さすがに64歳になろうとしている自分を見ると
なんだか覇気が感じられない・・・です。
何から何まで、ゆっくり主義者。
ゆっくりで何が悪い? なんて、開き直り。
まず歩くのがゆっくり。
食べるの、ゆっくり。
パソコンのキーボード、ゆっくり。
趣味のプログラミング、かなりゆっくり。
プログラム設計、今や職業ではないので
限りなく、ゆっくり。
納得するまで、設計やり直す。
神戸で再び暮らすようになって
永らく、魚を捌いて一夜干し・・・
作っていない。
神戸で魚、けっこう高価な食材。
やってられん。
やはり街は、田舎と違って物価高い。
消費税増税、アホかと思う。
いや、そうとしか思えない生活感。
あんた、どないする?
で、話を本題に戻して。
昨年 2/15 認知症の周辺症状が限りなく悪化した父が
神戸市内の精神病院に入院した。
精神病院に入院は、地域包括総合支援センター
神戸市では「あんしんすこやかセンター」と呼ぶ。
そこのケアマネさんの、最大限に考えた結果の判断。
私を含め家族も、もはやそれしかないと思った。
それは今でも、正しい判断であったと思う。
正直な話、生きて家に帰ってくるとは思わなかった。
結果、昨年12/7に亡くなって
骨になって我が家の帰ってきた。
当然骨壺を持って帰ってきたのは長男の私です。
今でもそうなんですが、なんだか亡くなった実感が無い。
亡くなった寂しさが無い。
骨壺を持って帰ってきた日の数日後、
私は、不思議な夢を見た。
景色が無くて、声だけが聞こえてきた。
「仏になって戻ってくる。」と。
私は、あまり霊的に物事を考えない人です。
夢の中で、「はぁ? 何を言うとんのや?」。
「それ、なんの意味やぁ?」。
すると、景色が見えてきて・・・
出会ったことの無い(少なくとも父ではない)老人と
坊主(そこら辺をカブか車に乗って走り回っているような今風ななまぐさ坊主。その角刈り頭、なんや!」
がいた。
ただ景色が砂漠のような、周りには砂の山とかあって。
真ん中に川があって。透き通った水が流れていて。
その老人と坊主が、とぼとぼと遙か彼方へ歩いて行く。
しばらくすると、その老人と坊主が遙か彼方から
こちらへ歩いて戻ってきた。
何か忘れ物でもしたんかいな。
いや、違っていた。
坊主の外観容姿は変わっていないのに、
その老人はどう見ても30代前半か20代後半くらいに若返っていた。
そんで、その老人と坊主が、とぼとぼと別の方向へ遙か彼方へ歩いて行った。
今度戻ってきたら、その老人は子供になってるのかな? と思った時に
ふと、目が覚めた。
窓から眩しい光が射していた。
今でも覚えている、妙に不思議にリアルな風景であった。
さて、話は変わり・・・
いままでボランティア活動に全く興味が無かったのですが
いや、拒否さえしていました。
キャラバン・メイトの資格を取得していた私は
これまた、なんの抵抗も無く
今年2019年から、社会福祉協議会の活動に参加するようになりました。
こちらを参照。
http://www.caravanmate.com/aboutus/
これは、介護ではありません。
どちらかと言えば、地域活動です。
「認知症の人が暮らしやすい街作り」活動です。
考えてみれば、認知症で精神病院で亡くなった父が
何らかの形で、私の背中を押してくれているのでしょうか。
社会を変えるなんて、とんでもなく途方もないことで
小指で砂を搔くような微々たる作業です。
本当、地味な地域活動。
介護の仕事をしながら、1級身体障害者の母の日常介助しながら
地域活動ボランティアかぁ。
さて、今回の本題。
「疲れている場合ではない。」でした。