私は当時の高校(滝川高校)で卒業後は就職を希望していました。
もともとあまり記憶力がいまいち(*)な私は
進学する意思はありませんでした。
(*) 私は子供の頃からその後長い間
毎年夏と冬には決まったように
高熱を出して長く寝込んでしまうということがありました。
当時のことですから現在よりも
医療技術がすすんでいなかったのでしょう。
医師に往診に来ていただいていたのですが
原因はわからず「温かいうどんでも食べて寝なさい」という
アドバイスと解熱剤の服用だけだったように思います。
これ本当なんですが、一度は私は死んだと思ったことがありました。
目が覚めても自分が今どこにいるのか
わからないことがありましたし
目を開けると天井の板が目の前に見えたこともありました。
結果、長年の年2回の高熱は
何かを覚える事を苦手な私にしていました。
当時の(現在はどうなんでしょう?私はわかりません)学校の試験は
記憶力あるのみみたいな・・・
そんな感じでした。
私は中学校に入学してもとにかく記憶が苦手でした。
ただ不思議なのは、英語の授業だけが妙に楽しく
記憶力を必要とせず(?) 何故か、対応できたのです。
覚えようとせず。ただただラジオ関西の洋楽を
聴いていたために、無意識の内に
さまざまな単語が脳にインプットされていたのだと
思います。
さて、いざ就職となると
オイルショック・ペーパーショックの時代。
なんと就職先が無い!
不思議なのはそれでもアルバイトはあったんです。
兵庫県神戸市兵庫区の和田岬にある大手企業に行くと
なんの技術も持たない私が月額手取で25万円貰えた
そんな事もありました。
とにかくやる事が無い。
そんな時に他人から「神戸電子専門学校」へ行ってみては?という言葉に
従って、とにかく行ってみました。
今振り返ってみると、これが私の人生の始まりでした。
まあ当時の事ですので、現在とは比べ物になりませんが
コンピューターって興味深いんです。
物事を覚える(記憶する)のが苦手な私にとって
非常に居心地のよい世界でした。
当時の事ですからメインのプログラム言語はCOBOL。
ほんの10程の簡単なルールを覚えて
あとは応用あるのみ。
その後順調に就職しました。
が・・・しかし待っていたのは
コンピューター産業というか、プログラミング環境の
激しい時代の移り変わりでした。
その間には神戸の震災や、訳のわからん国民の間引き(*)みたいなリストラとか
いろいろ経験しました。
(*) この頃に自殺した人が多かったのであります。
ただでさえ阪神大震災で痛手をこうむっているのに
その後のリストラが横行したのは、
今でも私は国家的かつ社会的な人間の間引きだと思っています。
惨いものです。世の中とは。
1、IBM メインフレーム
2、オフコン
3、PC MS-DOS (Basic言語, C言語, ISAMベースのデータベース)
今思えば、この頃に Unixに出会っていればよかったのに。
Microsoftの環境で C言語を覚えるよりも
Unix環境で gcc や configure.make などを覚えれば
よかったと思います。しかし当時は Unixは確か高価だったと思います。
例えば SunMicroSystem の Sun WorkStationや Solarisとか。
4、Windows 3.1 (不可解な Windows APIを使った C++プログラミング)
もう何がなんだか分からない。当然でした
C言語もまともに理解できていないのに、
いきなり C++ですから。クラスがまったく理解できていないのに
Windows API プログラミングなんてできようにもありません。
当時は Borland社の Torbo C/C++ (for DOS) や Torbo C/C++ (for Windows 3.1)とかを
相手に苦心惨憺たる思いでした。
5、Windows 95 から 98 (なんと Basicベースの言語とIDE. いわゆる Visual Basic)
私は何故かこの頃に Java言語に魅かれていました。
VJ6でした。
当時にフリーのO/S Linux の出現に非常に興奮しました。
それがきっかけで同じくフリーのO/S FreeBSD にも興味を持ち
誰も教えてくれる人がいない状況で独りで古いPCを使って
FreeBSDをインストールして、いろいろ弄って遊んでいました。
6、インターネットに向かっていった Linuxの時代。
今と違って RedHat Linuxが無料で使えた時代。
HTML や CGI、Java 1.3 などにのめり込んだ時代。
Linuxで仕事をしようと考えて、それが本当に実現した時代。
当時私は 大阪まで通勤していました。朝6時発の快速電車にのって。
いつも自分自身を新しい環境に置いて仕事をしたいのであれば
大阪は、正直良いと思います。
7、本当に Linuxを職業にしてしまった時代。
思いっきり サーバー技術や Web アプリケーション開発に
とっぷりと浸かって毎日を過ごした時代。
今振り返ると、なんと思い通りに過ごしてきたのでしょう。
仕事と言うより、まさに子供みたいな私が
コンピューターというおもちゃを触って
それでいままでの人生の大半を過ごしてきました。
私の40年間は、そりゃいやな事はたくさんありましたが
結果としては、「幸せ」でした。
FreeBSD徹底入門―初めての人でも安心 PC‐UNIXのインストールと完全活用 FreeBSD2.2.1‐RELEASE
FreeBSD(98)徹底入門―PC‐UNIXのインストールと完全活用
カーネルの再構築の手順とかが丁寧に書かれていて良かったです。
みるみるうちに、古いPC9821 がさくさく動きました。
FreeBSDを使ったインターネットサーバの作り方―小規模LAN構築・活用ガイド 初級編
当時 FreeBSD 2.2.7-RELEASEの2枚組の付録CDがあったので Packageインストールが楽しく行えました。
FreeBSD 2.2.8‐RELEASE インストールキット
FreeBSD Ports/Packages ガイド
PC-Unix (FreeBSD)には、どんな Packageがあるのだろうという興味に
多いに参考になりました。
FreeBSD 3.2-RELEASEの3枚組の付録CD付。
FreeBSDコマンドスーパーリファレンス
当時は WindowsNT 4.0 と Windows98、Visual Basic 5か 6 みたいな環境で仕事をしていましたが
自宅では、ただただ FreeBSD を触っているのが楽しかったです。
P/S 今、趣味・娯楽としてのコンピューターの記事を書こうとしています。
まだ CMS(concrte5) と White-paper theme をインストールしただけなんですけど
まあ私の一人遊びなんですが。ぼちぼちと・・・記事を書いていきます。
Genome-X. Memorandum for enjoy my computer.
もともとあまり記憶力がいまいち(*)な私は
進学する意思はありませんでした。
(*) 私は子供の頃からその後長い間
毎年夏と冬には決まったように
高熱を出して長く寝込んでしまうということがありました。
当時のことですから現在よりも
医療技術がすすんでいなかったのでしょう。
医師に往診に来ていただいていたのですが
原因はわからず「温かいうどんでも食べて寝なさい」という
アドバイスと解熱剤の服用だけだったように思います。
これ本当なんですが、一度は私は死んだと思ったことがありました。
目が覚めても自分が今どこにいるのか
わからないことがありましたし
目を開けると天井の板が目の前に見えたこともありました。
結果、長年の年2回の高熱は
何かを覚える事を苦手な私にしていました。
当時の(現在はどうなんでしょう?私はわかりません)学校の試験は
記憶力あるのみみたいな・・・
そんな感じでした。
私は中学校に入学してもとにかく記憶が苦手でした。
ただ不思議なのは、英語の授業だけが妙に楽しく
記憶力を必要とせず(?) 何故か、対応できたのです。
覚えようとせず。ただただラジオ関西の洋楽を
聴いていたために、無意識の内に
さまざまな単語が脳にインプットされていたのだと
思います。
さて、いざ就職となると
オイルショック・ペーパーショックの時代。
なんと就職先が無い!
不思議なのはそれでもアルバイトはあったんです。
兵庫県神戸市兵庫区の和田岬にある大手企業に行くと
なんの技術も持たない私が月額手取で25万円貰えた
そんな事もありました。
とにかくやる事が無い。
そんな時に他人から「神戸電子専門学校」へ行ってみては?という言葉に
従って、とにかく行ってみました。
今振り返ってみると、これが私の人生の始まりでした。
まあ当時の事ですので、現在とは比べ物になりませんが
コンピューターって興味深いんです。
物事を覚える(記憶する)のが苦手な私にとって
非常に居心地のよい世界でした。
当時の事ですからメインのプログラム言語はCOBOL。
ほんの10程の簡単なルールを覚えて
あとは応用あるのみ。
その後順調に就職しました。
が・・・しかし待っていたのは
コンピューター産業というか、プログラミング環境の
激しい時代の移り変わりでした。
その間には神戸の震災や、訳のわからん国民の間引き(*)みたいなリストラとか
いろいろ経験しました。
(*) この頃に自殺した人が多かったのであります。
ただでさえ阪神大震災で痛手をこうむっているのに
その後のリストラが横行したのは、
今でも私は国家的かつ社会的な人間の間引きだと思っています。
惨いものです。世の中とは。
1、IBM メインフレーム
2、オフコン
3、PC MS-DOS (Basic言語, C言語, ISAMベースのデータベース)
今思えば、この頃に Unixに出会っていればよかったのに。
Microsoftの環境で C言語を覚えるよりも
Unix環境で gcc や configure.make などを覚えれば
よかったと思います。しかし当時は Unixは確か高価だったと思います。
例えば SunMicroSystem の Sun WorkStationや Solarisとか。
4、Windows 3.1 (不可解な Windows APIを使った C++プログラミング)
もう何がなんだか分からない。当然でした
C言語もまともに理解できていないのに、
いきなり C++ですから。クラスがまったく理解できていないのに
Windows API プログラミングなんてできようにもありません。
当時は Borland社の Torbo C/C++ (for DOS) や Torbo C/C++ (for Windows 3.1)とかを
相手に苦心惨憺たる思いでした。
5、Windows 95 から 98 (なんと Basicベースの言語とIDE. いわゆる Visual Basic)
私は何故かこの頃に Java言語に魅かれていました。
VJ6でした。
当時にフリーのO/S Linux の出現に非常に興奮しました。
それがきっかけで同じくフリーのO/S FreeBSD にも興味を持ち
誰も教えてくれる人がいない状況で独りで古いPCを使って
FreeBSDをインストールして、いろいろ弄って遊んでいました。
6、インターネットに向かっていった Linuxの時代。
今と違って RedHat Linuxが無料で使えた時代。
HTML や CGI、Java 1.3 などにのめり込んだ時代。
Linuxで仕事をしようと考えて、それが本当に実現した時代。
当時私は 大阪まで通勤していました。朝6時発の快速電車にのって。
いつも自分自身を新しい環境に置いて仕事をしたいのであれば
大阪は、正直良いと思います。
7、本当に Linuxを職業にしてしまった時代。
思いっきり サーバー技術や Web アプリケーション開発に
とっぷりと浸かって毎日を過ごした時代。
今振り返ると、なんと思い通りに過ごしてきたのでしょう。
仕事と言うより、まさに子供みたいな私が
コンピューターというおもちゃを触って
それでいままでの人生の大半を過ごしてきました。
私の40年間は、そりゃいやな事はたくさんありましたが
結果としては、「幸せ」でした。
FreeBSD徹底入門―初めての人でも安心 PC‐UNIXのインストールと完全活用 FreeBSD2.2.1‐RELEASE
FreeBSD(98)徹底入門―PC‐UNIXのインストールと完全活用
カーネルの再構築の手順とかが丁寧に書かれていて良かったです。
みるみるうちに、古いPC9821 がさくさく動きました。
FreeBSDを使ったインターネットサーバの作り方―小規模LAN構築・活用ガイド 初級編
当時 FreeBSD 2.2.7-RELEASEの2枚組の付録CDがあったので Packageインストールが楽しく行えました。
FreeBSD 2.2.8‐RELEASE インストールキット
FreeBSD Ports/Packages ガイド
PC-Unix (FreeBSD)には、どんな Packageがあるのだろうという興味に
多いに参考になりました。
FreeBSD 3.2-RELEASEの3枚組の付録CD付。
FreeBSDコマンドスーパーリファレンス
当時は WindowsNT 4.0 と Windows98、Visual Basic 5か 6 みたいな環境で仕事をしていましたが
自宅では、ただただ FreeBSD を触っているのが楽しかったです。
P/S 今、趣味・娯楽としてのコンピューターの記事を書こうとしています。
まだ CMS(concrte5) と White-paper theme をインストールしただけなんですけど
まあ私の一人遊びなんですが。ぼちぼちと・・・記事を書いていきます。
Genome-X. Memorandum for enjoy my computer.