嫌な事は忘れたいものですが
かと言って、風化させていいものかどうか
それも、私には何とも言えません。


私の実家は神戸市長田区です。
家は倒壊しました。


震災当日、実家へすっ飛んで行って
両親と飼っていたトイプードルの
元気な姿を確認しました。


神戸市長田区~須磨区にかけて
親戚の家が何軒かありました。


家が倒壊には至らなかったのに
そこに住んでいた叔父が箪笥の下敷きになって
亡くなりました。


裸足のままでパジャマ姿で
泣きながら歩いている小さな女の子の姿が見えました。


もう一軒の親戚の家はまさに燃えている真っ最中で
その燃えている家の前に座り込んで
1升瓶に入った酒を、いとこ達が飲んでいました。


「これがほんまのヤケ酒かいなっ!」
「違うワイ!水が無いから、これでも飲まんと
 喉が渇くんじゃ。」
「そうやな。すまん。」
水道は当然止まるし、ガスは漏れ放題。


JR新長田付近では
生きながらにして焼け死んだ・・・
まさにこの世の地獄。


震災に見舞われるまでは
神戸市のキャッチフレーズって何だったか
覚えています?


「地震の無い街、神戸」だったんです。
今思えば、何の根拠も無いキャッチフレーズ。


まあ、それはそれとして・・・


震災で生き残った人は、その後
避難生活~仮設住宅暮らし。


そして夜間は町内の夜警。
こんな災害時に、なんと・・・
盗っ人が現れたり、放火しようとする奴が現れたり


一緒に見回りに回ってくれた町内の若い人達が
放火犯を捕まえたり・・・


家に火をつけて、どないすんねん。
せめてパンでも焼けや。
あっ、そうや。食べるものがない・・・


金無い。水無い。食い物無い。電話使えない。
神戸が暫く、陸の孤島状態に。


自衛隊のトラックが神戸に向かうも
親戚の安否を心配する人の車で
神戸市に向かう道路はどこも超渋滞。


ええ話なんか、何も無い。


「復興」だなんて言い始めた時にはたくさんの人々の借金地獄。
震災の影響で多くの失業者が、
そこへトドメの如く、リストラの嵐。


しかし亡くなられた方々には、せめてご冥福を。
暫し、黙祷。


はたして自分は生きとるのやろうか?
はたまた生かされておるのやろうか?
それとも、生きる事を許されているのやろうか?


私の悪い頭で考え込んだのですが
答えは出ませんでした。