7/18から開催されている「サンデー・マガジンのDNA」(川崎市民ミュージアム)のトークイベント「小林まこと×斎藤宣彦」に行ってきました。

小林まこと氏は、1・2の三四郎、What’s Michael、柔道部物語などのヒット作を世に出し、私も大好きな作家です。昨年出版された、青春少年マガジンでは、新人時代の様子が紹介されておりとても感動しました。

昭和30年代生まれのマンガ家としては、今や大御所の一人だと思いますが、トークショーなどに参加されるのはあまりなかったと思います。たまたま、家が近かったこともあり、「これはいかなけりゃ!」と思い家族サービスをさぼって会場に行きました。小林先生がマンガ家になるまでのエピソードやマンガ界のことなど、大変興味深い話が山盛りで、時間があっというまに過ぎ、本当に聴きに行って良かったと思います。

私の独断を交えて一言で小林先生の雰囲気を表すと、「普通の体育会系」という感じです。体育会系というと、ちょっとこわい感じがしますが、それは本当に一番を競おうとするようなビシッとした体育会のイメージだと思います。私が「普通の」とつけたのは、そこいらの普通の部活などでそれなりにやっている体育部のことです。一番を競わないような部でも、先輩後輩の上下はあり、日ごろの練習でも一応厳しいところはあるものです。私も小林先生と同様に柔道部でしたが、体育部の経験をしたかしないかは、その後の人生にだいぶ大きな影響を残したと思います。

小林先生は「理不尽」と表現されていましたが、先輩や監督がめちゃくちゃなことを言っても、「しょうがない。やってみるか。」というのが体育会系の感覚だと思います。編集者に無理なこと言われても、「しゃーねーな。やってみるか。」とやってきたというのが、小林先生の仕事だったようです。ただし、やりはじめるとヒット作を出しているところが、普通の人と違うところで。これは、やはり天性でしょう。デビューから大手のマンガ週刊誌で連載というのも幸運だったと思います。体育会系でマンガ家としても才能があったというのが、小林先生だったのでしょうね。

マンガ界のこともいろいろお話されていました。今のマンガはあまり読まれていないとのことでした。「昭和10年代生まれのマンガ家たちががんばりすぎたせいか、昭和20年代生まれのマンガ家はなかなか育ちにくかった。」
「昔のマンガ家はかっこいい、あこがれの存在。」
「次の昭和30年代は、隔世遺伝のように新しいマンガ家がたくさん出てきたが、プロダクション制、アシスタント分業などマンガの製作プロセスはあまり踏襲しないで、結構自分で大部分を書き込む人が多い。」
など面白い話をたくさんされました。
ちょっと、心配になったのは、現在の若いマンガ家のレベルはどうなのかな?ということです。実は私自身も今のマンガをあまり読んでいないのですが、アニメやゲームなどもたくさんあり、昔ほどみんなマンガを読んでいない気もします。しょーがないですが。。。