60歳を境として、確かに考え方・感じ方に変化があったようです。
社会へ出てからの過去40年間を今振り返ってみると。


一体何に向かって (自分自身にどういうテーマを持ったか?) が
重要であったように思えます。


それが私にとっては PC-Unix であった。・・・と


今でも 10年以上前の事を思い出します。
何故 PC-Unix なんだろう?


当時 Microsoft Visual Studio を仕事で使っていました。
Windows アプリケーションの開発はそれはそれで
ある程度は楽しめたのですが、
「未知の O/S に触れてみたい。」というのが
当時の正直な気持ちでした。


最初は FreeBSD を使ってたのですが
リーナス・トーバルズ氏の存在が私の心を
大いに揺さぶったのです。


インターネットを通じて世界中の開発者が集い作り上げた
フリーの O/S。
というより O/S の中核部のカーネル開発なんですが。


リーナス・トーバルズ氏はヘルシンキ大学の学生だった頃に
講演のために京都大学を訪れました。
確か NHK だったと記憶しています。
リーナス・トーバルズ氏と Linux の特集番組が放送されました。


コンピュータの世界には非常にたくさんの偉人が存在します。
が、リーナス・トーバルズ氏は何か違った風に見えました。
コンピュータの世界の若いヒーローって感じでした。


それからというものは専門書買いまくりで
殆ど独学で覚えました。


技術的な事のみならず、リーナス・トーバルズ氏の発言などが
非常に興味を惹きました。


何故プログラムを書くのか?の問いに対して
「Just for Fun.」。
「それがぼくには楽しかったから。」と訳されています。
要するに、「ただ楽しみのために」という事なんですが。


プログラムを書く人が一番神経を使う部分が
バグ探し・バグ修正だと思うんですが
リーナス・トーバルズ氏は
「Given enough eyeballs, all bugs are shallow.
(目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない)」。


さて、如何でしょうか。
私は大いに希望が沸きました。


コンピュータを使った職業の場では「心のケア」がよく話題になります。
しかし、リーナス・トーバルズ氏の言われた
「楽しみ」と「楽観」は、必要なのではないか?
私は、そう思います。


何事もそう。
深刻に考えて神経をすり減らすよりは
よりたくさんの人にプログラムのテストの協力を得て
バグ検出~バグフィックスという流れを継続していけば
ある程度の品質は維持できるのではないか?・・・


それが出来ない状況であった場合
責任を全て自分ひとりで負う事となり
だんだんプログラムを書くことが苦痛になります。


これからの時代。インターネットを通じて
国内・海外を問わず良い人達と交流をもって
共同での開発作業をたくさん経験していけば
プログラムを書くことが人生を豊かにすることでしょう。


そういう事を教えてくれたのも
リーナス・トーバルズ氏だった訳です。



P/S より良いプログラマーを目指す若い方に
参考:The Linux Foundation