現在の日時は、2月3日0時30分です。また、私の中学受験トラウマ話を書かせてください。
2月1日に入学試験を行った学校の中には昨日(2月2日)に合格発表をしたところもあり、もう受験が終わったお宅もあることでしょう。
昨年、我が家では、2月1日、2月2日に受験した学校の合格発表が2月3日のほぼ同じ時間にあり、それぞれの学校がある場所が地理的に離れているため、私と妻子とが二手に別れて合格発表を見に行く事になりました。私が行く学校の方が少しだけ先に発表があるので、結果は携帯電話で連絡することにしました。
2月1日の試験は息子の調子がイマイチだったようで、その日の夜、我が家は少し重い雰囲気になっていました。でも、次の日も試験があるので。いつまでも、クヨクヨしていても仕方がありません。まずは、塾でもらったプリントに目を通させようとしましたが、なんと友達に貸したままだというのです。私は珍しく息子を怒鳴りつけ、夜でしたが、取りに行かせることにしました。ここで、「まあいいか。。」などと妥協したらとても悔いが残ると思ったのです。私もがらになく神経質になっていたようです。
こんな時はいつもゴネるのですが、息子は素直に同意し、友達の家に電話しました。今日の試験がぼろぼろで、明日受ける学校の対策を再度やりたい旨をきちんと説明し、友達の家まで出かけて行きました。意外に息子が冷静なので少しほっとしました。プリントを持って戻ってきた時、息子は元気になったように思いました。別な学校を受けた、仲の良い友達に会ったことも良かったのかもしれません。
プリントを見直し、お風呂に入り、次の日も朝早く家を出なければならないので早めに寝ることにしましたが、なんとなく、息子の雰囲気が少し違う気がしました。いつもは、もっとやかましいのです。ここで、私は、息子がすっきりとした気持ちで二日目の受験をしてもらうために何かしなければと考えました。いよいよ親父の出番です。今思うと何考えてるの?なのですが、息子と私とで大きな声で歌い家の中をぐるりと徘徊しながら裸踊りをしたんです。妻はあきれていましたが、少なくとも笑顔で楽しい雰囲気のまま寝床に入り、明るく次の日を迎えることができました。このおかげか、次の日の試験はうまくいったようで、試験後の息子の表情が前日とまったく違いとても元気でした。(息子は、大好きな塾の先生が激励に来てくれたからと言ってますが。)
そして、2月3日の合格発表の日。私は、2月2日に受けた学校に向かいましたが、2月5日に試験がある学校の願書を持参していました。今日の合格発表が二つともだめだった時、すぐに入学試験の手続きをするためです。 すでに、2月4日の志望校へは願書を提出してありましたが、その学校の発表が2月5日なので最悪のケースに備えるためです。そして、もし2月4日もだめなら、2月6日に受ける学校も決めていました。すでに前半の受験でへとへとになっていたので、その日発表がある学校のどちらかに合格して、早く受験が終わって欲しいと切に思いました。
一人だけで志望校に向かう電車に揺られながら、私はずっと手を組んで良い結果になるよう 祈っていました。受験票に貼られている息子の写真を見ると、本当に泣きそうになりました。学校に着いたのは、発表予定時刻の20分位前でしたが、すでにたくさんの人が集まっていました。みな心配そうに押し黙ってシーンとしています。この20分の事は一生忘れないと思います。とても長く感じました。
そして、発表の予定時刻となりました。人々は合格者の受験番号が書かれている掲示板まで向かっています。なんとも言えないどよめきが起こっています。すでに掲示板がオープンとなったようです。私も重い足をゆっくり進めて掲示板に向かいました。とても緊張していましたが、息子がはじめて自分だけでがんばった結果をしっかり見てあげるのも親父の務めですよね。。すでに結果を見終わった人と交差しながら歩を進め、とうとう掲示板の番号が見えるところまできました。そして。。もうひとつの志望校に向かっている妻と息子へ良い知らせを連絡することができました。
その後。。
息子の様子を見ると、どうせ最初の学校はだめだろうから妻子もこちらに発表を見に来る事になるだろうと思い、私は蕎麦屋で一人で祝杯をあげていたところ、携帯電話が鳴り、息子からもう一つの学校も良い結果だったとの知らせがきました。第一希望だったので、急遽ほろ酔い状態で私がそちらへ行くことになり、志望校で息子の塾友のお父さん、お母さんに挨拶した時は恥ずかしかったです。