一時はゲーセンを廻りながら狩人のような生活をしていた私です。突出した行動をする変人のように思われるかもしれませんが、そんなに変わっている方でもなかったと思います。というのも、当時ゲーセンには熱心な方がとても多かったのです。電車が最終近くなって駅に向かう途中、山盛りぬいぐるみをつめた大きな紙袋を両手に持った人がいくらでもいたものです。みなさん、「期せずして大漁!」という感じで、KIOSKで売っている紙袋のラージサイズを使っているのが何となく可笑しかったです。
「ぬいぐるみが欲しい!」なんていうと女の子趣味みたいですが、熱中していたのは”コテコテ”の男性労働者の方々が多かったように思います。作業服でタオルを頭にまいたお兄さんが一生懸命クレーンを操作してました。ゲットしたぬいぐるみを大切そうにSEGAなんて書いてあるビニール袋につめて持ち帰る様子はなかなか微笑ましかったです。そのうち、フロントガラスのところにゲーセンぬいぐるみをたくさん飾っているトラックをあちこちで見かけるようになりました。確かにちょうどよい保管場所です。捨てないで飾るなんて素敵なアイデアでした。
お酒を飲んだ後ゲーセンに立ち寄るというのも、よくあるパターンです。時には飲み屋さんのはしごしている途中に一勝負という事もありました。たまたまゲットしたぬいぐるみを持って入った店で、あげちゃうのか、あるいは、取られちゃうのかわかりませんが、場違いなところにゲーセンぬいぐるみが鎮座されている光景もよくありました。確かに、ブームの頃はどんなキャラクターのぬいぐるみでも、あげると喜ばれました。特に女の子にはとても喜ばれた記憶があります。。。そういえば、たくさん女の子を引き連れてゲーセンを廻ってぬいぐるみを取りまくり、ゲットしたものを女の子にあげてキャアキャア言わせている人がいましたな。。。(私ではありません。念のため)
ゲーセンで100円玉をコインのようにジャラジャラさせながら大量にぬいぐるみを集めているおじさんが珍しく見えたのか、見物人が集まることもありました。ねらっているアイテムが取れそうで、なかなか取れないような時は、そのたびに、見物人も一緒に一喜一憂。クレーンでつかんでいて、最後の動作の振動で落ちてしまうような時(これってよくありましたよね!)にはためいき、ようやくゲットした時にはどよめきが起こったり。。。でもこんな時は、途中でギブアップしにくいので困りました。
困ったといえば、渋谷センター街でぬいぐるみハンティングをしていた時、横で見物していた女子高生に苦労してゲットしたぬいぐるみを「ちょうだい!ちょうだい!」とせがまれたのには閉口しました。たぶん、当時、見物している女の子にあげちゃうおじさんがたくさんいたんだろうな。小生はあくまでコレクションの対象だったので「だめ!」という姿勢に徹しましたが、女の子達のリアクションは「けち!」。。。(ためいき。。)
クレーンゲームがブームになる前のゲームセンターで遊んでいる客は、酔客や一部のゲームマニアの常連客が中心でやや低調でしたが、クレーンゲームのブームやプリクラの流行がきっかけとして新しい客を開拓し、さらに小生のように昔の常連を引き戻す事になりました。クレーンゲームは業界にとっては救世主だったと思います。
クレーンゲームのブームにより景品ぬいぐるみの出来がどんどん向上し、さらに、プラのフィギュア、文房具などぬいぐるみ以外の分野で気が利いた景品も開発されました。これは、景品ビジネスがどんどんいろいろな方向に展開するきっかけともなったと思います。食玩ブームの先鞭となったのはクレーンゲームブームだったのではないでしょうか?
今や景品ビジネスおよび素晴らしい景品達は、日本が世界に誇る「ジャパニーズクール」の牽引車となっている感があります。リアルタイムではまり続けた小生としては、大変感慨深くまたうれしい事です。
(この話題まだ続く)
(2006.9.9)
「ぬいぐるみが欲しい!」なんていうと女の子趣味みたいですが、熱中していたのは”コテコテ”の男性労働者の方々が多かったように思います。作業服でタオルを頭にまいたお兄さんが一生懸命クレーンを操作してました。ゲットしたぬいぐるみを大切そうにSEGAなんて書いてあるビニール袋につめて持ち帰る様子はなかなか微笑ましかったです。そのうち、フロントガラスのところにゲーセンぬいぐるみをたくさん飾っているトラックをあちこちで見かけるようになりました。確かにちょうどよい保管場所です。捨てないで飾るなんて素敵なアイデアでした。
お酒を飲んだ後ゲーセンに立ち寄るというのも、よくあるパターンです。時には飲み屋さんのはしごしている途中に一勝負という事もありました。たまたまゲットしたぬいぐるみを持って入った店で、あげちゃうのか、あるいは、取られちゃうのかわかりませんが、場違いなところにゲーセンぬいぐるみが鎮座されている光景もよくありました。確かに、ブームの頃はどんなキャラクターのぬいぐるみでも、あげると喜ばれました。特に女の子にはとても喜ばれた記憶があります。。。そういえば、たくさん女の子を引き連れてゲーセンを廻ってぬいぐるみを取りまくり、ゲットしたものを女の子にあげてキャアキャア言わせている人がいましたな。。。(私ではありません。念のため)
ゲーセンで100円玉をコインのようにジャラジャラさせながら大量にぬいぐるみを集めているおじさんが珍しく見えたのか、見物人が集まることもありました。ねらっているアイテムが取れそうで、なかなか取れないような時は、そのたびに、見物人も一緒に一喜一憂。クレーンでつかんでいて、最後の動作の振動で落ちてしまうような時(これってよくありましたよね!)にはためいき、ようやくゲットした時にはどよめきが起こったり。。。でもこんな時は、途中でギブアップしにくいので困りました。
困ったといえば、渋谷センター街でぬいぐるみハンティングをしていた時、横で見物していた女子高生に苦労してゲットしたぬいぐるみを「ちょうだい!ちょうだい!」とせがまれたのには閉口しました。たぶん、当時、見物している女の子にあげちゃうおじさんがたくさんいたんだろうな。小生はあくまでコレクションの対象だったので「だめ!」という姿勢に徹しましたが、女の子達のリアクションは「けち!」。。。(ためいき。。)
クレーンゲームがブームになる前のゲームセンターで遊んでいる客は、酔客や一部のゲームマニアの常連客が中心でやや低調でしたが、クレーンゲームのブームやプリクラの流行がきっかけとして新しい客を開拓し、さらに小生のように昔の常連を引き戻す事になりました。クレーンゲームは業界にとっては救世主だったと思います。
クレーンゲームのブームにより景品ぬいぐるみの出来がどんどん向上し、さらに、プラのフィギュア、文房具などぬいぐるみ以外の分野で気が利いた景品も開発されました。これは、景品ビジネスがどんどんいろいろな方向に展開するきっかけともなったと思います。食玩ブームの先鞭となったのはクレーンゲームブームだったのではないでしょうか?
今や景品ビジネスおよび素晴らしい景品達は、日本が世界に誇る「ジャパニーズクール」の牽引車となっている感があります。リアルタイムではまり続けた小生としては、大変感慨深くまたうれしい事です。
(この話題まだ続く)
(2006.9.9)