私は神戸市長田区の生まれ育ちです。
小学校5年生から高校時代にかけて一人になると何故か外国のことをよく想っていたものでした。
当時の神戸は港町なものですから、それなりに異文化がありました。
今の三宮のセンター通りなんか、石を投げれば外国人に当たる状態でした。
神戸にやってくる外国人は港から。そう神戸港。


もともとジャズやロカビリー・カントリーなどの洋楽が盛んであった土地柄です。
特にラジオ関西とかが良かったですね。
ラジオ関西は今も健在です。三浦紘朗の名曲ラジオはなかなかイケてます。


私は中学生の頃には、Beatles, Spencer Davis Group, Dave Clark Fiveとかをよく聴いていました。
何故か Yardbirds は高校に入ってから聴くようになりました。
アメリカの音楽では Peter, Paul and Mary は好きでした。
とにかくラジオをよく聴いていました。
あっ! この人を外せない! 弘田三枝子。子供ながら夢中になりました。
当時16歳だったかな。 弘田三枝子の歌はなんでも好きだった。
高校時代は欧米のロックと同じように横浜のゴールデンカップスとか聴いていました。


柳ジョージ「フェンスの向こうのアメリカ」ではありませんが
ラジオの向こうの外国、港の(海の)向こうの外国。
テレビの国民的人気番組はなんといってもプロ野球とプロレスでしたね。


野球の外国人選手は当時も人気がありました。阪神タイガースのバッキー投手や南海ホークスのスタンカ投手とか。
スタンカ投手ですよ。スカタンと違いますよ。念のため。(ここ笑うところ)


とにかく外国に対する憧れだけ、中学校では英語の授業以外は興味無し。

今思うと、当時の神戸には外国に想いを馳せる環境があったのです。
が今もまだ、外国には行ったことはありません。
当時は子供心に単に憧れていただけです。


そんな私は20代になってから沖縄へ行きました。本土復帰9年目だったかと。
那覇市はなんだか不思議なアジアの街角みたいで、日本には見えませんでした。
バスに乗ってコザ市へ行きました。だんだん基地のフェンスが見えてきて、ますます日本的ではない景色に圧倒されました。
コザ市に着いてから市内見物、ゲート通りとかビジネスセンター通り(B.C.Street)。
時間を持て余しているのか、通りの歩道にアメリカ兵がずらっと座っていて
やたらと回りをきょろきょろと見回していたり。当然旅行者である私は、歩いているだけで誰かが後をつけているのがわかりました。
なんとかコザの雰囲気に馴染みたいと思い、米軍払下げの店へ行って上下一式の服を買って店で着替えて外にでました。
思ったとおり、違和感が無くなりました。
そして夜になって・・・現地ではクラブと呼ばれている店へ行きました。
驚いたことに、照屋地区は黒人達が遊ぶところだった。
ゲート通りとかB.C.Streetは、白人が遊ぶところ。
その外にはディスコは黒人が圧倒的に多数の遊び場でした。
地元の人には民謡クラブとかもたくさんありました。


沖縄で感じたのは、黒人の人達はおとなしく冷静で紳士的な印象がありました。
通りすがりの人に罵声を浴びせるのは白人(または白人の子供達)だけでした。


そんな白人相手にロックを演奏するクラブに行きました。クラブキャノンのジョージ紫/Okinawa や
クラブ Rolling Twenty の Condition Green。そんなコザで 喜納昌吉とチャンプルーズのメンバー達はなんだか沖縄原住民みたいな強烈さがありました。
沖縄ロックは白人達をクレージーにさせる。彼らは兵隊だから元手の体は日頃鍛えてあります。
俺はいっぱしの大人だと言わんばかりの白人達がクレージーになる。店の人に聞くと、ほとんどがホームシックだとのこと。
そんなアメリカの兵隊をオキナワンバンドは圧倒的な音で埋め尽くす。だんだん白人達の顔に笑顔が戻る。
そう、アメリカ相手のオキナワンバンドは職業であり生活の糧を得るための仕事。
半端ではない音に鼓膜が破れそう。私は怖々もステージから3番目の列のテーブルでアメリカ兵に混じって一人でビールを飲みました。
ジュクジュクした脂汗ではなく、水のようなさらさらとした汗が体中から出ました。
ビールが進みますが、酔いかたはいたっておだやかでした。


オキナワンバンドのトンデモナイ物凄い音に圧倒された私は
この時に、外国への憧れが消えて無くなっていました。
と同時に冷静に考えるようにしました。


当時沖縄で流行っていたかどうかはわかりませんが、コザの照屋レコード店で買った民謡 嘉手苅林昌の「時代の流れ」という歌。
「唐のゆー(世)から、アメリカゆー、アメリカゆーからヤマトのゆー。ひるまさ変わたるくぬ(この)うちなー。」
これは日本人(内地人、方言ではナイチャー)にとっては頭で理解できても心情までは理解できないだろうな。


正直沖縄へ旅行はしたいと思います(もう一度行きたい。石川真央さんに一度会ってみたい)が、そこに住みたいとは思いません。
生まれ育った神戸の方が良いです。私としては。


あっ! もう 14:40。グループホーム夜勤に出かける準備せんとあかん・・・
それでは失礼!



P/S YouTubeで見つけた音源。Condition Green の 2nd Album。「Mixed-up」


"CONDITION GREEN" [Mixed-up] OKINAWA ROCK JAPAN Sound source from old cassette tape


 

 

写真家 石川真央さん 石川真生「フェンス OKINAWA 2007/11~2008/07」