あなたのフォルテピアノの演奏は、楽器の潜在能力を完全に発揮させていると思います。また、アレクセイ・リュビモフとのシューベルトの四手連弾は、当時のペダルの特徴が活かされていて、実におもしろいです。
リュビモフとの共演は、とても楽しかったです。当時のピアノ・メーカーは、さまざまなペダルをピアノに取り付けて、その効果や性能を競い合っていました。シンバルや太鼓を叩くペダルなどもありました。
私とリュビモフは長い時間をかけて、どうしたらアルバムに収める作品をオーケストラのようなサウンドで聴かせることができるかを考えました。そのような演奏効果を生み出すことが目的だったのではありません。《フランス風主題によるディベルティメント》と《ハンガリー風ディベルティメント》は、作品の規模が大きいだけでなく、曲の雰囲気が重々しく厳粛なので、それを大切にしてオーケストラの作品に対するようなアプローチしたいと思ったのです。そうすることで、私たちはシューベルトの時代の楽器を真に理解し、これらの作品のすばらしさをフォルテピアノで表現することができました。
あなたの演奏は、伝統や演奏スタイルの深い研究に基づき、聴衆を楽曲が創作された時代に誘います。でも、魅力的な「例外」もありますね。たとえば《トルコ行進曲》。あなたは、あのアルバムのブックレットに、モーツァルトの音楽に装飾音や即興的なアレンジを加えることについて深く考察した文章を書いています。そして、あなたの《トルコ行進曲》の演奏には、多彩な装飾音や即興的なアレンジだけでなく、カデンツァまで加えられています。しかも、それらはすべて学術的な裏付けに基づいているのですよね。
出だしのフレーズ、楽譜は倚音(前打音)になっていますが、考証に基づき、16分音符で均等に弾くのが一般的です。しかし、和声の関係を考えて、倚音(前打音)で弾くべきと主張する人もいます。あなたの録音は、一度目は均等に弾き、二度目は倚音(前打音)で弾いています。これは、私が初めて聴いたふたつの弾き方を結合させたヴァージョンです。これは、当時の演奏習慣に倣ったのでしょうか?
モーツァルトの時代、弾き方を混ぜることはなく、どちらか一方で弾いていたはずです。私がちょっとおもしろいアイディアで弾いてみようと思ったのは、出だしのフレーズを16分音符で均等に弾くべきか、倚音(前打音)で弾くべきか、誰にも100パーセント断言できないからです。これは、私たちがいかに演奏に関する基本的な知識に欠けているかを証明するよい例ではないでしょうか。「均等派」も「倚音(前打音)派」も、説得力のある論拠を提示することはできません。それなら、私は録音で両者を演奏しようと思ったのです。
しかし、もうひとつの問題がありました。《トルコ行進曲》は、あまりにも有名で、聴いたことのない人はいないでしょう。そして、多くの人々は「均等派」の演奏に慣れています。言い換えれば、私たちは客観的にこのフレーズをどのように弾くべきかを考えられなくなっているのです。
モーツァルトのアルバムを録音することになったとき、このソナタを入れるべきかどうか悩みました。あまりにも有名な曲を録音することに抵抗感があったのです。でも、私は《トルコ行進曲》の楽章が好きでしたし、ほかのふたつの楽章も素敵なので、最終的に録音することに決め、即興的な演奏で、この曲の知名度の高さに対峙しようと考えました。
近代になればなるほど、作品に即興演奏の余地がなくなっていることについて、あなたは残念に思われますか?
何とも言えませんね。現在、作曲はますます精密に楽譜を書く方向に向かっています。あらゆる即興的な表現を排除する作品もあります。このような現象について、私の考えをうまく説明することはできませんが、私は作曲技法に「進歩」などないと思っています。ただ違うだけなのです。それぞれの時代には、それぞれの習慣がありました。
20世紀の初めのころの録音と現在の「歴史的資料に基づく演奏」(Historically Informed Performance)を比較したとき、現在の「歴史的資料に基づく演奏」のほうが、より深い考証や研究に基づいていると思いますが、演奏スタイルという意味では、やはり21世紀の演奏だと思うのです。これについて、あなたはどう思われますか?
私たちがどんなに歴史的な資料を調べ、可能な限り昔の演奏に近づけようとしても、私たちが生きている時代の美学や流行の影響は避けられません。これまで集められたあらゆる資料を調べて知ることができるのは、昔の人は「どのように演奏できなかったか」で、「どのように演奏できたか」ではありません。録音がなく、文字を読むだけでは、バッハやモーツァルト自身の演奏がどのようであったかを知ることはできないのです。
ショパンやシューマンの弟子たちの録音は残っています。リストの弟子の録音も残っていますね。それらを参考にして、どのような演奏だったかを想像することはできますし、そこから過去の演奏について考えることができます。
たとえば「和音の音を同時に弾くべきか否か」について、19世紀のピアノの教材にいろいろ書かれています。和音はアルペッジョで弾くべきではないなど。しかし、1920年代のピアノ演奏の録音聴くと……、つまり1860年代に生まれたピアニストは、よく和音をアルペッジョで弾いています。教材だけを見て、このように弾いてはいけないと思っても、実際は反対なのです。
これは私たちに、教材にそのように書いてあっても、その意味は「やり過ぎないように」であって、完全に禁止していたのではなかったことを教えてくれます。しかし、「やり過ぎ」とはどの程度なのでしょう? それがわからないのです。私たちは違う時代に生きている人間なのですから。
同じように、もっと古い時代の教材を見ると、そんなことは不可能だと思えることが書いてあります。しかし、録音がなかった時代なので、よくわかりません。ヨーゼフ・ヨアヒムは、とくに必要なところ以外はヴィブラートをほとんど使っていません。ヴィブラートについて言えば、彼は現在のバロックのヴァイオリン奏者より節度を保っていたように思えます。これは、彼の時代の人々が、みんなそのようであったことを示しているのでしょうか? それとも、彼がきわめて保守的な演奏家だったのでしょうか? 残念なことに、私たちは録音資料からそれを検証することはできないのです。
あなたは、この40年来の古楽における「歴史的な資料に基づく演奏」のブームと発展についてどのようにお考えですか?
私は批判的な視点でコメントはできませんが、自身の観察と考えを話しましょう。「歴史的な資料に基づく演奏」は、現在大きな成功を収めています。多くのもっとも保守的なオーケストラですら、古楽派の考えを参考にするようになり、演奏上の明らかな間違いが減ったことは喜ぶべきことです。
しかし、このような成功には危険も伴います。危険というのは、先ほども言ったように、ただバロックの弓を使ったり、以前と違う演奏をするだけでは、見せかけの古楽演奏に過ぎません。ドイツ語で言う「ふたつの椅子に座る」というのでは、真に発展することはできません。
大切なのは、音楽に対する態度です。それが正しいと主張するためだけに古楽奏法を遵奉し、その音楽がどのようであるべきかを真剣に考えたり、関連する知識について研究しない人が少なくありません。そのような人の演奏を聴くより、私はウィレム・メンゲルベルクが指揮をしたバッハ《マタイ受難曲》を聴くほうがずっとよいと思います。そうです、大編成のオーケストラと合唱団を自由にテンポを揺らして操る「歴史的に正しくない」演奏ですが、心から語りたいことを語り、強烈な個性を感じさせる芸術だと思います。
私自身について言えば、まだわからないことがたくさんあり、疑問に突き当たるたびにひとつひとつ自分の心に問いかけています。常に自問自答することで、答えは得られなくても、疑問が次第に変化、明確化し、核心に近づいていきます。この過程は実におもしろく、苦しみながら楽しんでいます。
先ほど語り合った楽器と演奏スタイルについてですが、情感の表現についてはいかがでしょうか? 古典派以降から情緒の表現が豊かになった、それ以前はひとつの作品は一貫して同じ雰囲気を維持する傾向にあったという理論家たちの一般論をどう思われますか?
まったくいい加減な見解だと思います。当時の音楽教材の美学や哲学の著述に基づいているのではないでしょうか。大学の哲学の教授の多くは音楽家ではないので、音楽の創作や演奏についての知識がないのです。
音楽は表現芸術で、時間という要素が必要です。絵画のように完成されたものを見て理解するというわけにはいかないのです。音楽という芸術の全体像に辿り着くには、さまざまなアプローチが必要で、絵画や彫刻などの芸術と同等に論じることはできません。
たしかにバロック音楽の多くの作品は同じような情緒で書かれていますが、それはバロック時代に限ったことではありません。バッハの創作で一番多いのは声楽曲ですが、歌詞に現れる天国と地獄のように異なるさまざまな情感やテーマを表現するには、音楽も必然的にそれに応じて変化し、同じような情緒にはなりません。ですから、哲学者たちが言っているのは、器楽作品についてなのです。つまり器楽作品は、歌詞に左右されることなく理想の音楽を追求できるところに価値があると……。その前の2000年近くにわたって、音楽は宗教や儀式と関わり、多くが歌曲で、文字と切り離すことができませんでした。器楽の価値という概念はかなり特殊なもので、17世紀半ばにイギリスで始まりました。これは、中産階級の台頭と関係があると思います。バッハのように音楽を通して神を崇拝する人間にとって、器楽がもっとも理想的な音楽とは認められなかったでしょう。いずれにしても、この見解は、たとえ事実の一部分を反映しているとしても、実際の音楽作品よりも音楽哲学との関わりが強いと思います。
楽曲の速度の指示については、いかがですか? あなたは、作品の演奏速度をどのように決めているのでしょうか? たとえばベートーヴェンの《熱情ソナタ》の第3楽章の「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」は、どのように考えたらいいのでしょうか?
ある作品を知れば知るほど、その作品に対する感覚は正確なものになるでしょう。もちろんそれは個人的なものですが、私は、速度に対する感覚の差は、そんなに大きくないと思っています。アレグロとアダージョの解釈の差もそれほど大きくないでしょう。たとえば、チェルニーはベートーヴェンの多くの作品にメトロノーム・テンポの指示を付けていますが、ごく少数の例外を除いて、何が速くて何が遅いかを定義しなくても、それらは基本的にアレグロが遅いテンポあるはずがないというような私たちの自然発生的な感覚に合致しています。これは、人類の基本的な感覚が、何世代にもわたってあまり変わらないこと、そして私たちが過去の創作に直接アプローチできることを証明していると思います。
あなたは大変おもしろいシューマンのアルバムを録音していますが、シューマンがバッハにどのように敬意を表したかについて、お話しいただきたいと思います。ロマン派時代の作曲家は、彼ら以前の作曲家に対してどのように敬意を表しながら学んだのでしょうか?
シューマンは特別なケースだと思います。同じようにバッハを学んでも、ショパンのスタート地点とはまったく異なります。昔の作曲家は、幼い頃から専門的な訓練を受けています。バッハとモーツァルトがその代表的な存在で、優れた才能を早くから磨くことによって、驚くべき音楽能力を身につけました。
シューマンは違います。彼の父親は小さな町で書店を営んでいて、シューマンはほとんど独学で音楽を学びました。彼はおそらく西洋史上初の人生の途中から音楽家を志した人々に属すると思います。そのような生い立ちが彼を不安にし、自身の専門的な能力に自信が持てなかったのだと思います。彼と同世代のショパン、メンデルスゾーン、リストなどは、みな幼い頃から専門的な訓練を受けています。そのため、シューマンは人生が終わるまで学び続けました。彼は永遠に学生で、永遠にバッハなどの大家の作品を学んでいました。それはちょうどバッハ復興の時期だったので、シューマンは意欲的に対位法などについて学んだのです。
ロマン派の時期から、シューマンのように晩学で作曲家として成功した人が増えていきました。これは音楽の創作にどのような影響を与えたとお考えですか?
シューマンの並外れた資質を考えれば、もし幼少期から専門的な訓練を受けていたら、伝統的な作曲の規範を容易に習得することができたでしょう。しかし、それによって、彼の作品のオリジナリティは失われていたかもしれません。少なくとも、今私たちが聴くものとは違っていたはずです。それは、かえってよかったのだと思います。
シューマンの3年後に生まれたある作曲家は、彼よりもさらに遅く作曲家を志しました。彼が若い頃に書いた作品は、優れた作曲家がまだ未熟だったころに書いた習作にも及ばず、才能の兆しすら感じることができません。しかし、最終的に彼は音楽の世界を大きく変えました。そうです。彼こそが、偉大な作曲家、ワーグナーです。
インタビューの最後に、読者に何かメッセージをいただければと思います。
私には、締めくくりの言葉を語る術はありません。そのときの気分によって、私の言うことは変わるだろうと思うからです。ただ、言えるのは、私は今でも新しいことを発見するのが大好きで、いつも積極的に新しいことを探し求めて研究しているということだけです。
音楽に関して言えば、コンサートホールに行って、まったく知らない、予測もつかないプログラムを聴くことは、私にとって大きな喜びです。もちろん、ベートーヴェン《交響曲第5番「運命」》のような名曲が嫌いなわけではありませんが、それを何度も聴くより、その楽譜を研究したり、未知の創作を聴くことに時間を使いたいと思ってしまうのです。
みなさんにも、すでに知っている作品を繰り返し聴くのではなく、まったく知らない領域の音楽を聴くことに時間を使っていただきたいと思います。もしも気に入らなければ、コンサート会場から出ればいいのですし、CDやレコードの再生を止めればいいのですから、大した時間の無駄にはならないでしょう。しかし、ひとたび自分の気に入る曲を見つけることができれば、それは何ものにも替えがたい喜びとなることでしょう。



