私が最初に学んだプログラミング言語は COBOL(*) でした。
* COmmon Business Oriented Language (共通事務処理用言語)
当時のプログラミング環境は現在とは違って
メーカー主導型でした。
まずハードウェア・メーカーが最初にあり
メーカーの指導に従ってプログラミング環境を習得し
それから実務的なプログラミングを覚えていく。
そんな流れでした。
つまりハードウェア・メーカーの技術者が必要不可欠な
環境だった訳です。
現在のPC環境と比べてみると、そりゃもう驚き(!)です。
今最も一般的につかわれているPC は
いわゆる「IBM PC/AT互換機」と言われる機種なのですが
ならば例えばですが、ユーザは Dell社の技術者が居なければ
コンピュータは使えないのでしょうか?
現実はハードウェア仕様を全く知らなくても
Microsoft Excel とか普通に使っていますよね?
話を戻して、COBOL ですが
本国アメリカに於いては 1960年代から
COBOLの仕様が制定され COBOLによる開発が進められていった
経緯があったそうです。
国内に於いては圧倒的なシェアで IBM社のマシン上で
COBOL開発が進められていった経緯があります。
従って COBOLで開発された膨大な資産は
現在も尚 稼動していることでしょう。
私は 30年前に COBOL開発者を辞めました。
理由?
それは、PCに夢中になったからです。
当時 Open という言葉があったかどうか定かではありませんが
今振り返ってみると
PCの Openな感覚が好きになってしまったんです。
プライベートで書いたプログラムを
プログラマーであれば誰一人分け隔てなく
できるだけたくさんの人に見てもらう。
そうやっていろんな情報を人伝いで収集していく。
今のようにインターネットが普及している時代ではなかったのです。
いけない。また話がそれてしまいました。
さて私が COBOLプログラマーを辞めてから30年経過した現在。
インターネットでよく見かける記事で
「現在 COBOL技術者が不足している」というのを目にします。
その記事を見るたびに私は思うのであります。
「そんな事知りません。」
COBOL技術者が不足しているとすれば
その要因はいろいろあるとは思いますが
一番いけない事は
例え時代が変わったとしても世代が変わったとしても
若いCOBOL技術者を育成しようとしたかどうか?
それに尽きるのではないでしょうか?
つまり「コンピュータ環境の変遷」と「人の育成」の話を
混同してはいけないと言う事ではないでしょうか?
レガシーなプログラミング言語などと言われている事も
若い世代のプログラマーからすれば魅力を感じないでしょう。
果たして自分のキャリアアップになり得るのでろうか? みたいな。
只今 2015年。iPhoneだの androidだのと言ってるこのご時勢で
「COBOLを職業にしてみる気はありませんか?」と問われれば
60歳になった私でさえ、思わず考え込んでしまいそうです。
なんか COBOLの悪口ばかり言っているようですが。
ただイメージ・感覚に起因する拒絶感があるとすれば
それは百害あって一利無しとも思えます。
若い世代のプログラマーの方々に私からお伝えできることがあるとすれば
「知らないよりは知っておいて損は無い」ということでしょうか。
荷物になりませんし。
昔は非常に高価だった COBOLコンパイラですが
いまではフリーで入手できます。
OpenCobolIDE は COBOLコンパイラがバンドルされています。
OpenCobolIDE Download & Install
http://opencobolide.readthedocs.org/en/latest/download.html
じゃ COBOL言語はどうやって覚えることができるのでしょうか?
インターネットの普及で フリーのeBook が入手可能です。
こんな風に。
私は思うのであります。
レガシーであることをあざ笑ったりしてはいけません。
「温故知新(*)」という諺があります。
* 昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。
また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること。
He that would know what shall be must consider what has been.
将来の事態を知りたいのなら、過去の経緯を考察せねばならない。
ですよね!?
* COmmon Business Oriented Language (共通事務処理用言語)
当時のプログラミング環境は現在とは違って
メーカー主導型でした。
まずハードウェア・メーカーが最初にあり
メーカーの指導に従ってプログラミング環境を習得し
それから実務的なプログラミングを覚えていく。
そんな流れでした。
つまりハードウェア・メーカーの技術者が必要不可欠な
環境だった訳です。
現在のPC環境と比べてみると、そりゃもう驚き(!)です。
今最も一般的につかわれているPC は
いわゆる「IBM PC/AT互換機」と言われる機種なのですが
ならば例えばですが、ユーザは Dell社の技術者が居なければ
コンピュータは使えないのでしょうか?
現実はハードウェア仕様を全く知らなくても
Microsoft Excel とか普通に使っていますよね?
話を戻して、COBOL ですが
本国アメリカに於いては 1960年代から
COBOLの仕様が制定され COBOLによる開発が進められていった
経緯があったそうです。
国内に於いては圧倒的なシェアで IBM社のマシン上で
COBOL開発が進められていった経緯があります。
従って COBOLで開発された膨大な資産は
現在も尚 稼動していることでしょう。
私は 30年前に COBOL開発者を辞めました。
理由?
それは、PCに夢中になったからです。
当時 Open という言葉があったかどうか定かではありませんが
今振り返ってみると
PCの Openな感覚が好きになってしまったんです。
プライベートで書いたプログラムを
プログラマーであれば誰一人分け隔てなく
できるだけたくさんの人に見てもらう。
そうやっていろんな情報を人伝いで収集していく。
今のようにインターネットが普及している時代ではなかったのです。
いけない。また話がそれてしまいました。
さて私が COBOLプログラマーを辞めてから30年経過した現在。
インターネットでよく見かける記事で
「現在 COBOL技術者が不足している」というのを目にします。
その記事を見るたびに私は思うのであります。
「そんな事知りません。」
COBOL技術者が不足しているとすれば
その要因はいろいろあるとは思いますが
一番いけない事は
例え時代が変わったとしても世代が変わったとしても
若いCOBOL技術者を育成しようとしたかどうか?
それに尽きるのではないでしょうか?
つまり「コンピュータ環境の変遷」と「人の育成」の話を
混同してはいけないと言う事ではないでしょうか?
レガシーなプログラミング言語などと言われている事も
若い世代のプログラマーからすれば魅力を感じないでしょう。
果たして自分のキャリアアップになり得るのでろうか? みたいな。
只今 2015年。iPhoneだの androidだのと言ってるこのご時勢で
「COBOLを職業にしてみる気はありませんか?」と問われれば
60歳になった私でさえ、思わず考え込んでしまいそうです。
なんか COBOLの悪口ばかり言っているようですが。
ただイメージ・感覚に起因する拒絶感があるとすれば
それは百害あって一利無しとも思えます。
若い世代のプログラマーの方々に私からお伝えできることがあるとすれば
「知らないよりは知っておいて損は無い」ということでしょうか。
荷物になりませんし。
昔は非常に高価だった COBOLコンパイラですが
いまではフリーで入手できます。
OpenCobolIDE は COBOLコンパイラがバンドルされています。
OpenCobolIDE Download & Install
http://opencobolide.readthedocs.org/en/latest/download.html
じゃ COBOL言語はどうやって覚えることができるのでしょうか?
インターネットの普及で フリーのeBook が入手可能です。
こんな風に。
私は思うのであります。
レガシーであることをあざ笑ったりしてはいけません。
「温故知新(*)」という諺があります。
* 昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。
また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること。
He that would know what shall be must consider what has been.
将来の事態を知りたいのなら、過去の経緯を考察せねばならない。
ですよね!?