最近、長い間コレクションにしたいと思っていたものが、いくつか連続で私の元に来た。ネットオークションだった。私は、品物ごとに専門店など市場で取引されている金額よりだいぶ安い限度額を想定していて、それより高額な場合はオークションの入札から撤退する。したがって、今回はとてもラッキーな取引が続いたことになる。
その事自体は、とてもうれしいことなのだが、少し気になることがある。今までも、たまに良い物がいくつか同時に出品されることがあり、大抵は同じ人が持っていたものを何かの理由で手放しているのだが、近ごろはそのようなケースがとても多く発生しているのだ。
ある人に聞いた話では、コレクターの人が高齢となり趣味をやめてコレクションを整理したり、残念なことにコレクター本人が亡くなられて、ご遺族がコレクションを処分することも結構あるようだ。確かに、商品の説明欄にそのようなことが記載されている時もあり、とても寂しい気持ちになってしまう。私が興味あるものを集めていたそれらのコレクターは、たぶん私と同年代の人達だと思う。そう考えると、→が自分にも向けられているように感じて、さらに憂鬱になる。
骨董の世界には、コレクターが亡くなられたら、後継ぎは先代のコレクションに興味なく処分してコレクションが散逸してしまうので、「蒐集家一代」という言葉がある。おもちゃでも、同じようなことが起っているようだ。
ただし、骨董の場合、良いものは、いつの時代でも一定の評価がされていて、次のおさまり所があるのだが、キャラクター物の場合、そのキャラクターが擦り込まれている年代ではない人にとっては、あえて高い値段で買うほどのものではなくなる。したがって、市場での取引額も低くなっていく傾向がある。今回、私が比較的安価で欲しかったものを入手できた理由は、このようなメカニズムによるものだったかもしれない。
そう思うと、なんか寂しく、少し焦りを感じてしまう。