こんなことあったのを思い出した。
実は、私は高校三年生の時柔道部の主将だった。いろいろな試合があるけれど、当時あるライバル校との対抗戦がとても重要な試合だった。一年に二回、春と秋に15人対15人で勝ち抜き戦をやるのだが、そのライバル校とは戦前からライバル関係が続いていて、その対抗戦に負けると卒業してからもずっと「うちが勝った!」と威張られるような感じだった。試合には、他の生徒たちも沢山来て体育館で自分の学校の選手の勝敗が決まるたびにワーワーと非常に騒がしい。だから、負けるととてもかっこ悪い。そして、どうでもいいことなのに、伝統の一戦ということで地元新聞の夕刊に試合結果が掲載されたりしていた。
私が高校に入学した年の春の対抗戦では私の学校が敗れた。その時当時の主将が畳に伏せて大声で泣いた。それにつられて先輩たちも涙を流した。その光景を見て、対抗戦の意味を理解してなかった一年生達ははじめてこの試合の意味を学んだ。私も「これからは絶対勝とう」と心の底から誓ったものだ。
だからお互いに絶対に負けたくないのだ。試合の前日には、メンバーの選出、出てくる順番を決める作戦会議まで開いて少しでも相手に有利な戦術を議論したりしていた。とにかくそのくらい負けたくなかったのだ。
そして、試合の直前の時期に遠足などがあると主将命で「さぼれ」というおふれを出すこともあったのだ。もちろん、それでも遠足に行くやつは行くし、行ったからといって非難することもなかった。遠足で疲れて試合に影響することを恐れていたのだ。気合を入れるという狙いもあった。とにかく、当時の柔道部には、そんな習慣があったのだ。
たまたま運悪く私が主将の時に対抗戦の三日前に遠足があった。そして、私は何の疑問もなく例の「さぼれ」指令を出した。もちろん私はさぼった。するとその日の夜に担任の先生から電話がかかってきて、「どうして部員に遠足をさぼらせた!」というおしかりを受けてしまった。今思うと、誰かの部員の親が学校に連絡したのかもしれない。それまでそんなに問題となったことはなかったのだから。
次の日学校に行くと、すぐに何人かの先生に囲まれて、ずいぶんと怒られた。「そんなことして勝ってもなんの意味もない!」などと言われながら、お尻をたたかれたりもした。
私はというと、馬事東風。たぶん、にたにた笑っていたんだろうな。「意味あるんだけどな。高校生なりに真剣なのに、先生たちは理解できないんだろうな。」などと考えながら嵐が過ぎ去るのを待っていた。悪いけど、先生が何を言ってもこちらの心に響かなかった。恐くもなかった。今では、こんな生徒はやりにくかっただろうなと、当時の先生に申しわけなく思っている。先生も父兄に言われたので怒らざるをえなかったのかもしれない。
そういえば、一人だけ違う事を言った先生がいた。当時の体育教師でちょっと右翼的なのでは?とみんなに恐れられていたG先生だ。私は、体育の授業すら「ランニングしたりすると足がつる」と言ってさぼっていたのだ。でも、そのこわいG先生から何も言われたことがなかったので、私はますます増長しさぼりまくっていた。その高校では、だまっていても運動部は体育の成績は最優秀の「5」を貰えたのだ。体育教師からの激励のプレゼントだったのだろう。
そのG先生は、他の先生に囲まれて怒られている私に向って、「おまえはオレの授業も犠牲にしてるんだから、がんばれよ。」といってくれたのだ。先生は、私が授業をさぼつているのを知っていて、見ぬ振りをしてくれていたのだ。他の生徒と同じく、私もその先生の事を好きではなかったが、今思うとG先生は、ちょっとは私の気持ちをわかってくれていたのだなと思う。そのときは気付かなかったけど。今先生がどうされているかわからないけど、お礼を言いたい気分だ。
結局対抗戦には勝利した。そして、何十年もたった今でもうれしい。(続く)
実は、私は高校三年生の時柔道部の主将だった。いろいろな試合があるけれど、当時あるライバル校との対抗戦がとても重要な試合だった。一年に二回、春と秋に15人対15人で勝ち抜き戦をやるのだが、そのライバル校とは戦前からライバル関係が続いていて、その対抗戦に負けると卒業してからもずっと「うちが勝った!」と威張られるような感じだった。試合には、他の生徒たちも沢山来て体育館で自分の学校の選手の勝敗が決まるたびにワーワーと非常に騒がしい。だから、負けるととてもかっこ悪い。そして、どうでもいいことなのに、伝統の一戦ということで地元新聞の夕刊に試合結果が掲載されたりしていた。
私が高校に入学した年の春の対抗戦では私の学校が敗れた。その時当時の主将が畳に伏せて大声で泣いた。それにつられて先輩たちも涙を流した。その光景を見て、対抗戦の意味を理解してなかった一年生達ははじめてこの試合の意味を学んだ。私も「これからは絶対勝とう」と心の底から誓ったものだ。
だからお互いに絶対に負けたくないのだ。試合の前日には、メンバーの選出、出てくる順番を決める作戦会議まで開いて少しでも相手に有利な戦術を議論したりしていた。とにかくそのくらい負けたくなかったのだ。
そして、試合の直前の時期に遠足などがあると主将命で「さぼれ」というおふれを出すこともあったのだ。もちろん、それでも遠足に行くやつは行くし、行ったからといって非難することもなかった。遠足で疲れて試合に影響することを恐れていたのだ。気合を入れるという狙いもあった。とにかく、当時の柔道部には、そんな習慣があったのだ。
たまたま運悪く私が主将の時に対抗戦の三日前に遠足があった。そして、私は何の疑問もなく例の「さぼれ」指令を出した。もちろん私はさぼった。するとその日の夜に担任の先生から電話がかかってきて、「どうして部員に遠足をさぼらせた!」というおしかりを受けてしまった。今思うと、誰かの部員の親が学校に連絡したのかもしれない。それまでそんなに問題となったことはなかったのだから。
次の日学校に行くと、すぐに何人かの先生に囲まれて、ずいぶんと怒られた。「そんなことして勝ってもなんの意味もない!」などと言われながら、お尻をたたかれたりもした。
私はというと、馬事東風。たぶん、にたにた笑っていたんだろうな。「意味あるんだけどな。高校生なりに真剣なのに、先生たちは理解できないんだろうな。」などと考えながら嵐が過ぎ去るのを待っていた。悪いけど、先生が何を言ってもこちらの心に響かなかった。恐くもなかった。今では、こんな生徒はやりにくかっただろうなと、当時の先生に申しわけなく思っている。先生も父兄に言われたので怒らざるをえなかったのかもしれない。
そういえば、一人だけ違う事を言った先生がいた。当時の体育教師でちょっと右翼的なのでは?とみんなに恐れられていたG先生だ。私は、体育の授業すら「ランニングしたりすると足がつる」と言ってさぼっていたのだ。でも、そのこわいG先生から何も言われたことがなかったので、私はますます増長しさぼりまくっていた。その高校では、だまっていても運動部は体育の成績は最優秀の「5」を貰えたのだ。体育教師からの激励のプレゼントだったのだろう。
そのG先生は、他の先生に囲まれて怒られている私に向って、「おまえはオレの授業も犠牲にしてるんだから、がんばれよ。」といってくれたのだ。先生は、私が授業をさぼつているのを知っていて、見ぬ振りをしてくれていたのだ。他の生徒と同じく、私もその先生の事を好きではなかったが、今思うとG先生は、ちょっとは私の気持ちをわかってくれていたのだなと思う。そのときは気付かなかったけど。今先生がどうされているかわからないけど、お礼を言いたい気分だ。
結局対抗戦には勝利した。そして、何十年もたった今でもうれしい。(続く)