かつて奈良にあった日吉館という旅館については、インターネットの世界でもwebサイトやブログなどにたくさん書かれている。それだけみんなの思い出に残ったり、あるいは泊まった事がない人でも「いいな~」と思える宿だったのだろう。

私も奈良が好きで、日吉館に何回も泊まった。そして、とてもすばらしい経験を重ね思い出として大切に心の宝箱にしまっている。今年は東大寺のお水取りに行く予定だが、ついつい日吉館の事を思い出して感慨にふけっている。

日吉館は1914年(大正3年)創業で文人、芸術家、学者など多くの奈良愛好者が定宿としたことはよく知られている。その終焉が 「おばちゃん」こと田村きよのさんがなくなられた年だとすると1998年で80年余の歴史ということになる。この中で私が最初に泊まったのが1978年ころだったので世代としては一番最後のグループということになろう。

この80年の間にはいろいろなことがあったと思うが、どんな事があったかは、もちろん私が知るよしもなく、日吉館の事を書くこと自体常連だった方には僭越であるが、せめて自分が泊めていただいた頃の事だけでも少しだけ書いてみたい。

私が最初に日吉館に泊まったのは、大学の見学旅行の時だった。地方の大学の工学部に通っていたのだが、大学3年生になると毎年3月に実地教育として京浜地区や名古屋周辺の大きな企業の工場を見学するのだ。その時は、T自動車のある愛知県で解散となった。そこで私は、同級生をさそって以前からどうしても行きたかった奈良・京都へのミニ旅行に出かけた。京都は、駅近くの安い宿泊施設に泊った。そして奈良は以前から知っていた日吉館に泊まろうと考えていた。日吉館は大昔に父が泊まったことがあり、以前から名前を知っていたのだ。ただし、紹介状などはなかった。というか、紹介状が必要であるなどということを知らなかったのだ。

とりあえず電話をしてみた。知る人ぞ知る例の???-3333の電話番号にである。
電話には男の人が出てきた。「日吉館に以前とまったことがありますか?」「いいえ。」「どこで日吉館を知ったの?」「昔父がお世話になりました。」などという会話の後、おばちゃんが電話に出た。
「あんた、どこの大学?」「今はたいへん混んでいて相部屋になるけどかまへんか?」という流れの後「来てみてください。」ということになったと記憶している。後で考えると、紹介状もなくよく泊めていただけたものだと思う。東北から来た貧乏学生に情をかけていただいたのかもしれない。
おばちゃんは、口では大変厳しいことを言われていたが、学生にはとてもやさしかったと思う。みんなやっとやっとの状態で、あこがれの奈良に来ていることをご存じだったのだと思う。

とにかく、これがその後20年以上続く奈良通いの始まりだった。

(続く)