2月15日(木)雨の降る日に、どうしようにも無い程にアルツハイマーが進行してしまった父を遠く離れた山の中にある精神病院へ連れて行ってきました。
父には「診察を受けに行こうと」言っておいて、実はその日からは入院だったのです。正直な話、涙が出て止まりませんでした。
誰が精神病院に入院させたいものか。悩みぬいた上での究極の判断であり、私は苦しみました。



父のような戦後世代の人は、だいたい似たような人生を送ってきています。
1、物も無ければ金も無い。
2、ご飯が食べられさえすれば、それだけで幸せ。
3、現在のように自分に適した職業を選択するわけではなく、「与えられた仕事は天職と思えで」ただただ真面目に働いてきた。
  父は酒を飲まない(飲めない)ので在職中は「付き合いができない事」を苦にしていましたが、場には出て行っていました。
4、現在のような再雇用制度は無く、定年を迎えると役目を終えたとして社会から身をひく生活に変わる。
5、動ける範囲内だけが生活圏内になる。



さて、如何でしょうか?
私の目には、ただただ真面目に働いてきた人の老後の行き着く場所が精神病院とは。



服薬での効果が見えてくれば療養型病棟に移り、その後にはその病院が運営している老健施設に入所ということにはなっていますが・・・
施設に入所の件は保証されているわけではありません。部屋に空きがあればという条件です。
現在神戸市では施設入所できるかどうかは、東大の入試に合格するよりも確立は低いようです。
1か月に35~40万円程度の料金を払えればサービス付き高齢者向け住宅という選択もあるでしょうが。



このような状況で苦しむのは認知症の親を持つ家族なのです。何をどう考えても希望の光が見えて来ない毎日。
時間的にも経済的にも生活を圧迫します。認知症の親を持つ家族としては安心な生活が困難になります。
施設入所(あるいはショートステイ)が困難な状況では、父には家に居てもらうしかないのです。



現在、認知症の当事者とその家族をサポートする何かがあるとは、到底思えません。無論、皆無では無いかもしれませんが。
家族の会とか認知症カフェとかはありますが、あれは生活をサポートする場ではありません。当事者と家族の情報交換の場だと私は認識しています。



これは、ごく最近あった話なのですが。兵庫県小野市に住むいとこの事です。
最近、介護初任者研修(旧ヘルパー2級)の資格を取得したのですが
小野市では通所・入所を含めて介護施設の需要が少ない。従って介護職員が余っていて小野市内では介護関係では就職できない・・・
現在、小野市外で就職先を探している。なんとか通勤可能なところで就職先が見つかればと思っている。



ん!? 一体どういう事だ???



私の家内の実家が小野市なので、小野市(特に農家の多い地域)の老人の暮らしは多少なりとも知っています。
家内の母の暮らしはこのような感じです。近所のお家へ出かけて行っては世間話をして会話を楽しんでくる。
家へ帰って来れば、田んぼの雑草刈りや畑での野菜栽培などで1日に数時間程度は体を動かす。
去年は転倒骨折で入院していたのに、驚くべき程に回復していた。今は杖や歩行器は使っていない。
訪問介護ヘルパーさんが来てくれる日には、入浴介助をお願いする。
お昼は、12時から13時までは NHKのテレビ放送を見る。夕方からは、夕食後にはラジオを聴きながら眠くなったら寝る。
洗濯や食事の用意は自分でする。買い物は、近所の人に頼んで(近所の人が買い物に行く時に)買ってきてもらう。
ざっと、こんな感じです。独居老人であっても決して一人ではないのです。村の人たちとの付き合い・交流が毎日あるのです。



あー、そうなんだ!



田舎暮らしは兼業農家で仕事の傍らに農業をしている世代は村の付き合いは「まぁ、しかたがないか」みたいな感じですが
老人にとっては村の付き合い・交流は生活になくてはならないもののようです。日々の楽しみとして。
結果として家内の母は認知症はありません。加齢・高齢化(現在90歳)により要支援度2です。
このような村での暮らしの中では認知症であろうがなかろうがは、あまり関係が無いように思えます。
村の人の感じが「あそこの婆さん、最近呆けてきたなぁ。気ぃ付けといたらなあかんなぁ。」みたいな感じなんです。



このことで私は次の事を思い出しました。


1、杉野文篤さん(認知症当事者からのメッセージの講演活動をされている)の言葉。
  医療は認知症の告知はしても生活へのサポートはしてくれない。
  認知症とわかった後に待っているのは、これからの生活はどうなるのだろうという生活不安だと。
  地域社会においては二つのことをお願いしたい。
  ① 認知症の人の噂話をしない。(あの人、頭がおかしいらしいなどと)
  ② 認知症の人を仲間外しにしない。
  つまり認知症の当事者に必要なのは、地域社会との関わりなのです。
  認知症とは何かを正しく理解する必要があります。


2、関口祐加さん。映画「毎日がアルツハイマー」の映画監督。
  認知症の高齢者にはレクリエーションなんて要らない。
  毎日の生活感(生活をしている実感。やりがい)が必要である。
  生活感を失わないためには社会との関わりが必要で、決して社会から孤立してはならないと思います。(私の付け加え)


認知症の父を持つ家族として私が感じたことは、我が家の場合。
認知症の父や認知症の父を持つ私たち家族が光の見えないところで苦しみもがいて、いつの間にか社会から孤立していたと思います。
当然、地域包括支援センターのケアマネさんはいろいろと動いてくれました。
が、医療も介護も当事者は見ますが、当事者の家族の生活までは見ません。なので家族の苦しみは結局は誰からも理解してもらえなかった。



私が経験した辛さや苦しみ。同じような辛い思い・苦しい思いをしている人がいるんだろうな。
そんな人を一人でもなんとかできないものかと、私は強く思いました。



私は2月8日(木)に加古川市の講習を受講してきました。認知症キャラバンメイトとしてのキャラバンメイトIDを取得しました。講師としてのボランティア活動を行っていくつもりです。



認知症の当事者やその家族が安心して暮らせる町つくり。
地域社会の人々が認知症を正しく理解すること、認知症当事者は認知症であることをオープンにすること。認知症当事者は自分にできないことを他者に助けを求める。助けを求められた人はそれに応える。
これから何年かかるかわかりませんが。



やるしかない!