だいぶ落ち着いたので記しておこうと思う。
11月1週の終わり、偶然が重なり・・・ベットとパッドが収納されたクローゼットの隙間(頭が奥で約50㎝の幅×約1.2m位)にはまり、風邪気味で体調が優れず(体が動かず熱も38度あった)、ついてないことにたまたま妻が夜の食事会(10時半頃まで)に行き、まさかまさかで帰って来るまで1時間以上抜け出せなかった。
翌日、心配して息子を呼び西新潟病院に緊急入院した。膝を擦りむいていて、コロナ渦でもあったが熱はなかった。先生は転倒も心配したが、意識はあり寝転んだという感じである。血液検査で落ちた筋肉のCK値とやらも回復していた。約2週間の入院となったが半分から予定ではリハビリ入院するつもりでいた。全て車椅子移動で初めてリハパン・パッドを他人様から交換してもらった。完全な身障者患者になったと実感した。
2週間後の金曜日退院して、家に送って貰い新幹線で娘の埼玉まで。男の子の孫も一回り大きくなった気がした。
翌日朝、思った程車の渋滞もなく富士山が近くに見える河口湖畔のホテルに乗せてもらった。2日とも天気がよく日本一の富士山もクッキリ見えた。皆に囲まれ幸せな還暦だなと思った。









仕事の終わりはあっけなく過ぎた。傷病休暇ということで一応席は残っているが、唯一元部下のねぎらいのメールと、妻の温かいハグ。「ここまでよく頑張りました。」
社員皆の前でのお礼が残念ながら出来なかった。いつしかこんな男もいたと忘れていくのだろう。上司の皆さんが自宅にいらっしゃった折にはお菓子か何かを渡すらしい。
転職もしたが40年近く私なりに必死に歩んできた。天職に恵まれラッキーだったと思っている。
最後にこんなになるとは思いもつかなかった。逢う人逢う人に”何があるかわからない。だから悔いを残さず精一杯生きてください!”と生意気なことを言っている。
最近スマホのネットワークが解除されたのはなぜか寂しかったなー。ラインと画像保管しか使ってなくスケジュールや天気予報はPCでみてるけど。FAX固定電話はあるけど携帯電話何十年も使っていたから…。お世話になりました。
来月、子供達からの還暦&退職祝いの富士河口湖旅行が楽しみだ。どこだっていいけど二人の孫の成長も( ^ω^)・・・。風邪なんて引いていられない。


9月も後半になり秋の稲刈りも始まったが、うちの委託田んぼのコシヒカリはほとんど風で倒れたまま。訪問看護士さんの「もう、稲刈りも終わりましたね~」はほっこりした。
あと定年退職まで3ヵ月をきったが傷病手当扱いになるかもしれない。(そうなったら1ヵ月)
13日、盆休みに来れなかった娘が男の子の孫を連れて帰って来た。九州の旦那さんのお父さんも亡くなったらしい。2回目に会った結婚式で「あいさつは最後まで緊張しますわ」だったが一気に打ち解けた。お葬式では孫が和ましてくれたみたいだ。残念だが人の一生なんてあっけないものだ。ありがとうございました。
孫は暫く見ないうちなにか大きくなったような気がした。これからも少しでも永く成長を見ていたい。ほんの1週間の予定だが、明日明後日と皆で湯沢温泉に行くのは楽しみだ。
わたしと言えば次のステップから戻らず・・・悪化の一途だが負けていられない。