今日自由になる時間があったので久しぶりに国会図書館に行ってきました。昔の少年月刊誌についていた組立付録を調べるためです。ここ数年凝っているテーマです。
 
そこで、ちょっと気になる事がありました。
 
いつものように、端末で雑誌を検索して閲覧申請すると、私が選択した昭和30年代から40年代の少年月刊誌が みな別室閲覧対象で、しかもコピーできないというのです。
 
別室で閲覧するというのは、痛みが激しい資料や切り抜きなどをされやすい資料を別室で言ってみれば図書館員監視のもとで閲覧するというものです。私が閲覧する漫画雑誌などでは、ついこの前までよほど古いものでなければそんな扱いにならないし、ましてコピー不可ということはありませんでした。
 
「どうして?」と思いながら希望した本が出てくるまで待っていたのですが、出てきた本を見て愕然としました。大部分の本の頁がバラバラになっていて、紐で縛ったまま袋に入れられて出てきたのです。最初は地震で棚から落ちて傷んだのかなと思いましたが、ほとんどすべてがひどい状態になっているのではありませんか?
 
図書館の職員の人に訊ねてようやく理由がわかりました。すべての雑誌をデジタル化するため、本の綴じをばらし、そのままにしていたためということでした。古い本は傷み続けるので、デジタル画像をDVDにしたり、ストレージに格納しディスプレイやハンディ端末で読んでもらった方が良質なサービスができると思われたのでしょうか?
本の背を裁断してスキャナーで読み取って端末で読む人達がいるとのことですが、そういうことをやろうというのでしょうか? 
 
私は、本というのは、字面や絵面だけでなく、本の装丁や頁のレイアウト、紙質なども含め、本全体の雰囲気も味わいながら楽しむものと思っています。特に雑誌は、広告を含め当時の雰囲気を記録しているもので、決してデジタルでは再現できないものと信じています。大体、広告や綴じ込付録、懸賞などまで再現するとは思えません。ですからこれは完全な本のデジタル化ではないのです。
 
とにかく、とても貴重な資料がばらばらにされているのです。昔の漫画本を復刻するため松本零士先生が所蔵している貴重な漫画本を借りた出版社が、その本をバラバラにして複写し、先生に復刻した本で返したので、松本先生はとても悲しんだという話を思い出しました。
 
百歩譲って、確かに本の傷みなどは防げるし、内容を確認したり、複写するのは便利であることは認めるとして、ばらばらにした本の製本をできる限り戻していただきたいと思います。職員の方は、ひもで縛り袋に入れたまま保存すると言っていましたが。そのままでは頁は痛むし、なによりも現状維持が当然だと思います。コストがかかるからといって、これをやらないのは片手落ちです。
 
そもそも、文化的資料の保存の意味をどのように考えられているのか?と疑問に思ってしまいます。