今日、高校時代の友人と四谷で会うことになった。彼とのつきあいは、一年に一回くらいは会っているので疎遠というほどではないが、親密というほどでもない。はじめて出会ったのは、高校一年生の柔道部の道場だった。かれこれ35年以上も前のことである。結構長いつきあいになった。

私たちの高校は、当時県内随一の進学校だったが、歴史が古く旧制高校の気風を受け継いだバンカラな校風で知られていた。もちろん男子校である。その中でもわれわれが所属していた柔道部はそのバンカラの保守本流みたいなところで、好き勝手に蛮行をして得意になっていた。

高校時代の思い出は尽きない。いずれいろいろと紹介したいと考えている。高校時代には気付かず卒業してから知ることも多い。わが高校は進学校で有名大学に大勢の合格者を出していた。このため、みんなは結構勉強していたらしい。そして、勉強ようするにテストの成績を最優先し、たくさんの生徒たちは塾に行ったり、家庭教師をつけたり、図書館なんかで勉強していたらしい。

この状況で、クラブ活動、特に運動部で時間を潰すことについて、勉強と両立は難しいとの考えから、部に入らない生徒が非常に多かった。今思うと何らかの形で運動部に所属していたのは、全体の3割にも満たなかったのではないかと思う。もちろん親が反対していたケースもあり、実際本人は柔道をやりたかったのにやめさせられた友人もいた。あいつ、今どうなってるかな?。。。

一方、運動部そしてバンカラの虎の穴のようなところにいた私はというと、一応授業は出ていたが試験前以外はほとんど勉強せず好きなことをしていた。柔道だけでなく、漫画にも没頭していた。もちろん試験の成績はひどいものである。生徒数は、一学年360人だったが、テストの成績は常に下から10%以内に定着していた。(その位置の他のやつらも運動部だったのかな?)

しかし、ぜんぜん恥ずかしいと感じたことはなく、超然としていた。というのも、学校全体に運動部で毎日活動している生徒を大切にする雰囲気があったのである。ある意味では尊敬されていたといってもいいかもしれない。先生も「運動してるからしかたがないか。。落第だけはするなよ。」という感じだったし、優秀な生徒たちからも、「学校を代表して運動部でがんばってくれている。」といった視線が感じられた。実際、私の横には学校で成績が一番の、全国的秀才が座っていたが、彼は私にいつもそっと勉強を教えてくれていた。それでもよく先生の質問に答えられず立たされていたが。。。

現在その後の卒業生の進路を見ると、大半が医者、弁護士、役人などになって社会の第一線で活躍している。本当にすごい高校だったんだけど、高校時代は、かれらももっと好きな事をやりたかったんじゃないかな?と今になって思う。(続く)