遅ればせながら。2月9日は手塚先生のご命日でした。(実は、今年は、手塚先生のご命日をうっかり忘れていて、だいぶ後に気づきました。)あれから15年も経ってしまったのですね。
あの日。私は遅くまで仕事をしてから、ぐったりとした気分でアパートに帰りました。扉の郵便受けには、いつものようにその日の夕刊が突き刺さっていました。「バタン!」と新聞を取り出して自分の部屋に戻り、何気なく新聞に目を向けると、そこには、信じられないニュースの見出し。手塚先生が亡くなられたというようなことが書いてあるようなんです。
まさにガーン!みなさんもそうだったでしょうけど。本当に信じられませんでした。
しばらくすると、友人からの電話。みんな、誰かと話さずにはいられない気分だったのです。ひさしぶりに話をした友人もいました。
私たちは、月刊誌と週刊誌が併存していた頃に漫画と接し、しばらくすると、アトムのアニメの洗礼をうけた世代です。いつも中心には、手塚先生がいました。手塚作品に興味がない人でも、手塚治虫がどんなことをしている人かは必ず知っていましたし、直接、間接に何らかの影響を受けていました。ですから、みんな、この悲しいニュースを大きな感慨をもって受け止めたと思います。すでに手塚治虫は「生きた伝説」になっていたんですね。存在そのものが空気のようなものだったんでしょう。
ところで、手塚先生はご自分が神棚にまつられるのは、あまり。良しとはされていなかったようです。その時々の有望な新人をチェックされて、猛烈なライバル意識をもたれていたとのことです。トキワ荘の先生たちもライバル候補だったかもしれません。石森先生、藤子先生たちにとっては、理解しにくいことだったでしょうね。なにしろ。相手は神様ですので。
いろいろな考え方があるでしょうが、手塚先生の作り上げた漫画のスタイルがその後の漫画の発展に大きな影響を与えたことはまちがいないでしょう。
先生が新宝島はじめ赤本を描かれていた頃、先生の作品は前衛というか、非常に新進的なものだったのです。とにかく、それまで前例のないスタイルだったのですから。
その後、先生のスタイルを受け継いだストーリー漫画が爆発的に発展しました。そして大半の作品は同じDNA(このようなものがあるとすればですが。)を引き継いでいるのだと思います。まあ、ホモサピエンスのようなものでしょうか?ですから、先生の存在が空気のように感じられたのかもしれません。
現在も盛んにマンガが描かれ、多くのマンガ本が出版されています。手塚先生がいらっしゃらないのは寂しいですが、これからも手塚先生の空気を感じながら、これらのマンガ達に接していきたいと思います。
たまには、年一回くらいは、あらためて真面目に(?)手塚先生の事をいろいろと考えてもいいかなと思います。(先生、たまにですいません。だって空気なんですもの。)
(2004.2.21)
あの日。私は遅くまで仕事をしてから、ぐったりとした気分でアパートに帰りました。扉の郵便受けには、いつものようにその日の夕刊が突き刺さっていました。「バタン!」と新聞を取り出して自分の部屋に戻り、何気なく新聞に目を向けると、そこには、信じられないニュースの見出し。手塚先生が亡くなられたというようなことが書いてあるようなんです。
まさにガーン!みなさんもそうだったでしょうけど。本当に信じられませんでした。
しばらくすると、友人からの電話。みんな、誰かと話さずにはいられない気分だったのです。ひさしぶりに話をした友人もいました。
私たちは、月刊誌と週刊誌が併存していた頃に漫画と接し、しばらくすると、アトムのアニメの洗礼をうけた世代です。いつも中心には、手塚先生がいました。手塚作品に興味がない人でも、手塚治虫がどんなことをしている人かは必ず知っていましたし、直接、間接に何らかの影響を受けていました。ですから、みんな、この悲しいニュースを大きな感慨をもって受け止めたと思います。すでに手塚治虫は「生きた伝説」になっていたんですね。存在そのものが空気のようなものだったんでしょう。
ところで、手塚先生はご自分が神棚にまつられるのは、あまり。良しとはされていなかったようです。その時々の有望な新人をチェックされて、猛烈なライバル意識をもたれていたとのことです。トキワ荘の先生たちもライバル候補だったかもしれません。石森先生、藤子先生たちにとっては、理解しにくいことだったでしょうね。なにしろ。相手は神様ですので。
いろいろな考え方があるでしょうが、手塚先生の作り上げた漫画のスタイルがその後の漫画の発展に大きな影響を与えたことはまちがいないでしょう。
先生が新宝島はじめ赤本を描かれていた頃、先生の作品は前衛というか、非常に新進的なものだったのです。とにかく、それまで前例のないスタイルだったのですから。
その後、先生のスタイルを受け継いだストーリー漫画が爆発的に発展しました。そして大半の作品は同じDNA(このようなものがあるとすればですが。)を引き継いでいるのだと思います。まあ、ホモサピエンスのようなものでしょうか?ですから、先生の存在が空気のように感じられたのかもしれません。
現在も盛んにマンガが描かれ、多くのマンガ本が出版されています。手塚先生がいらっしゃらないのは寂しいですが、これからも手塚先生の空気を感じながら、これらのマンガ達に接していきたいと思います。
たまには、年一回くらいは、あらためて真面目に(?)手塚先生の事をいろいろと考えてもいいかなと思います。(先生、たまにですいません。だって空気なんですもの。)
(2004.2.21)