イメージ 1
 
「トキワ荘最後の住人の記録」という本を書店で見つけ一気に読みました。
 
著者の山内ジョージ先生は、石森章太郎先生が主催されていた東日本漫画研究会の後期のメンバーでその縁から石森先生や赤塚先生のアシスタントとしてトキワ荘に住むこととなり、他の先生達がトキワ荘を出られた後もトキワ荘に住み続け結局その世代としてはトキワ荘最後のマンガ関係者となられました。
漫画家以外の住人の事など当時のトキワ荘の雰囲気を感じることができる情報がたくさん書かれていて大変興味深いです。また、石森先生の最初のアシスタントとして当時の石森先生の仕事ぶり、生活などの一端を知ることができる貴重な資料です。ご興味ある方は、ぜひお読みください。
 
私は山内先生の事はあまり存じあげなかったのですが、太宰勉のペンネームで高井研一郎先生と共作されてたのですね。太宰勉先生の作品はよく覚えています。赤塚調のようで少し違う何とも軽やかな作品でした。二人の漫画家の共作とは知りませんでした。トキワ荘の先生達は「大先生」になっていったので、その周辺にも大きい人脈が築かれていったんですね。たぶん、藤子先生や赤塚先生の周辺にもたくさんの人脈が築かれていたのでしょう。
  
トキワ荘についてはいろいろなところで語られており、それ以上話すことはないのですが、手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫が輩出したというのは本当に凄いことでしたね。やはり手塚先生が最初に住んだというのが大きかったと思いますが。。手塚先生の周辺に一種のマンガコミュニティが出来上がり、さらにその周辺にサポーターが集まるという「クラスター」の中心の場がトキワ荘であったということだと思います。ちなみに、クラスター(cluster)というのは英語で直訳すると「房」ということで、ある目的でそれらに関連するいろいろな要素が集まり連鎖する状態を言います。単独要素より成功確率が高くなると言われているようです。トキワ荘はまさに、漫画という分野でクラスターを形成して大成した代表例ということでしょう。
 
当時漫画は月刊から週刊に移行し、部数も飛躍的に伸びつつある新しいメディアで、その時代の才能ある人材がいろいろな形で集まっていたと思います。
 
マンガだけでなく、どんな領域でもいいのですが、新しいものを創出する畑みたいなものって今の日本にあるのでしょうか?クラスターの形成で大事なのは、一番最初にアンカーボルトを大地に打ち付ける事です。トキワ荘の場合は、やはり手塚先生が重要な役割を果たされたのだと思います。私は、今の日本のどこかで、誰かがボルトを打ちつけるチャレンジをしていると信じています。