画の職人だと言いましたが、それにも意味はあります。
 DEATH FILE、こっくりさん、お姉チャンバラ、×ゲーム、学校裏サイト、殺人動画サイトDeath Tube、ビンゴ。彼のファルモグラフィーです、どうです。これをジャンル映画と言わずしてなんと呼ぶでしょう。幽霊(ゾンビ含む)が出てこない作品もありますが、CUBE(1997)やSAW(2004)と同類のソリッドシチュエーション作品であるDeath Tubeなども「主人公がどうやって連れてこられたかは問わない」などの(ジャンル映画的)不問律があります。
 とは言え、実は福田君は本来人間ドラマを描きたい人です。
 突然の発言で恐縮ですが、観客の皆様よりも友人として少しだけ距離の近い僕にだけ見えるものもあります。 
 彼がデビュー作から一貫して伝えようとしていることは「人が人を裁くことは正しいのか」
 今までの話の流れと結びつきにくいほど深いですね。
 かつて犯罪は神が裁いてきました。しらけた話をしますが神という存在を人が生み出したとして、(例えばモーゼの十戒は、神であるヤハウェが「みんなに守らせるよーに」とモーゼに伝えたという話を含めて人が考え出したとして)罰とは天罰だった訳です。死刑制度を廃止している国も誤審の心配よりもまず、人が人を裁く(と称して殺す)権利があるのかという考えに基づいていると思います。
 いい歳こいて週刊少年ジャンプが大好きな、普段は陽気なあんちゃんでもある福田君ですが、実は重たいテーマを自らに課しているんです。
 自分は描きたいものがある、でもそのままでは映画を撮らせてもらえない。グロい描写や激しいアクションを描く映画のオファーはある。それなら、そんなジャンル映画の中にテーマを込めらられないだろうかと考えた訳です。(そしてそこをあからさまに気付かせないのが職人たる所以でもある訳ですが)
 DEATH FILE、×ゲーム、学校裏サイト、殺人動画サイトDeath Tube、ビンゴ。
 もう一度そういう目で観て下さい。血がドバドバ出てると思いますw

 で、今回の映画もそうかというとこれが違います。それが評価したいことの3つ目です。
(3つ目であってますかね?)
 重厚なテーマを超現実的なジャンル映画の中に忍ばせていた過去作と違い、原作にあった「生まれる前の赤ん坊からのメッセージ」という超常現象的な要素を捨て、「現実逃避として見ていた幻覚」という、福田映画史上もっとも現実と虚構とのバランスをとった映画を作り上げた訳です。
 そしてそれは私にとって非常に気持ちのよいものでした。
 
 分かってます。
 テーマありきでケレン味を纏ったのが過去作。
 原作のケレン味を排した今作のテーマはなんぞやと。
 他の方の感想を見ると、家族の物語と言う方が多いようですが、実は私の見解は違います。
 またも後述しますw

 さらに今更ながらアイズを時間軸を整理して話します。
「メメント(2000)」の日本版DVDの特典のように物語をつまらなくする作業ですが分かりやすくするためにお付き合いください。これは劇中の登場人物が言っていることを事実と踏まえています。
登場人物の表記は由佳里を中心にしました(※例えば母にとって父は夫ですが父のままにします)
後、後半は前後の記憶がちょっと曖昧で、ぼかして書いてます。すいません。

A父と母の間に由佳里がいる。
 父、勤める会社の社長令嬢の仕事を手伝う。
 社長令嬢、妊娠している。
 母、父と社長令嬢の不倫を疑い出向く。
 路上で取っ組み合いの母と社長令嬢。
 社長令嬢、車に轢かれる。
 社長令嬢、流産。自らも半身不随となる。
 父と母の間に弟が生まれる。
(弟、幼稚園に行く?)
 
B社長令嬢、由佳里の家に来る。
 社長令嬢、弟に恨み節。
 社長令嬢、弟を誤って死なせてしまう。
 由佳里、ショックを受ける。
 父、由佳里に弟は目の前にいると言う。
 由佳里、弟が生きていると信じる。
 父、弟の屍体を隠す。
 母、弟の失踪届けを出す。
 
C由佳里、玄関の魚眼レンズに見知らぬ影を見る。
 表札にFの落書き。
 母、由佳里の電波発言にキレる。
 友人から電話があって由佳里を待つ為にバスを一本見送る。
 再度友人からの電話、由佳里次のバスに間に合わない。
 友人、次のバスに乗り事故にあって死ぬ。
 由佳里、葬儀の際、棺の中の友人と目が合う等、各所で霊体験をする。
 A,T,Eの落書きが続く。(途中のHは母が消している)
 父、失踪。
 母、自殺未遂。 
 由佳里、男友達といじめられっ子の協力で父親の居場所を突き止める。
 由佳里、父と再会、Aの話を聞かされる。
 男友達、いじめられっ子、様々な状況証拠から弟の存在を疑い出す。
 終わったと思ったら最後の落書きRが見つかる。
 弟、途中何度も謎の霊に連れて行かれそうになる。
 男友達、由佳里に弟が既に死んでいることを告げる。
 由佳里、Bを思い出す。
 父、帰る。
 
 まあ友人の家に行くとか母、服着たままシャワーを浴びるとか、母、救急車で運ばれるとか、母、病室でよく喋る等は割愛してます。
 
 先に言っておきますが(まあ定義は色々ありますが)この映画はミステリーです。
 原作はミステリーではありません。最後に出てきた人物が犯人では誰も謎を解けませんよね。
 先ほど述べた「観客が気持ちいい」かどうかはこういう部分のことです。
 勿論、絶対に想像できないオチがいい、というタイプの人がいるのも理解できます。

 そして、このミステリーを撮る、というのがテーマの一つだった気がしてなりません。
 勿論、完全に間違ってる可能性あります。

 そうするとですね、いくつか問題が出てきますよね。
 不吉感たっぷりのバス事故とか冷蔵庫の中の頭とかのホラー要素は何の伏線だと。
 でも私、思うんです。福田作品の過去作全てが、この映画の伏線になってるんじゃないかと。
 今まで福田映画に付き合ってきた人は冒頭から、いつもの「福田映画のホラー感」を期待すると思うんです。
 少なくとも私はそうでした、福ちゃん、今回も怖いもん見せてくれそうだなぁって。
 最初の事故も夜行バスじゃないんだから、市営バスで居眠りはないだろうし、こりゃ絶対呪い的な何かだね、と思いました。顔に喰らわなきゃ倒れないとガード下げずにいたボクサーのように、過去作のボディーブローが効いてましたね。ダメージが蓄積されてました。
 その後も同じです。Jホラー的な女性の霊だってこっくりさんで観ていたし(あれは参加もしてましたが)それが最後の種明かしをいい感じでぼかし続けてくれました。
 そして最後に足元を掬われました。(さっきボクシングで表現したばかりですが)
 このことからも、今までやっていない領域に自分を持って行ったと思う訳です。

 ちなみに最大のミステリーである(と私は思うんですが意外とスーパーナチュラルにスルーされている気がする)FATHERを書いたのは誰かという問題ですが、これはずばり由佳里自身でしょう。
 見ようによっては別のアルファベットに見えるという話題になったときも、弟が「僕はFだと思うな」と正解を言って誘導したりするのも自らに気付かせようとする精神の動きと取れますし、まあ母が消してたHに気付かないのは(原作と展開が違うので)若干あれですけど、まあ許容範囲でしょう。

 で、皆様がご指摘になってる家族の物語という点に対しての持論です。
 今回、これが一番的外れの可能性があります。まあ聞いてください。

 今回のキーマン、父です。まだここに異論はありませんね。
 私も二児の父であります。
 またしてもウダウダと父の行動を映画の順に羅列します。

・Fの落書きを見つけ「弟が犯人かもね」という由佳里に、「死人ができる訳ねーだろ!(意訳)」という母に対し「弟じゃ背が足りないんじゃないかな?」と言い(結果的に狂っている)由佳里をあたたかい目で見ている。
・「車で私と弟を送って」という由佳里に対し(結果的にー以下略)
・「お父さんが料理を作ろう何が食べたい?」と由佳里に言いながらも「弟にも訊いたら?」と自ら発言し(結果的にー以下略)
・実は給料が下がっていると由佳里に告げる。
・FATEの落書きに運命を感じた為(←これが怪しい)失踪。
・置き手紙には「自分の人生を生きろ」とある。これも自分勝手な話。結果、母自殺未遂。
・家族に内緒で大量に株を買っていた。
・居場所を探し当てた由佳里に過去の話をするが「社長令嬢に気に入られて」「母さんが二人の仲を勘違いして」という言い方をしてプラトニックさを強調。←これは母でなくとも信じがたい。
原作をテキストとしなくとも父は社長令嬢とできていたと見るのが妥当。だって社長令嬢でしょ。
社長令嬢の父(すなわち社長)は百歩譲って目をつむるとして、夫が許すはずないでしょ子どもの死を。
・結果、父はその会社に戻っている。
・弟を殺したのは社長令嬢であるにもかかわらず、父はそれを庇い証拠隠滅をしている。
←幼い由佳里の精神が破綻しないようにした、とは思えない(弟は生きていると洗脳までしている)

 はい、ここでみなさんと意見が分かれはじめてきましたね。
 私は父のこと相当疑ってます。
 最初は母、非常にヒステリックに描かれますが、父は裏切り、由佳里は狂い、弟は行方不明、完全な被害者です。
 対して父、穏やかな優しい父としてでてきますが、結果的に由佳里を悲しませるようなことばかりしてます。

 そして映画はそんな父が、笑顔を浮かべながらも緊張が持続した複雑な表情を浮かべて帰ってきたとろで終わります。
 あの表情、みなさんはどう捉えたでしょうか。
 その後の世界は観客個々で楽しめばいいものですが、敢えて私の想像を述べておきます。
 私は父が愛しているのは結局社長令嬢一人で、由佳里を殺しに帰ってきた。です。
 福田映画はですね、劇中で主人公が死んで終わってしまう映画、結構多いんです。
 不条理、不幸、不運、ジャンル映画ですからね、宿命です。
 でも、今回は敢えて余韻を残した。
 僕の中ではですね、過去の福田君のどのホラー映画より遥かに怖いですアイズ。
 男ってそういう嘘がつけないくせに強欲でみっともないし、女には頭があがらないくせにキレたら止まらない。そいうとこまで掘り下げてるんじゃないかって思うんです。
 もう4つ目の評価ポイントとしてしまいます。
 ただし何度も言いますが、完全に的外れな可能性ありますからね。
 由佳里の記憶が戻ったことをどうやって知ったかとか突っ込まないで下さい。

 あとは完全なる余談です。ここまで読む人も非常に少ないと思いますが、ここからは客観的な分析ではありません。主観です。テストでいうところのプラス5点とかそういう世界です。

 5つ目の評価点、弟(翔太)の演技。
 あごをしゃくれさせてしゃべるのが特徴的な俳優さんでした。あくまで個人的にですがこれは褒め言葉です。
 私の二男が現在5歳で私に似てるのにイケメンなんですが(親バカです)私に似て時折しゃくれますw実は自閉症で5歳の割に会話もおぼつかないのですが、本当は私の幻想で現実にはいないと言われるくらいなら、今のままでいいから生きていて欲しいと願いました。
 泣きながら由佳里との別れを拒むシーンは、由佳里が現実に目覚めることが間違いだなどと言う気はないが、正しいという気にもなれないと思って胸が苦しくなりました。
 そして救急車に母と一緒に由佳里が乗る際、置いてきぼりをくって(という由佳里の幻覚ですが)手を真っ直ぐに降ろし、両の握りこぶしを腿にパタパタと当てている仕草が非常に良かった。すごく切なくなりました。

 6つ目の評価点。監督のこだわり。
 今更何って感じですよね。実は私、この作品の現場には一度もお邪魔しませんでしたが、この作品に関係してるんです。厳密に言うとうちのオモチャがw
 翔太の遊んでいるオモチャの一部を福田君に頼まれて貸し出したんです。おかげで一家4人エンドロールにも名前が出ていますw
 で、我が家にまでそれを取りに来たリアリティー至上主義の監督を絶賛!という訳ではありません。後述しますw

 塚本晋也という映画監督をご存知ですか?
 鉄男や東京フィストで世界的にも名の知れた名監督ですが初期の作品を見ると笑ってしまうかもしれません。内容が?いえいえ内容は傑作ぞろいですが、エンドロールの最後に監督、脚本、撮影、照明、編集、美術、出演 塚本晋也となっているのです。
 七つの顔を持つ男などと言われて、要は全部の部署の先頭をきっていた訳です。
 フランスのギャスパー・ノエも絶賛してました。(理由は色々あると思いますが)
 かくいう福田君も日本映画界の中では中々のスーパーマンです。スティーブン・ソダーバーグやロバート・ロドリゲス同様、監督でありながら自らカメラをまわし、脚本家にも名を連ね、編集もこなします。

 そして今回、映画冒頭で私はあることが気になりました。由佳里の家の玄関には装飾品が一つもなかったのです。業界にいらっしゃらない方には中々伝わりづらいことかもしれませんが、これは相当な決断です。勿論、飾らないことを褒めている訳ではありません。
 理由は明白です。予算がかなり厳しかったんだと思います。実際、現状の予算が潤沢だと思っている日本映画は皆無と言っていいでしょう。「進撃の巨人」のような大作だって、さらに次の日本版「ゴジラ」だって、他の規模の作品より予算はたくさんありますが、あればあるだけのことをやる訳ですから体感としては金が足りないと思う訳です。でも、そんなの例にあげる必要もないくらいアイズの予算はきつかったはずです。いいとも悪いとも言ってません、おそらくの事実を述べてます。だからうちのオモチャにも出番があった訳だろうし。
 ポイントはあの飾りを提案した人がいて、それにに対して監督がOKを出したこと。
 貧乏くさく半端に飾るくらいならいらないと判断した監督と彼と組んだ美術部の名前が気になりました。そしてエンドロールにはこうありました。

 美術 福田陽平

 アイズで一番泣きそうになった画面はここです。興ざめさせてごめんなさい、でも事実なんです。

 あとはベタ褒めもあれなんで突っ込みどころを羅列しようと思ったんですが、ただでさえ駄文にしすぎたのでやめます。異論反論は当然あるでしょうが、冒頭フィジカルには訴えないでなどと言ったもの、文章ではなく皆様の意見は飲みの席で聞くのが理想です。
 なんならメキシカンスタンドオフばりの三すくみで、監督とも私とも違う皆様のアイズ論をぶってもらえたら幸いです。
 
 えーと推敲は後日します、或いはしません、疲れたので。ありがとうございました。

Jay Lancard
子どものころに考えていたこと

自分が重病を抱えていて
それでも奇跡的にそれを克服して

英雄になること

或は自分が医者になり
手術不可能とされている病気を治して

英雄になること


子どものころに考えもしなかったこと

自分が障害者だと言うこと
その血をひいた息子もまた障害者だということ

人は人にに迷惑をかけるということと
少なからず迷惑をかけずには生きられないということと
できるだけ迷惑をかけずに生きていけたらと考えるということ


現実はあまりにも恐ろしく
ただ小さな私ひとりが
如何程の罪を背負っても
醜態を曝して喚き散らしても

英雄にも独裁者にもなれず
世界はただ静かに回っている

障害は病気とは違い
向き合うことはできても治すことはできないそうです

知らずに死ねたらどうだったのか

知ってしまった今となっては
知る由もない
リスクヘッジなんだろうけど、Amebaはあまり自由に発言できないのね。
書籍や歌詞の引用もチェックされると。
勝手に引用するのが自由とは言わないが、まぁ、仕方ないか。
さらには、こういう批判的な文章にも検閲が入るのか気になる所。
そこまで見てられないか、基本的に発覚は利用者からの通報だろうし。
政治的な話はいいのかな?差別とか?下ネタとか?
ボーダーは、最終的には利用者が決めるんだろうね。

じゃあ、まあここらでひとつ。
俺はオリンピックに興味がない。
結局ルールが判然としないから。

抗議して覆るなら、なぜ審判がいる?
かと思ったら、誤審のまま試合が終わったりもする。
手を抜くと失格になる。(なんだそら)
差別的な発言をすると追放される。(なんだそら)
柔道の結果を日本人以外の視聴者が気にしているか?
日本が強豪って当たり前だろ。
俺が考えた弱いヤツ程勝ちゲームってのがあったとして
俺がチャンピョーンとか言って吠えてたら、阿呆かと思われるよね。

マスが導いた思想に、みんな思考停止で従って
あのルールはいいけど、あのルールはまずい。
優勝候補が失格になっても
優勝の望みがなかった日本人が勝ち上がれるならいい。
けっか日本すげーって、すごいか?
いや、すごいよ実際。
でも日本がすごいと気に入らねえ、選民ぶったやつらがいるのも事実。
ソフトボール女子なんて、世界の競技人口が少ないから種目からなくなったし。

ま、オリンピックで寝不足にはならない、俺はね。
でも、すごいプレーには感動する。
で、野球はいつ始まるの?