テレビを見ていて
室伏選手は
5大会連続となるリオ五輪出場は絶望的となり、
競技後、第一線を退く意向を示した。
報道陣に対し
「体力の限界を感じた。寂しいがいずれこういう時が来る。」と
語った。
鍛え上げたアスリートでさえ
こういうときが来る。
何とも寂しい限りである。
年齢に向かい合うということは
もはや自分との闘いであり
他人は自分の敵ではない。
昭和30年生まれ(年齢が何歳かは計算してください)の私も
いつしか体力の限界を自覚するようになりました。
50代の間は、8月の真夏でも
加古郡播磨町あたりから
神戸市兵庫区湊町(新開地)まで自転車で往復することができました。
今はできません。
神戸まで行くことはできても
帰ってくるのは無理だと思います。
何がいやだって
朝4時か遅くて5時くらいに起きて
畑へ出かけていって雑草刈り(雨の降った後はよく茂るんです)をすると
7時くらいに倒れてしまいます。
今までは朝の野良仕事をして汗を流してから
会社に出かけていたんです。
野良仕事の時間はせいぜいが30分くらいですが。
もともとデスクワークだけで
40年以上過ごしてきましたので
体が弱っていたのでしょう。
兵庫県加古川市の崇高クリニック
荒木院長と荒木里先生のアドバイスのもと
一年を通してエアコンが要らない体質になりました。
信じられない話ですが
冬は暖かくて、夏は涼しいのです。
それくらいに体温調節機能は回復しました。
今時のブームかどうかはわかりませんが
糖質制限はよく話題になっているようです。
実際にお会いして話してみると
荒木院長の言われることは、少しニュアンスが違うのが感じられます。
荒木院長は肉を食べて元気になれと言います。
白人共に負けない体をつくれと。
アメリカ暮らしの長かった荒木先生のリアルな感覚だと思います。
私は25歳の時に沖縄へ行ったことがあります。
その後、沖縄へは10回行きました。
まだ本土復帰して10年も経っていないときで
基地の町コザ(現在の沖縄市)には
たくさんのアメリカ兵が街にいました。
地元の方々が行く食堂では
昆布・豆腐・豚肉などが食材として使われていました。
沖縄の海産物なども積極的に摂取されていたと思いました。
暑い季節(冬も暖かい)には自然に体を冷やす
ゴーヤーやチブル(冬瓜)などが食材として使われていました。
万病の薬としてはハンダマーという野菜が栽培されています。
沖縄そばなども具材にはタンパク質が豊富な食材が使われていました。
暑く照りつける太陽、アシテビチ(コラーゲンたっぷりの豚足料理)は
ソウルフルな料理でした。
同じく暑い日に食べるソーメンチャンプルーは
信じられないほどのおいしかったです。
冬に沖縄へ行ったときは
ヒージャー汁(山羊汁)なんか体が火照りました。
ハブ料理だけは、私には無理でした。
ナーベラー(ヘチマ料理)も無理でした。
アメリカ兵たちがやってくる店でも
ステーキが安くていただけました。
* 余談ですが
ゴーヤー・チブル・ハンダマーは
何とか兵庫県に定着できないものかと思い
現在、畑で実験的に栽培しています。
今は沖縄へ行っていませんから知りませんが
当時は、沖縄古武道や空手が盛んでした。
空手を学んでいるというひととはたくさん出会いました。
体を鍛えて
理にかなった合理的な食事をいただく。
荒木院長、そして沖縄の人々。
基地で常駐するアメリカ人は
軍人なので体は鍛えている。
目の当たりに白人や黒人のデカイ体をみれば
沖縄の人たちが
何故、体を鍛えて合理的な食事を取るかが
理解できるような気がします。
さて、曲をかけましょう。
饒辺愛子さん 「ナンタ浜」
この曲が後に
沖縄のハードロックバンド紫の
Mother Nature's Plightという曲の後半の部分に
アレンジされたことはご存じですか?
室伏選手は
5大会連続となるリオ五輪出場は絶望的となり、
競技後、第一線を退く意向を示した。
報道陣に対し
「体力の限界を感じた。寂しいがいずれこういう時が来る。」と
語った。
鍛え上げたアスリートでさえ
こういうときが来る。
何とも寂しい限りである。
年齢に向かい合うということは
もはや自分との闘いであり
他人は自分の敵ではない。
昭和30年生まれ(年齢が何歳かは計算してください)の私も
いつしか体力の限界を自覚するようになりました。
50代の間は、8月の真夏でも
加古郡播磨町あたりから
神戸市兵庫区湊町(新開地)まで自転車で往復することができました。
今はできません。
神戸まで行くことはできても
帰ってくるのは無理だと思います。
何がいやだって
朝4時か遅くて5時くらいに起きて
畑へ出かけていって雑草刈り(雨の降った後はよく茂るんです)をすると
7時くらいに倒れてしまいます。
今までは朝の野良仕事をして汗を流してから
会社に出かけていたんです。
野良仕事の時間はせいぜいが30分くらいですが。
もともとデスクワークだけで
40年以上過ごしてきましたので
体が弱っていたのでしょう。
兵庫県加古川市の崇高クリニック
荒木院長と荒木里先生のアドバイスのもと
一年を通してエアコンが要らない体質になりました。
信じられない話ですが
冬は暖かくて、夏は涼しいのです。
それくらいに体温調節機能は回復しました。
今時のブームかどうかはわかりませんが
糖質制限はよく話題になっているようです。
実際にお会いして話してみると
荒木院長の言われることは、少しニュアンスが違うのが感じられます。
荒木院長は肉を食べて元気になれと言います。
白人共に負けない体をつくれと。
アメリカ暮らしの長かった荒木先生のリアルな感覚だと思います。
私は25歳の時に沖縄へ行ったことがあります。
その後、沖縄へは10回行きました。
まだ本土復帰して10年も経っていないときで
基地の町コザ(現在の沖縄市)には
たくさんのアメリカ兵が街にいました。
地元の方々が行く食堂では
昆布・豆腐・豚肉などが食材として使われていました。
沖縄の海産物なども積極的に摂取されていたと思いました。
暑い季節(冬も暖かい)には自然に体を冷やす
ゴーヤーやチブル(冬瓜)などが食材として使われていました。
万病の薬としてはハンダマーという野菜が栽培されています。
沖縄そばなども具材にはタンパク質が豊富な食材が使われていました。
暑く照りつける太陽、アシテビチ(コラーゲンたっぷりの豚足料理)は
ソウルフルな料理でした。
同じく暑い日に食べるソーメンチャンプルーは
信じられないほどのおいしかったです。
冬に沖縄へ行ったときは
ヒージャー汁(山羊汁)なんか体が火照りました。
ハブ料理だけは、私には無理でした。
ナーベラー(ヘチマ料理)も無理でした。
アメリカ兵たちがやってくる店でも
ステーキが安くていただけました。
* 余談ですが
ゴーヤー・チブル・ハンダマーは
何とか兵庫県に定着できないものかと思い
現在、畑で実験的に栽培しています。
今は沖縄へ行っていませんから知りませんが
当時は、沖縄古武道や空手が盛んでした。
空手を学んでいるというひととはたくさん出会いました。
体を鍛えて
理にかなった合理的な食事をいただく。
荒木院長、そして沖縄の人々。
基地で常駐するアメリカ人は
軍人なので体は鍛えている。
目の当たりに白人や黒人のデカイ体をみれば
沖縄の人たちが
何故、体を鍛えて合理的な食事を取るかが
理解できるような気がします。
さて、曲をかけましょう。
饒辺愛子さん 「ナンタ浜」
この曲が後に
沖縄のハードロックバンド紫の
Mother Nature's Plightという曲の後半の部分に
アレンジされたことはご存じですか?