昭和時代を語る上で
では昭和時代は何だったのかと考えてみましょう。


私が子供だったころ
当時の大人の人々を熱狂させていた


そんな昭和時代にヒーローが活躍されていました。


プロ野球では王・長島のいわゆるON砲であったり
相撲の世界では大鵬であったり
プロレスの世界では力道山であったり。


永遠の記憶とはいったい何か?を
感じさせられます。

60歳になっても
記憶がまったく薄れません。


そんな昭和時代のヒーロー達。


2015/2/28(土)
神戸の実家に帰りました。


実家は私の母校「滝川高校」の向かい。
実家へ帰ると、いつも
滝川高校のグラウンドを眺めて・・・
どれだけ時間が経っても飽きることの無い景色。


もう一度、あのグラウンドに立ちたい。
実は昨日土曜日は滝川高校の卒業式の日だったんです。


滝川高校のグラウンドを眺めているうちに
何故か・・・
記憶が中学生だった頃を思い出しました。
やはり、野球の事でした。


当時「高取台中学校」に通っていたんですが
通学路の途中に「育英高校」があったんです。


そう、滝川高校と負けず劣らない野球の名門校です。


中学生だった私は育英高校の野球部の練習を観るのが
大好きでした。


ある日、中学校の帰りに育英高校の横を通っていると
物凄い人だかり・・・


何と!報徳学園野球部が試合にために
育英高校にやってきていました。


そりゃもう、プロ野球よりも凄い熱気でした。


みんな、いったい誰を観にきていたのでしょう?


それは、「鈴木投手」。
後に1965年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団した
鈴木啓示(すずき けいし)氏であります。


今考えると、高校生なのに
既に普段の練習用の真っ白ユニホームではなく
公式戦用のユニホームを着た鈴木投手は
まさに後光がさしているというか
なんだかオーラみたいな光が・・・確かに見えました。


高校生なのに既に、大スター。


鈴木投手がマウンドに立っただけで
これ本当の話なんです。


通りすがりの大の大人達が・・・本当に・・・
熱狂していたんです。
今の時代には見ることのできない
物凄い熱狂の渦。


当時、大阪学院大学高等学校の野球部の江夏豊投手が
試合で育英高校を訪れたことがありました。


「あれが鈴木か」


まさにライバル意識丸出し。


だけどね・・・
後に阪神タイガースにプロ入りした江夏豊氏は
鈴木投手のことを「啓ちゃん」と呼んで
いつも愛称で敬愛を込めていたのが
思い出深いです。


最高のライバルであったであろう鈴木投手。
なのに江夏豊氏の最高の敬愛。


熱い、言葉では言い表せられない
熱い時代。


60歳なった今、私は
何と言うゴージャスな時代を体験していた事でしょう!


これは私の昭和時代の最高の思い出と記憶です。



私も鈴木啓示氏に敬愛を込めて
「人生は・・・草魂!」


あきらめるなよ!熱く、がんがん生きましょう。皆さん。
ねっ!