私がプログラマーとして仕事を始めた20代の頃(30年位前)の話ですが
会社一丸となってプログラミング(正しくはコーディグ)の標準化が進められた。
各種業務に分類して、プログラミングのパターンを作成した。
新たにプログラムを書く時でも、全てを考える必要が無くなった。
他のプログラマーが書いたプログラムでも、ソース.コードを見ただけでも
ある程度は、中身が理解できた。
テストもスムーズに行えて、バグ(広い意味でのプログラム.ミス)の発生率も減った。
そう、頭が楽になったのである。気持ちが軽くなったのである。
私と家族では献立が違う。糖尿病を持つのと持たないのとでは当然食事の内容は異なる。
問題はその事を理解して、家族への負担を軽減したいと思う。
我が家は 50代夫婦の共稼ぎ。私も仕事をしておれば、妻も仕事を持っているので
妻に私の食事の献立の事まで面倒を見てもらうだけの時間的・精神的ゆとりは
妻にも無いのである。
「朝早く起きて、家事、洗濯、親戚やご近所のお付き合い、あくる日はまた仕事」は、
見方によっては女性の方が大変だったりする。
「糖尿病の食事の献立を考えてくれ」は、さすがに言いにくい。
私は料理は得意ではない。書店で糖尿病のための献立の本を立ち読みする。
このような本を買い求めても、私では活用できない。
さてさて困ったものだ。食材の買出しから食後の洗い物もできるだけ
自分でやるようにしないと。家族には家族の献立がある。
家族は、低塩分だとか低カロリーとか言わず
ごく普通の食事をしっかりめにとっている。
私は、低塩分、低カロリー、糖分摂取一切制限、低タンパクなど条件付きである。
そんな訳で何年か前(もう5年くらいにはなるだろうか)から
野菜ジュース(ほうれん草.小松菜などをミキサーにかけて飲む)を取り入れている。
これは20年位前だったであろうか。
たまたまテレビでみた甲田療法のことを覚えていたからである。
但し甲田療法の事は今も尚、よく知らない。
手軽さを取り入れているだけの、我流のやり方である。
最近、これは私自身は問題だと思うようになった。
外観だけでなく、しっかりと学んで取り入れるべきだと。
ただ、先ほどのプログラミングの標準化のように
献立も標準化できれば、頭が楽になり
それである程度結果が得られるのであれば、心が軽くなるのではと
発想したのである。
例えば
最初に野菜ジュース。
長芋の下ろし
人参の下ろし
大根下ろし
絹越し豆腐 半分
ご飯を少々、または焼かない.バターを使わない食パンを半分。
これをベースに季節による多少の変化でOKだとすれば
これは食事の献立のことを、あれこれ考える手間から開放されるのでは?と。
今年 7月23日(火)に血糖値を測定したとき、値は 104 であった。
一見よさげな数字に見えるが、
実際には年齢と共に、体の維持が大変になってきている。
体がだるいとか疲れやすいとかは改善されるどころか、年齢と共にきつくなってきている。
体調が狂うと本当にぶっ倒れる。立ち直るのに非常に苦労する。
年齢と共に、記憶力、基礎体力、視力など目に見えて減退している。
年齢と共に、便秘に悩まされるようになった。などなど。
私はこれを、よく知らない事を我流で真似ているのが原因だと考えている。
いい歳をして中途半端なことをしているのが、いけないと思う。
当然私は現在の主治医に従う。薬は必要だが薬の量を減らして
その分、内科的な領域(大腸とか胃とのケアもしたいのである)。
年齢的な事でいえば、糖尿病以外にも気を配る必要が出てくるであろう。
しかし自分が良いと思ったなら、甲田療法をしっかり学び
良い事は、徹底的に取り入れる。問題は結果なのである。
多少いや、かなり乱暴な表現かもしれないが。
現代はもはや、何でもありの時代でもある。
糖尿病を進行させては、社会人としての死 人としての死を意味する。
早朝に起きては、半身浴で体を温めてマッサージ。
クーラーの効いた部屋で気持ちばかりが激しく動く職業としてのプログラミング。
年齢を重ねて、IT業界でプログラミングするって言葉で言い表せない程大変だったり。
60歳まで、後1年などと妙に後ろ向きなことを思ってしまう。
昼の弁当をいただく時は、いちいちカロリーを頭の中で計算してしまう。
家へ帰れば、運動療法・食事療法・血糖値管理
そして何より大変なのは、ストレス.コントロール。これもまた大変。
ああ、頭を楽にしたい。心を軽くしたい。本当に健やかな暮らしがしたい。
そう思います。