昭和時代を語る上で不可欠なものは一体何でしょうか?
私的には「ラジオ」ですね。
当時 \500くらいの小さなトランジスタ.ラジオ。
神戸でラジオと言えば「ラジオ関西」。
昭和時代のラジオのDJはかっこいい。
声そのものに非常に雰囲気がありました。
日本のDJの草分け的存在と言えば
「糸居五郎さん」「高崎一郎さん」が良かった・・・ですが
神戸でDJと言えば何と言っても
「三浦紘朗(ひろあき)さん」だと私は思っています。
当時小学生高学年から中学校にかけて
テレビで「Beatles 武道館」を見ました。
Ventures もテレビでよく見ていました。
でも今の MusicTV や MusicOnAir みたいに
音楽は見るものではなかったですね。
ひっそりと小さな音でラジオを聴いていました。
ラジオ関西から流れてくるあの音楽。
なんとなく気持ちが暖かくなるような
ちょっぴり気分が楽しくなるような
そんな自分だけの時間を楽しんでいました。
特に印象深かったのは
Benny Goodman の「Let's Dance」。
子供心にもなんてほのぼのとした音楽だろうと思いました。
後にこの音楽がアメリカでは スィングジャズ と
呼ばれていた事を知りました。
当時ラジオ関西はかなりいけてるラジオ局で(今でも)
海外の音楽がふんだんに放送されていました。
言わば「洋楽の宝庫」的存在でしたね。
Black Music? Soul Music? いや Rhythm and blues って言ってました。
Rock Music も、1969 までの音源がよく流れていました。
Herb Alpert(ハーブ・アルパート)のティファナ・ブラスとか。
Jazzでは Charles Parker(チャーリー・パーカー)なんかも
よく聴いたものでした。
中学生になった頃にはもろ「ラジオ関西」の影響で
当時の元町の古本屋さんで洋書を探しにいったものです。
今よりも洋書はたくさんありました。
漫画のペーパーバックならば当時 \200 くらいでした。
新潮文庫の夏目漱石「我輩は猫である」が 新刊で \60 で売られていました。
そんな時代でした。
音楽でしか聴いたことのない外国。
神戸港に入港している外国の船を見ては
まだ見たことのない外国に思いをよせたものでした。
そんな子供時代。目に見えるものより
聞こえてくる音楽に遠い国のことを思った時代。
小さいトランジスタ.ラジオ。
でも偉大なトランジスタ.ラジオ。
音楽は聴くものだった時代。
冬になれば炬燵か火鉢しかなかった時代に
ラジオ関西から流れてくる音楽に
いつも暖かい気分にしてもらった・・・そんな時代。
神戸の昭和を語る上で欠かせないラジオ・・・でした。
Queen - Radio Ga Ga (Official Video)
例によって正しいかどうかわからない我流の訳で申し訳ありませんが
Radio Ga Ga
一人佇み、君に光を見出した。
そんな十代の頃の唯一の友達。
僕のラジオを通して
すべての事を知った。
ラジオは古き良き時代のスター達。
世界中の戦争、火星からの侵略
ラジオは僕を笑わせたり、泣かせたり
時には、空を飛ぶことさえできると思わせてくれた。
ラジオ。
訳のないバックグラウンド・ノイズ。
女の子達や僕達のバックグラウンド。
人々のことを、ただただ知らずに、気にせずに
ラジオはラジオの時間と力を持っていた。
まだまだ、最高の時を持っているよ。
ラジオ。
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(ブラー ブラー)
何か新しいニュースは無いかい?
ラジオ。今でも愛しているよ。
旧友とは別れたくないよね。
そんな全てのいい物の如く
見失うかもしれない物(事)のために、こだわった。
全てが目に見える表現に疲れたとき
ラジオはラジオの時間と、力を持っていた。
まだまだ、最高の時を持っているよ。
ラジオ。
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(ブラー ブラー)
何か新しいニュースは無いかい?
ラジオ。今でも愛しているよ。
私的には「ラジオ」ですね。
当時 \500くらいの小さなトランジスタ.ラジオ。
神戸でラジオと言えば「ラジオ関西」。
昭和時代のラジオのDJはかっこいい。
声そのものに非常に雰囲気がありました。
日本のDJの草分け的存在と言えば
「糸居五郎さん」「高崎一郎さん」が良かった・・・ですが
神戸でDJと言えば何と言っても
「三浦紘朗(ひろあき)さん」だと私は思っています。
当時小学生高学年から中学校にかけて
テレビで「Beatles 武道館」を見ました。
Ventures もテレビでよく見ていました。
でも今の MusicTV や MusicOnAir みたいに
音楽は見るものではなかったですね。
ひっそりと小さな音でラジオを聴いていました。
ラジオ関西から流れてくるあの音楽。
なんとなく気持ちが暖かくなるような
ちょっぴり気分が楽しくなるような
そんな自分だけの時間を楽しんでいました。
特に印象深かったのは
Benny Goodman の「Let's Dance」。
子供心にもなんてほのぼのとした音楽だろうと思いました。
後にこの音楽がアメリカでは スィングジャズ と
呼ばれていた事を知りました。
当時ラジオ関西はかなりいけてるラジオ局で(今でも)
海外の音楽がふんだんに放送されていました。
言わば「洋楽の宝庫」的存在でしたね。
Black Music? Soul Music? いや Rhythm and blues って言ってました。
Rock Music も、1969 までの音源がよく流れていました。
Herb Alpert(ハーブ・アルパート)のティファナ・ブラスとか。
Jazzでは Charles Parker(チャーリー・パーカー)なんかも
よく聴いたものでした。
中学生になった頃にはもろ「ラジオ関西」の影響で
当時の元町の古本屋さんで洋書を探しにいったものです。
今よりも洋書はたくさんありました。
漫画のペーパーバックならば当時 \200 くらいでした。
新潮文庫の夏目漱石「我輩は猫である」が 新刊で \60 で売られていました。
そんな時代でした。
音楽でしか聴いたことのない外国。
神戸港に入港している外国の船を見ては
まだ見たことのない外国に思いをよせたものでした。
そんな子供時代。目に見えるものより
聞こえてくる音楽に遠い国のことを思った時代。
小さいトランジスタ.ラジオ。
でも偉大なトランジスタ.ラジオ。
音楽は聴くものだった時代。
冬になれば炬燵か火鉢しかなかった時代に
ラジオ関西から流れてくる音楽に
いつも暖かい気分にしてもらった・・・そんな時代。
神戸の昭和を語る上で欠かせないラジオ・・・でした。
Queen - Radio Ga Ga (Official Video)
例によって正しいかどうかわからない我流の訳で申し訳ありませんが
Radio Ga Ga
一人佇み、君に光を見出した。
そんな十代の頃の唯一の友達。
僕のラジオを通して
すべての事を知った。
ラジオは古き良き時代のスター達。
世界中の戦争、火星からの侵略
ラジオは僕を笑わせたり、泣かせたり
時には、空を飛ぶことさえできると思わせてくれた。
ラジオ。
訳のないバックグラウンド・ノイズ。
女の子達や僕達のバックグラウンド。
人々のことを、ただただ知らずに、気にせずに
ラジオはラジオの時間と力を持っていた。
まだまだ、最高の時を持っているよ。
ラジオ。
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(ブラー ブラー)
何か新しいニュースは無いかい?
ラジオ。今でも愛しているよ。
旧友とは別れたくないよね。
そんな全てのいい物の如く
見失うかもしれない物(事)のために、こだわった。
全てが目に見える表現に疲れたとき
ラジオはラジオの時間と、力を持っていた。
まだまだ、最高の時を持っているよ。
ラジオ。
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(グー グー)
ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
聞こえてくるのは、ノイズを伴ったラジオ(ガー ガー)
ノイズを伴ったラジオ(ブラー ブラー)
何か新しいニュースは無いかい?
ラジオ。今でも愛しているよ。